Dora Japanese translation

September 7, 2017 | Autor: Shinya Ogasawara | Categoría: Psychoanalysis
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Descripción

あるヒステリー患者の分析の断片

t は 、一 九O五年に ﹁精神神経学雑誌﹄に ﹁あるヒステリ ー患者の分析の断と ・ フロイト藷 ﹃ 掲開削され、後にジ lグム ント 神経症学小論文集初 二集﹄に収録 された 。

ような矧の研究結果をかつて出版せねばならなかったのは 、確 ζ乙に 、 その研究粘裂のも

かに厄介な乙とであった。しかし今

序文をどうしてもはぷくわけにはいかない。それは一方では私 の仕事をいろ いろ の観点から正当化する ためであり、また一 方

させる ζとは、今後は断念したほうがよいのである。

るべからざる乙とを報告した、といって非難されるであろう。 彼らは同一人物で 、単にその非難の 口実をかえただけなのだ 、 と私は信じたい。そうとなれば 、 これらの批評家の非難をやめ

ととなった材料のいくつかを提供し、一般の判断にまかせるの も、それにおとらず危険な乙とである。乙の場合も私は非難を 免れないであろう。当時は、向分の忠者について何も報告しな いといって非難されたのであったが 、今度は 、患者について語

では、私の 仕事に対しひとびとが抱く期待を適当にする ためで

私にとって怠者の病歴を出版するととは、解決しがたい難問で

このような無理解な悪意あるひとびとを無視するとしても、 も ある。専門家によって追試する ζとを拒否されていた研究結 果、し かもおもねるととろがほとんどなく、世人を叱驚させる

く報告して 、乙 の主張を実証しようとするにあたり、私はこの

く時がたつた。こ ζにある一人の患者の病歴と治療歴をくわし

九五 年と 一八九六年に私が二 、三の主張を提出してからしばら

ヒステリ ー症状の病因とヒス テリーの 精神過程に関し、一八



276

の解明とは 、 乙の密接な関連性を暴露し、秘密を明るみにだす

とと、こ れらのことが正しいとするなら、あるヒス テリー 症例

ステリー症状はその患者の隠され抑圧された願望の表現である

ものの本質からきている。ヒステリー疾患の原因が患者の性心 理生活と密接に関連するもののなかに見出される ζと、またヒ

ある。その困難の一部は技術的なものであるが 、他は事態その

っているのは、私が完全に信頼しているたったひとりの同僚の

心の注意をはらったので 、 その少女が私の患者だったととを知

も知っていないはずであった。治療の当初から秘密の保持に細

女のいろいろな私的な事情は、.ウィ ーン においてはほとんど誰

探しだしたのだが 、そのひとの述命が演じられるのは、ヴィ l ンではなく、ある遠方の小都市においてであり、した がって彼

ζとをしたと思っている。私は患者のなかからひとりの女性を

みである。そのうえ私は治療が終わってからなお四年間もその

ことに他ならない。ととろで患者は、自分たちの告白の科学上 の価値を了解しなかったなら、けっして心内の秘密を喋らなか

出版を留保し 、患者の生活に変動があり、とこで諮られるいろ

に対する義務ばかりでなく、科学そのものに対しても義務をも

憾に思うととですますであろう。しかし私は医師は個々の患者

科学がとこではす ζしも啓蒙的な役割を果たしえないととを遺

憶病なひとびとも、医師の分別という義務を前面におしたてて 、

とのような情況にあっては、繊細なひとびとや、おそらくまた

知る乙とはないであろう。そして彼女という人間が

だが彼女は自分が既に知っているととの他、何もその病歴から

にし 、激しい苦痛を感ずるととまで防止するととはできない。

的な専門誌に発表するととは、かかる不用意な読者を防ぐこと になるであろう。むろん私は 、 乙の患者が偶然自分の病歴を手

るような人名は、むろんすとしも残されていない。厳密に科学

いない、と思えるまでまっていた。紫人の読者がその跡を辿れ

いろな事件や精神過程に対する彼女同身の関心が薄らいだに違

ったであろう。同時に、彼らに乙れらの告白の出版を許してほ

っていると考える。科学に対してとは、つまり同じ病に悩む、

取り扱われているととに、他の誰も気づきはしない、と思うで

ζとも確かである。

あるいはいつか悩むであろう他の多くの患者のため 、という乙

あろう。

しい、 と願ったとしてもまったく無駄である

とに他ならない。ヒステリーの病因と桃造について知りえたと

はなく、自分たちの娯楽にふさわしい実名小説として読もうと

する多くの医師が||少なくともこの都市には|| 存在するの

ζの穫の病歴を、神経症の精神病理に対する一寄与としてで

ζの論文で

の義務をなおざりにするのは、恥ずべき怯儒である。とはいえ、

信ずるととを公に報告することは 、医師の義務である。患者を 直接的に 、また個人的に傷つけることが避けられる場合に 、乙 私の患者にこのような被害をあたえぬよう、私はできるだけの

277 あるヒステリ ー患者の分析の断片

を、不愉快ながら私は知っている。このような読者に対しては、 私がとれから先報告する病歴はすべてとの症例と同じ程度の秘 密保証で彼らの好奇心から守られるであろう、と断言しておく。 むろん乙の決意によって 、私の材料の選択の自由は 、まったく 極端な制限を蒙るのではあるが。 ところで医師としての分別による 制約ゃ、不利な事情K, つ ち かつてうる ζとのできたこの症例のなかでは、性的関係はでき

* リ ヒ アル ト・ シュミット

O二年、序。

﹃ インド人 の性愛について﹄ 一 九

乙乙で 、乙 の病歴報告を書きあげるについての技術的困難を、

日乙の穫の精神療法を七、八回実施せねばならず、そのうえ患

どんな方法で克服したか述べることにしよう。との悶難は 、毎

者との面接時間中、患者に不信の念を起乙させ、収集する資料 の把握に障りになるからというので 、 ノート をとる乙とさえ許

されぬ医師にとって相当なものである。また長期にわたる治療

には、治療期間が 三カ月以上にわたらなかっ たとと。第こには、

歴を学術報告にまとめる乙とも、私にはまだ未解決な課題なの である。こ乙に提出した症例には二 つの事情が幸いした。第 一

れた夢をめぐって集中したことである。乙の夢の逐時記録は、

るだけ率直に述べられ、性生活の器官や機能はそのとおりの名 でよ ばれている。それでお問い読者は 、私がうら若い女性とす −7・ 1 ら、かかる主題についてかかる言葉で議論する乙とをためらわ なかった という確信を 、私の叙述からひきだすであろう。この ような非難に対しても私は弁明するのだろうか。私は単に婦人

面接の直後に確定され 、解釈と回想との合せ織りを織りあげる

憶をたどって書き下された。乙のような方法によっても、下 書

のに 、確かな支えとなった。病歴そのものは、治療の完結後ま だ私の回想が新鮮で 、出版への窓欲が高まっているうちに 、記

乙の症例の解明が、治療の半ばと、終りの二固にわたって語ら

満足の絶好の手段だと思うひとがあれば、それ乙そ倒錯し、異

科医の権利を||おそらくそれよりはるかにつましい権利を| |要求するに過ぎない 。そして乙の種の対話が 、性欲の興穏と 常となった欲情の兆だと説明しよう。ところでこの件について 私の見解を、ある書物からの引用文で表わして見たくなった。

きは絶対的に||蓄音機的にll忠実であるとはいえないだろ うが 、一向度の信頼を要求しうるものではあろう。いくつかの箇

﹁科学的著作に おいてすら、かかる抗議や宣言に譲歩せねばな らぬ乙とは、ま乙 とに嘆かわしい。 しかしそのことで私を責め

所で、解釈が下された順序が変えてある以外、木質的な乙とは

ツアイ ap・ガイ Zhp

るかわりに、もはや真面目な本はどれもその存在が保証されえ

すとしも変更されていない。そして ζれとても、との症例をよ

ないような状況にわれわれを追いつめた、時代精神を告発して *

ほしいのだ﹂

278

り脈絡あるものにするために なされたも のである 。

成り立たぬ読者には 、乙 の症例研究はきわめて不満足なもの と 思われるであろう。そのような読者は 、 乙のなかに自分たちの

けで 、 との病陛は夢判断の知識を前提としており、その前提が

れている著者の上に投げかけるであろう。事実は、との困惑的

探し求めていた解明のかわりに、ただ困惑のみを見出し、つぎ にはきっと乙の 困惑の原因を 、ひ とびとから空想家だと宣告 さ

つぎに 、 ζの報告のなかで人が見出すもの、または、見落と しがちな ものをとくに指摘してみよう。 乙の労作の表題はもともと、﹃夢とヒステリー﹄というので あ った。というのは、乙の研究は、 夢の解釈が ︵ヒステリー︶ 治療歴中にどのように組み込まれるのか、それからまた、夢解

のであり、解明しようとすればまた姿を現わすのである。神経

な乙ととそ神経症現象自体と切 り離せぬものなのである。それ はただ医師がその事実に慣れてしまって見すど してい るだけな

釈の助けによって 、記憶欠損の補填と症状の解明がどのように してえられ るのか 、をしめすのにとくにむい ていると私には思

はしだいしだいに、より確実な知識の対象となってゆくのであ

事実は つぎの ととを物語っ てい る。すなわち、むしろそれとは 反対に、われわれは神経症の研究から、非常に多くの新しいも のごとを 認めた いと強く思うのだが 、それらの新しいものどと

症を既知の諸要因へと徹底的に遡るととができ たな ら、 との困 惑をすべて追放するとともできるであろう。しかしおおよその

えるか らである。私が乙 乙に 意図し ている、神経症の 心理学に 関する著作の出版に先立って、一九O O年に 、苦 心 の作であり、 *

理解が不十分であるかを知るととができたのだった。私の立論

深く徹した夢についての研究を世に送ったのは、かならずしも 理由がな いわけではな かっ た。しかし 、そ の著作の迎 えられか

は資料不足で、追試による 確認が えがたいとする反論 は、乙の

ると。新しいととというのはいつも図惑と抵抗をかきたてたも

たから、ま だ当時はこの種の努力に対し、専門家すらどんなに

場合何の力ももたないのである。なぜなら、各人はそれぞれ自

のである。

同じように卓越した位置を認めてもよい、と誰かが信じるとす ればそれは誤りである。

しかし 、 すべての精神分析で 、夢とその解釈に 、と の症例と

ネ﹃夢判断﹂、ヴィ lン、一九OO年 。

分自身の夢を分析の実験に使えるのだし、夢解釈の技術は私の あたえた指示と実例により、容易に習得できるのだから。現在 も当時と同様、私は主張せねばならない。 夢の諸問題への没頭

んのてこ歩前進する乙とすら見込みうすであると。というわ

は 、 ヒステリ ーや他の精神神経症の精神過程を了解するための 不可欠の前提であり、と の準備作業なくしては、この領域でほ

279 あるヒステ リー患者の分析の断片

してい るのである。私には一年以上にわたる病歴の資料は、う

な諸点は 、乙 の病歴の出版を可能ならしめたかの諸事情と関連

の諸点では私が期待し たよ り貧しいのである。しかし乙の不足

ζの症例は夢の利用という点ではすぐれて見えようとも、他

べての

ら、そのつど出発する。そして、ある 症状の解決に問涼する す

者の注訟力に彼の無志識が対したとき現われる無意識の表凶か

では忠者自身に日々の分析の主題を決定させる。すなわち、患

微妙な精進にあまり過していないと思ったからである。私は今

ζとがらを、細分され 、種々な脈絡に織り ζまれ 、時間

まく ζなせない 、と前にいった。 ζのわずか三カ月の病歴は、

のなかで遠く分断されたまま受け取るのである。乙の一見不利 な印象にもかかわらず、と の新技法は古いそれよりはるかにす

概観する乙とも思い起こす乙ともできたが、それからえられた 結果は、一つならず多くの点で不完全なままであった。治療は

ぐれており、矛盾のな い 、 唯 一の可能なものなのである。

破損はしていても測りしれぬ 価値のある古代の泣物を、長い埋

、 私の分析結果の不備に商函し、私の とりうるただ一 つの 道 は

所期の目校まで進展せず、ある地点まで到達したとき、患者の 三はまだ まっ たく手が つけられ ていなかっ たし、他 の謎もやっ

没から発掘する幸運にめぐまれたかの研究者の例にしたがう こ

意士山によって中止された。との時までに 、 との症例の謎の二 、 ζの分析

とであった。私はこの不備な部分を、他の分析例から知る乙と のできた最良の範例で、補足したが 、良心的な考古学者と同じ

と不完 全な形で明らかにできただけであっ た 。 むろん

が継続された なら、最終的な可能なかぎりの解明 へと、 あらゆ る点で 肉迫でき たで あろうが。いずれ にしろ、乙乙では 一精神

今一つの不完全な点は私が自ら意図して導きいれたものであ

く、そのどの場合においても、真正な部分に私の構成した部 分 がど乙でつけ加わるかを、かならずしめしておいた。

。 分析例 の断片を提供するにすぎな い ﹃ ヒ ステリー研究﹂のなかで述べられた分析技法になじんだ読

定要因とを指し しめすととであっ た。と の ζとと同時 他の課

κ

たのは、神経杭疾患の密接 に関連しあう構造と、その﹄紅状の 決

る。私は患者の連想や報告についてなされた解釈作業の過程を 原則としては再現せず、その 結果 のみを記すに とどめ た。それ ゆえ分析の技法は 、夢の場合を除き 、 ほんのこ 、三の筒所で明 らかにされる だけで ある。 ζの病歴のなかでとくに私が間同意 し

者にとって、三カ月たってもまだ、把握した症状を最終的に解 決する可能性すら見出せないでいるというととは不思議に岡山 わ れるであろう。しかし このことは、﹃ヒステリー研究﹂以来、 精神分析技法が根本的な革命を経験した乙とを私が伝えれば 、 、 了解で きるだろう。当時は、分析を進めるの に症状より出発し それらの 解決を順 々とはかつていくのが目標であった。その後 私は乙の 技法を放棄してしまった 。なぜ なら、それ は神経症の

280

題をもやりとげようとしたなら、解決しがたい混乱をつくりだ し た だ けだったであろう。技法的な 、多 く は 経 験 的 に 発 見 さ れ た 法 則 を 基 礎 づ け る た め に は 、多 く の 治 療 肢 か ら の 材 料 を 収 集 せねばならなかったろう。とはいえ技法的部分の圧縮によって でほしい。 ζの患者 の 場 合、 技法 的 操作 で も っ と も 難 し い 部 分

な さ れ た 、 乙 の 症 例 の 簡 略 化 の 程 度 を、 あ ま り 大 き く と ら な い は 問題にならなかった 、 というのは 、 ﹁転 移 ﹂ の 契 機 は 、 | ! こ のことについては 、 病 歴 の 最 後 で ふ れ る の で あ る が ー ー と の 短 期 間 の 治 療 の あ い だ に 話 に 上らなかっ たからである。 乙の報告 の 第 三 の 種 類 の 不 完 全 さ に ついては、 患 者 も 著 者 も

llヒステリ ー

ともに責任はない。たった一つの病歴が、ーーたとえそれが完 笠で 、 疑問の余地のないものであっ たと し て も

し ろ当 然 な の で あ る 。 そ れ は ヒ ス テ リ ー疾患の類型のすべての

問 題 か ら 生 じ る あ ら ゆ る 疑問に答える ととができないのは、む

ス テ リ ー に お け る 心 的 な も の と 身 体的 な も の と の 連 関 の あ ら ゆ

も の を 、 ま た 神 経 症 の 内 部 構 造 の あら ゆ る 形 態 を、 さらに 、ヒ る可能な種類を、知悉させるものではない。ただ一つの症例か ら、それがあたえる乙とができる以上のものを要求するのは正 一症例による知見によっ

当ではない。そしてまた、ヒステリーの性心理的病因の普遍妥 当性を乙れまで信じえなかった者が、

て ζ のような確信を獲得するという ζともほとんどありえない。 せ い ぜ い の と 乙 ろ 、 彼 が 自 分 の 仕 事で 一つの確信をうち だ す 権

利 を 獲得するまで 、 彼 の 判 断 を 保 留 さ せ る 程 度 の

* ζと で あ ろう。

ネ︹一九二 三年の追加︺乙乙に報告した治療は、一八九九年十二 月三十一日で中断された。報告は引きつづく二週間のうちに書き下

されたが 、出版されたのは一九O五年である。私がその後二 十年以 上もつづけてきた研究によっても、と の種の症例に対する見解と説 明をすとしも変更する必要がない、などという ととは 期待しうべく もない。しかし、 ζの病廃を今日の知見の水準に適合させるべく、 アプ−yl−aylト 訂正と増摘によって、﹁現代向き﹂に仕立て上げることは明らかに 無意味である。それで私は、本質的な点では、以前の版に なんら手 失訳者であるジ ェ! ムス を加えずにおいた。ただ私の本のすぐれた+

・ストレッチ ィ夫妻が注意してくれ た本文中 の遺漏、不正確な筒所 だけは訂正しておいた。付加する乙とが許されると恩われる批判的 補足を、乙 の病歴のと ころどとろに補注として入れておいた。とれ らの補足中に、本文に矛盾する何ものをも見出しえないなら、読者 は、私が今日もなお 、木文に代表される意見を確固として守りつづ けていると思ってくれるはずだ。私が乙の序言でふれた医師の分別 という問題は、本書の他の病歴にとっ ては考慮を要しない。なぜな ら、そ のなかの三編は患者の同意をえており、 ハンス坊やの症例で は、父親の同意をえて出版されたからである。また一例︵シュレ l パ1症例︶では、分析の対象はもともと個人ではなく、その個人の 著わした書物なのである。ドラの症例は今年になるまで秘密が守ら れてきた。私は最近つぎのととを耳にした。ずっと以前に私のもと

から遠ざかったその婦人が、今また新たに他の原因で病気になり、 彼女の医師に 、少女のとろ私の精神分析の対象になったととがある 、 と告白したと。そうとすれば、との症例報告は、すべてに通じたそ の同僚に、彼女が一八九九年のドラである ζとを容易に傍らせるで

281 あるヒステリ ー患者の分析の断片

あろう・当時の三カ月にわたる治療がそのときの心的高藤の軽減に しか役立たなかった乙と、また当時 の治療が後牟の発病を防止でき なかったとと、これらについては分析療法に公平な考えをもつひと なら、す乙しも非難を加えないであろう.

臨床像

ζで以下の頁に

に理解できる思考言語の表現形式に 、どのようにして夢の 言葉

を翻訳するか、を会得しはじめていた。私はとの知識が精神分

析家にとって不可欠のものである乙とを主張したい。なぜなら、

自らの内容によって生まれた抵抗のため、意識から閉めだされ、

抑圧をうけ、病原的となった心的材料が、どのようにして意識

に到達できるか 、 その道の一つを 、夢がしめすからである。 つ

ののいわゆる間接的表現法のなかで、主要な手段をなすもので

ま り、夢は抑圧を避けて通る廻り道の 一つであり、精神的なも

ある。さて 、 ︹精神︺分析の仕事に 、夢解釈がどのように介入

するかは、 とのヒステリ ー少女の治療歴の断片が明らかにする であろう。同時に 、 それは︹ヒステリ ーの︺精神過程、 および

務質的諸条件についての私の見解の若干を、はじめて誤解の余 地のない長さで 、公にする機会をあたえるものである。乙の叙

おいては、渉解釈の技術に許された唯一の臨床的使用法の実例

ぜな ら、ヒステリー患者が医師や研究者に呈する法外な要求を

述の長さについては 、今さら弁解する必要はないであろう。な

私が夢の問題に出会うようになったかを述べておいた。私はそ

愛のともった徹底によってである

みたしてやれるのは、 いんぎんな軽蔑によっ てではなく 、ただ 、

︹ファウスト第一部路女の闘の場︺ * ﹃夢判断﹄一九OO年、六八一 只。第七版、一九二二年、七O京.

その仕事には技術や学問ばかりか忍耐も必要なのです

ζとが、一般に認められたの

の問題を、 精神神経症を特種な精神療法で治療しようと努力し

。 であるか ら

ように忠われた。私は当時、それ以上何の助けもなしにただち

がれた 、長い述関の糸のなかに組み込まれる乙とを欲している

が、それ らの夢は、病原的な観念と病気の来状とのあいだに紡

生活の種々な出来事とともに 、彼らの夢をも語ったのであった

ていたさいに見出したのである。私の患者たちは 、彼らの精神



を提供したい。すでに私は自分の本のなかで、どのようにして

れた思考におきかえうること、 を証明した。そ

は解釈しうるものであること、 また解釈作業が完了すれば 、夢 を、既知の館所の精神的関連にぴったり迎合し、完帥昨況に構成さ

夢判断 ﹂ のなかで 、私は、一 般に夢 一九O O年に公刊した ﹁

I

282

く迷った後に最初の供述に 戻ったりする。患者が病歴と関連さ

せて自分の生活史を秩序だって述べる乙とができないのは 、神 * 経症だけの特徴ではないにしても、 それが大きな理論的意義を

ず舎

も っている乙とは否めないことである。ところで 、ととに 述べ

隙のない、完全にでき上がった病歴が前もってあたえられて いたな ら、読者を初めから、医学的観察者の状況とはまったく

たような能力欠如は、つぎのような理由による。第 一。串銭台は、 自分が熟知しており、話さねばならぬととの一部分を 、 いまだ

異なった状況に置くこともできたであろう。患者の家族ーーと

克服できずにいる危倶と去恥の念から、︵他人を考慮せねばな

の場合、十八歳の少女の父||の報告は 、大体は病気のはなは だぼんやりした経過をあたえるだけである。私はそとで、生活 lシ圏ン

史と病歴とをすべて話すよう患者に要求す る乙とから治療を開

らぬ場合には 、分別 の念から︶意識的かつ怠図的に抑制して し まう。とれは意識的な不誠実の関与する場合である。第二。他 e 勾リ Z M

’ ・ 始するのだが、私が聞くことができるのは 、治療の方向 づけを

は表面的になり、間隙は埋められず、謎は残されたままであり、

るかもしれない。ところが、つづく他の時期については、報告

そ乙乙乙 の時期の生活については、十分な 、脈絡ある話を伝え

てこ のような報告をする能力はないのである。なるほど彼らは

思うのである。実際のところ、乙 れらの患者には、自分につい

うしてあのように円滑で厳密に作る乙とができたのか不思議に

とができる。私は世の著者たちがヒステリ ー患者の病歴を、ど

させられ浅瀬になったりする、船の通わぬ河の流れに比べる乙

断絶されるのである。との最後のものは 、記憶の蓄えのなかで

して

は、連関を廃棄する乙とによってもまた確実に達成できる。そ

が記憶に残っている場合には 、健忘の根底にひそんで いる目的

誤などの存在をかならずしも否定できない場合。事件そのもの

らにまた乙の欠損を二次的に充填するために形成された記憶錯

想のみならず、ど く最近の回想もこのなかに埋没されるーーさ

実の関与する場合。第三。事実上の健忘、記憶欠損||昔の回

患者が意図して行な った・ものではない。すなわち無意識的不誠

のときなら患者が思うまま に取り扱える前病歴の一部の記憶が 、 とれを語っているあいだに脱落して し ま う、し かもとの抑制は

するにはやはり不十分なものである。乙の初回の話は、ある時 は河床が山石でせきとめられたり、また時には砂州によっ て分流

さらにどんな報告もえ られず、まったく暗黒で 、解明不能な時

一 ζの連関は、事件の 時間的順序を変更すれば 、

* *

期にぶつかるのである。その脈絡は、表面的なものですら、大

常にもっとも損傷されやすい 、また一番先に抑圧に服する構成 要素である乙とをしめしている。われわれは 、い わば抑圧の第

番確実に

部分断裂しており、種々の出来事の起 ζる順序も不確かである。 患者は話の最中ですら、繰り返し供述や日付を−訂正し、しばら

283 あるヒステリ ー患者の分析の断片

一段階ともいいうる時期に 、多くの回想に出会うのであるが 、

保持しがたいととが判明してくるし、記憶の欠損部は埋められ る。ほほ治療の終りになって 、 初めて 、首尾一貫し、了解可能

り、思いつけなかったりしたものを補足してくる。記憶錯誤は

一歳半年長の兄とをふくんでいた。支配的な人物は父親であり、

十八歳の乙の女子患者の家族は、本人の他、両親と彼女より

しも遺伝要因を探索するた めばかりではない。

関係に向けられる。しかもこれは後にしめすように 、かな らず

にはらわねばならない。とくにわれわれの関心は 、 患者の家族

症例におい ては、 身体的なデlタlや疾患の症状にはらわれる のと同等の注意を、患者の純粋に人間的な 、また社会的な状態

精神分析の素材を形成している事物の性質からいっ て、乙の

もまたえられる。同一の道が双方に通じているのである。

し、との二つ の目標は一つ になる。片方が達成されれば、他方

の記憶の障害をすべて治療するということが課題となる。しか

考に取りかえることにあるなら、別の理論的目標としては患者

目的が 、 ありうる症状のすべてを除去し 、それを意識され た思

な、空きのない病肢を、通観するととができる。治療の実際的

それ らは遼巡の影をおびて語られるのである。 しばらく後にな * * キ ると、 ζの迷いは、忘却か記憶錯誤でと って かわられる。

− 。

* か つ て 私 の閃僚が、自分の妹の精神療法を私に依頼し てきた。 彼によれば 、彼女は十年来ヒステリ ー ︵疹痛と歩行降筈︶の治療を うけてきたが、 ききめがないのであった。簡単な︹病状の︺ 説明と その 診断とはよく一致するように思えた 。だ が私は患者との 最初の 面接で、患者自身に病歴を話させ た。彼女のほのめかした事件が特 別なものだったのに もかかわらず、との 話は明解で繋然としていた ので私は心のなかで 思った。﹁とのケlスはヒ ステリ ーで はない﹂ そしてただちに慎重な身体的検紫を実施した 。そ の結果、かなり進 行した脊髄務の診断が明らかにされ 、 水銀剤注射︵ラング教授の 252E出︶に よる治療で 、かなり の改善をえ たのであった。 * 本 健 忘 と 記憶錯誤とは 、互いに相補的な関係にある。大きな 記憶欠績があるところでは、ほと んど記憶錯誤には出会はない。逆 花 、 記憶錯誤があれば 、健忘の存在は 、 一 見、完全に複い隠されて 。 しま う ***経験上えられた法則は、怠者が自ら迷いながら語る説明 で は 、 語り手の判断をまったく無視せよ、と教えてい る。もし説明 が二つの形のあいだで動印加する場合は、最初のほうがむしろ正しく、 第二のものが抑圧の産物だと思ってよい。

乙れはまた、患者 の幼児期と病歴の骨組をもあたえ てい るのだ

それは彼の知性と性格によるばかりでなく、その生活状況||

がーーによってでもある。私が ζの患者の 治療にあ たった とき には、彼はまさに四十歳台の後半の 、並々ならぬ名声 と才能を

病歴に関連する回想のこのような状態は 、病気の症状の 、 必 然的な、また理論的にも要請される相関因子である。治療の経

。 有する繁栄し た工 場終営者であっ た

ζの娘は彼に特別な愛情

過につれて、患者はつ ねに知っ てはいながら抑圧してしまった

284

行動や特徴にそれだけ強い反感を抱いたのである。

でなついており、その早くから目覚めた批判は、父親の多くの

ζれまで残って いた 障害はすべて消退したのであっ た。との 幸

感 染 を 告 白した 後、 精力的に駆線療法に取りかかり、その 結果

ンにおいて近づきになった。との姉は、ヒステリー性格的な症

私はそのあいだに 、 ζ の父のほんの少し年長の姉と、ヴィl

運な介入の ために 、 四年後にとの父が 、は っきり神経症的に な ってしまった娘を私に紹介し 、その後の二年間、精神療法にゆ

めぐまれた小都会に移住する乙とになった。肺疾患はそ乙で急

状はないが、笠症の神経症であると認められた。そして不幸な

乙の愛情はさらに、父の多病と重患によって強められた。彼

速な回復をしめしたが、病後の静養に好適な、乙の私がB とよ

結婚生活の後、急速に進行する衰弱という、 事実上いまだ 十 分

だねたのである。

ぷ土地は、ひきつづくほぼ十年間、両親のみならず子供たちの

父の結核寵患のため、家族はオーストリア南部地芳の、気候に

主要な滞在地であった。父親は 、 調子が良い と、自分の工場を

女が七歳の ζろから父はずっと病んでいたのである。その当時、

訪れるためしばらく不在であった。真夏には、一家は高原の保

十 八歳のとき私の患者となった 乙の少女は 、以前から父系の

心気的な青年であった。

との 父の弟は ||私は乙 の男にときどき顔を合わせ たが||

に解明されていない現象を是しつつ死んだのだった。

養地を訪れるのであっ た。 少女がほぼ十歳になったとろ、 父の網膜剥離のため 、暗室療 法が必裂となった。 ζの突然の病の結果、永続的な視力障害が

は、自分の模範を前述の父方の伯母にみていたのであった。彼

家族の側に好感をもって いた。そして彼女が病気になってから

女 が 、 その才能と知的早川烈ばかりでなく、その病的素質の点で

後に残った。もっとも重大な病気は二年後に起こった。それは、 の一友人はーーその役割については、もっと後で述べる乙とと

われた。私は母とはまだ知りあっていなかった。父と少女の報

も、父方の家系に属している乙とは、私には疑問の余地なく恩

麻揮症状と軽い精神障害をともなった錯乱発作であった。患者 する がll当時、ほ とんど快方に向かわない乙の患者に 、医師

彼女は然教養なばかりか思かであり、 と く に夫の病気とそれに

告 か ら、私は母に ついてつ ぎのように想像せねばならなかった。

とともにヴィ l ンに 旅行し 、私の助言を﹄つけることを奨めた。

結果 ﹁ 主婦精神病﹂とでも名づけうるような状態を呈し ている

闘嵐官と舟.行紙鮮の共存状態。脊凶携は運動失側、終捕、深節感覚呉

私は、ひととき、彼を脊髄済進行麻揮︵配日純一山叫剛一能酬札いの刊 RW JL− 与 常などの症状、進行麻簿は痴dを中心とする精神症状を県する ・訳 者 ﹂ J J なすのをためらったが、調満性血管炎症︵州z d u r r料品州一切一一川町

つづく夫の心の疎隔以来、すべての関心を家政に集中し、その

側一川町一↑明初抑制純︶の診断を下す決意をし、患者が婚前の特別な

28 5 あるヒステリー患者の分析の断片

なく、彼女は日がな一目、住居や家具や引器矧をきれいにし、

婦人であると。子供たちの生き生きとした興味を理解すること

うち、驚くほど多くのパーセントが脊髄務か進行麻原をわずらった

きれいに保つ乙とに専念しており、そのため、それらのものを の状態はーーその前兆は普通の主婦にもよく見切つけるのである

使ったり、楽しんだりすることは不可能に近いのであった。乙 が||沈澱強迫やその他の清潔強迫の形と同等とみとめないわ けにはいかない。しかしそれらの婦人や私の患者の母親には、 の本質的特徴が欠けているのではあるが。母娘の関係は数年前

病識が完全に欠如しており、したがって ﹁ 強迫一経症﹂として



とれは 最初ある小さな登山パーティの 後で出現したもので 、 し

時彼女は慢性的な、発作性に高進する呼吸困難を︷病んでいたが、

が||八歳のときすでに神経的な症状をしめしていた。その当

われわれの患者は ||今後ドラという名をあたえようと思う

いに接近させた。

普通の性的牽引力が 、 父と娘を一方で、母と息子を他方で 、 互

ならぬときには 、 母親の側に立つのだった。乙のようにして 、

のがれるように努めていた。もし彼がどちらかの味方をせねば

は疎遠になっていた。青年は家族のごた ごた から、できるだけ

以前彼女の野心をかりたてる模範であったが、近年兄妹の間柄

との少女のただひとりの兄妹である一年六カ月年長の兄は、

父斜の子供である。私の治療法の新奇さのために、私のととろには すでに何年も治療効果がなかったような、もっとも章症なケ1 スの みがやってくる。エルプ・フルニエの説に左組する者としては、父 親の脊随時開または進行麻停は、過去の梅毒感染を指示するものとみ なしうるが、このことは、私によってもこれらの父親のかなりの者 について直擬確かめられている。梅毒巾向山者の子孫に関する最近の討 議 の な か で こ 九OO年八月二日l九日、パリにおける第十三回国 際医学会議、ファンヂェ、タルノスキl、ジュリア ンなどの報告︶ 神経病迎学者としての私の経験が承認をせまる、つぎの事実が言及 されてないのに気づいた。つまり父親の梅毒は、その子供の神経病 的体質の病因として、京視されなければならぬ、というととである・

からはなはだ悪くなっていた。娘は母を見下し、冷酷に批判し 、 その影響から完全に脱し去っていね。

J

*ヒステリーの唯一の病問は遺伝負悶である、とする見解に私 は立脚するものではないが、この点について、以前に出版した論文 ︵﹃神絞症の近伝と病問﹄。神経学雑誌H N255zzo間五日一八 九六年。全集第一巻収録︶のことを考慮してほしい。それらの論文 のなかで私は、ヒステリーの病因について、遺伝を軽視する印象も、 またそれを絶対不可欠なものとする印象もあたえずに、前述の命題 を論破している。との少女の症例でも、父およびその同胞は、十分 な病的遺伝負凶を分有している。それどとろか、母のような病像は 遺伝的素凶が存在せねば不可能であるとする見解のひとびとにとっ コ ヘル ヲ η uとして説明できよう。私には、こ ては、との症例の遺伝負印は閥抗附 の少女の遺伝的素凶、より適切には体質的素因、にとって、他の契 機のほうがよりお一大だと忠える。前述のごとく、父は結妨前に梅毒 に権慰したのであった。ところで私の精神分析治療を・つけた患者の

286

その持続期間は三ないし 五週間であり、 一度だけ数カ月にもお よんだ。 ζのような発作の前半で 、もっとも厄介な来状は ||

たがっ て 、 過労と関係づけられたのであった。その状態は、有 無をいわさぬ休息と保養によって 、半年のあいだに徐々に消返 少なくとも乙

各種の常奈的な治療は 、水治法や局所の霞気治療をふくめ、無 ζうい ・ つ状態 の下で 、独自の判断を有する成熟し

た神経症の問題なのだ 、という 診断 は、早くから確定していた。

ζ数年においては||完全失声であった。とれま

した。家庭医は 、 ︹乙れが︺純粋に神経的な障害であるとの診 断を下すととに 、また呼吸困難の原因として器質的原因を除外 する ζとに 、 一瞬たりとも遼巡を感じなかったように恩われる。

た処女に成長してきたとの少女は 、医者たちの努力を噸り、つ

効であった。



って いたこ とは明らかである。 ζの最初の発病の 、大略の誘因 については、後の記述を参照の 乙

したのだったが 、 との長々とつづいていた発作が自然に治まっ てしまったので 、 乙の提案は採用されなかった。翌年の冬、彼

れていた十六歳の 初変であり、当時すでに私は精神療法を提案

私が且取初に彼女に会ったのは 、彼女が咳と嘆声につきまとわ

てやっときたのであった。

る。新しい医者に診察してもらおうとする提案は 、どれも彼女 の抵抗を刺激し 、私のと乙ろにも、父の綜力づくの命令によっ

その家庭医の人柄に対し ては何の反感ももた なかったが 、 いず れにしろ、医師に相談するととに初めから逆らっていたのであ

いには医師の助力を断念するととにも慣れてきていた。彼女は 、

しかし彼がそのような診断と過労という病因が両立しうると回心

.* L ’w

少女は 、ありきたりの小児伝染病を、後に何の障害も残さず 経過し た。彼女が語ったように ︵ 象徴的な意図を込めて語っ た



ように て い つも兄がまず病気になるのだが、症状は軽く、 つ づいて彼女が重い病状で後を追うのであっ た。十二歳どろより、 ’グ νl

それぞれ途った発展を辿るようになった。偏頭痛はだんだん稀

女は伯母さんの死んだ後、ヴィ l ンの伯父の家に 、伯父やその

偏頭痛様の片側の頭痛と神経性の咳が始まった。はじめのうち は、 いつも相ともなって 、終りには二つの症状は五いに別々に 、 になり十六歳になると全快した。神経性咳 吋 52520E の

娘たちと一絡に科、りしていたが、そ乙で 、当時盲腸炎と診断さ

れたような状態で一向熱の病にかかった。その秋、少女の一家は、



発作は ︵ その最初のきっかけはむろん 普通のカタルがあ たえた のではあるが

父親の健康がそれに堪えられるようになったと恩われたので 、 最終的に保養地Bを立ちさり、最初は父の工場の所在地に 、つ

全経過を通じ固着していた。彼女が十八歳で

︶ 私の治療をう、 けるように な ったとき、彼女はまたしも、との特 徴的な咳をしていた。乙の咳発作の回数は確定しがたかったが、

287 ある ヒステ リー患者の分析の断片

本第二の夢、参照。

いでほぼ一 年後 には、ヴィ1ンに永住するようになった。

そのあいだにドラ は知的で魅力的な顔立ち の花咲く処女に成 長し たが、 彼女は両親にとっ ては 深い変慮のたねになったので ていた。彼女は明らかに、自分自身にも、また自分の家族にも

ある。彼女の病気の主要徴候は 、不気嫌と性格変化と にかわっ 満足しておらず、父にはうちとけず、彼女をすっか り家政の 仕 事に引っぱりともうとする母とは、もはやまったく仲違いをし ていた。 ひととの 交際は避けていた。が 、ロにしてい た疲労と

鎖に関する私の洞祭とは 、断片 のままにとどまっ ている.それゆえ 私は多くの点で、何等の結論を下しえず、また は惟定や暗示を下す のみである。ある面接時にこの手紙が話題に上がったさい、少女は 驚いたようにたずねた。﹁どうしてこの 手紙が見つか ったのですか @ とれは私の書物机 にしまつであったのに﹂しかし彼女は、而親が こ の遺書の下書きを読んでしまったことを知っていたことから、私は 、 彼女自身が両親の手に ζの手紙をわたるようにはからっ たのだ、と 推論する。 **との発作には、悠僚と諸妄も観察されただろう、と私は考 える。だが精神分析も ζの附来事につ いて はとれ以上迫れ ないので、 との点について確実な回想を手に入れたわけではな い。

失声、さらには偏頭痛、不気嫌、ヒ ステリー性の交際嫌い、そ

ないものに思えるかもしれない。すなわち呼吸困難、神経性咳、

ζれまで私が素描した病歴は、 全体として 、報告する価値の

真剣な勉学に はげんだ りしていた。 ある日の ζと、両親は、 少

放心状態の許すかぎり、婦人のための講座を聞きに出かけたり、 女の書物机の上か中かで見つけた一通の手紙により仰天させら

プテ

して おそらくあまり真面目 とは 思えぬ生の倦怠 吋宮 o 内法ロヨゴg i

れた。手紙のなかには、もはや生きて ゆく に堪えられなくなっ

・ヒ ス 少 リ

など、もっともありきたりの身体的、 精神的症状を 呈する﹁小



たからという辺自で、両親へ の別れが告げられ であった。か な

ヒステリー﹂である。もちろんもっと興味のある ヒステリーの

病歴が公刊されているに迷いないし、 それらの多くは 、よ り 慎 重に記録されているであろう。というのは 、以下の叙述には 、

りの洞察力をもっ父親は 、少女を左右しているのは真剣な自殺 企凶で はないことを認めはしたが 、すっかり動転してしまっ た。 そしてある日、父と娘のあいだにわずかな言葉のやりとりがあ

仮についてすら、 何も見出されてないのであるから。ヒステ リ

弘山町引い︶等々の伐 皮腐感覚高進、視野狭窄 ︵ か村川一位相一訂一

* ネ

って後、娘K最初の失神発作||乙の発作に対してはやがて健

の相変らず謎 にみちた疾患の知見をあまり促進させなかった 、

ーについて、奇妙で驚くべき現象をすべて集収する乙とは 、乙

忘も後に残った||が起きるにおよび、父は彼女の反抗をおし きって、私の治療を受けさせることに決めたのであった。 * 前 述のように 、 ζの症例の治療と、病股を形成する事象の 述

288

ということを注意するにとどめよう。われわれに必裂なととは、 い、典型的症状を備えた症例の解明である。もしもろもろの事

まさにヒステリーのなかでもっとも平凡な、もっとも頻度の多 情が 、乙の小ヒステリー の症例に完全な解明をあたえる乙とを 許したのなら、私は十分満足だったであろう。私の他の患者に たしただろうと、信じて疑わないのである。

3

おける諸経験か りしても、私の精神分析的手法がそれを十分果 一八九六年、プロイヤl博士と﹃ヒステリー研究﹂を公刊し た直後に、私はひとりの高名な専門家に、乙の本のなかで表明 された 、ヒ ステリ ーの心理学的理論について、彼の意見をたず ねた。それに対して彼は、直裁に、それは二、三のケl スにつ いて 正しいかもしれない 結論の不当な一般化だと思う旨、返事 して きた。そのとき以来私は無数のヒステ リー症例を見てきた。 そして、その症例一つ一つに数日、数週、または数年もたずさ わってきたのであるが 、そ のなかの一例たりとも、﹃研究﹄の なかで定立した、あの精神的諸条件||すなわち心的外傷、情

キ乙とに後者の一例をあげよ う。ヴィ 1ンの私の一同僚は ︵ ヒ ステリ ーにおい て性的契機は於裂ではないとする彼の信念は 、おそ らく乙のような経験を?っじではなはだしく強められたのであろ うて十四歳の設篤なヒステリー性の唖吐を呈した少女に、意を決 して、彼女が男と関係をもったととがあるだろう、という残酷な質 問をした。少女は﹁いいえ﹂と答えた。おそらくびっくりした椛子 をうまく装って。あとで母親に不作法な調子でいった。﹁母さん。 考えてもどらん。あの馬鹿野郎は 、私に男があるだろう、とたずね たりしたのよ﹂やがて、彼女は私の治療をうけにきたが、もちろん、 最初の面談のときすぐにではなかったが、長年の自滑常川作者であり、 ひどい白帯下をもっていたことが︵乙れは恒吐と多大の関連をもっ ていた︶明らかとなった。 彼女は終いにはその悪均白からぬけだす乙 とができたが、禁断時に激しい罪実感に苦しめられ、その結果家族 にふりかかる不幸はすべて、自分のおかした罪に対する神の罰であ るとみなすにいたった。その他彼女は、叔母のロマンスに形怨され ていたが、その叙母の婚外妊娠は ︵ 怪吐の第二の決定因︶うまく彼 女に隠しおおせたといわれていたのだった。彼女は﹁まだまったく 子供﹂だとされていたが、事実は、性的関係の本質的な事柄すべて につうじていた乙とをしめしたのである。

私の患者であるドラについては、すでに何度も指摘した彼女

動葛藤、および後の版でつけ加えたように 、性的領域での興奮 ーーを欠くものはなかった。もちろん、患者が隠そうと努める

つきを探す必要は、すくなくとも最近の病気の形成過程につい

の父の分りの良さによって、自分が病気にたいする生活の結び

の者は、 Bにいるあいだに 、同地に数年前から住んでいるある

ては、な かったのである。父親は次のように語った。彼の一家

ととにより、病原的となってしまった事柄については、それを うかといってこの探究に抵抗する最初の﹁否﹂によって、あき

ナイン

患者のほうから医者に対しぶつけてくるとは期待できない。 そ *

らめてしまう ζともできないのである。

289 あるヒステリー患者の分析の断片

夫婦と親交を結んだ。 K夫人は、大患の問中、彼を看護してく れ、それによって彼から消えがたい感謝の念をかちえたのだっ たO K氏は、彼の娘ドラに、いつもたいそう愛想が良かったが、 Bにいるあいだ、ドラと散歩したり、ちょっとした贈物をした

﹁ 私はとの突発事は、ドラの不気嫌、

﹁ 想像で作り上げた﹂のであると。

ような講義に熱くなって、彼女の話したような事件をすべて 父親は話しをつづけた。

ドラは K夫妻の二人の子供を、 いわば母親がわりのように 、注

れはできない。というのは第一に、ドラが告白した、男の不徳

て疑わない。彼女は私に 、K氏、とくに以前彼女が大変尊敬し ていた K夫人との交際を断つように求めた。しかし 、私にはそ

いらいら、それに自殺したいという思いなどに責があると信じ

意深く世話していた。父と娘が二年前の夏私を訪ねてきたのは、

義な要求についての話は、彼女の心に迫ってくる空怨であると

りした。しかし 、誰もそのことを邪推したりする者はなかった。

ちょうど、アルプス湖畔に巡目訂して いたK夫妻を訪れる旅の途

考えたし 、第こには 、私はK夫人と気高い友情で結ぼれていて 、 彼女を悲しませたくないからだ。可愛想な夫人は、私ももとも

乙の最初の語り口とかならずしも一致しないのだが 、父親は

で、何とかよい道に一良すようにお願いします﹂

私の闘い頭を受けついでいるドラは、K夫人に対する憎悪をや める乙とができないでいる。彼女の最近の発作は、またまた乙 の要求を私に向けてきた後で起こったのだ。先生、彼女を乙乙

とは何も隠されていない、と いう乙とを先生に誓う必要はある まい。私たちはお互いに 、親身な同情をもちあう乙とに幸せを 感じている 、ふたりの哀れな人間なのだ。私が妻には何も期待 できぬととは、先生もよく知っておられるでしょう。しかし 、

のたよりなのだ。私の健康状態では 、 乙の関係には不徳義な ζ

とあまり良くは思えない彼女の夫との生活で 、たいそう不幸だ った。彼女自身ひどく神経を病んでおり、私だけが彼女の唯 一

次であった。ドラはKの家に数週間逗留する予定であり、父親 は二、三日で帰りたいと思っていた。 K氏もそのころ、そ乙へ 逗留していた。しかし父が旅立つ用立をしていると、突然少女 は、自分も一絡に帰る、とかたい決意で宣言し、その決意を 実行した。二 、三日たって初めて、彼女はその奇妙な行動を説 明した。すなわち彼女は|lいずれ父に話が届く ζとをねらっ 、 彼女に愛の告白を し て||K氏は湖上の 周遊後の散歩のさ い た、と母に話したのだった。ところが訴えられた男は、彼女の 父や叔父とつぎに会ったさい釈明を一致求されると、そのように とられでも仕方がないのではないかと思えた彼の側の行状の遂 一を、語気を強めて否認し、逆に少女のほうを疑いだしたのだ 7ンテガッツァの﹁愛の生理

った。少女は、彼の委の報告によると、性的な物事のみに興味 をしめし、 K氏夫妻の湖の家で 、

学﹂とか、それに類する本を読んでいた 、おそらく彼女はその

290

押しつけようと試みるのだった 。 だ が 、私自身はすでに早くか

を、その変印刷さで 家中の者を悩ま している、彼女の母親の罪に

また別のおりには、ドラのどうにも耐えがたい性質の主な 責任

とも早い時期まで追跡せざるをえなかったという ζとは、はな

えない症例の研究においても、 患者の生活史を、小児期のもっ

ない。なおまた、その 最初の犯状が小児期 にはじまったとはい

心的外傷と同類に作用するような、影響や印象を採さねばなら

*私はすでに、乙の 限論を放楽する ととなく、のり超えてしま った。すなわち、今日私はそれを正しくない とするのではなく、不 完全だとみ なすのである。放棄されたのは、心的外傷によっ て市五告 に誘発され、それにつづく異常心理的な現象の基礎をなすものとさ れた、いわゆる﹁類催眠状態﹂の強調にすぎない 。共同の仕事でも、 事後に財斥分割をくわ だてるととが許されるならば、私はこの点に ついて、つぎのごとく断言したい。その後の多くの報告がわれわれ の仕事の中核だと認めた﹁類催眠状態﹂の仮設は 、もっぱらプロ イ ヤlの発議 から生まれ たものである、と。私はそれを余計なもので あり、人を迷わせるものだと考える。 ヒステリー定状形成の精神過 程の木質をなす、問題問の連続性がとの命名によって 、断絶して し までつのであるから。 * * 私のつぎの論文参照。﹃ヒステリーの病因 につ いて﹄ヴ ィ 1ン臨床大錦、一八九六年二二号|二六号︵﹃神経症学小論文集 第一笑﹄、第一版一九O六年。第三版一九二O年コ

はだ注目すべき乙とである。

松 山や

ら他の話を聞くととができるまで、事柄の真実の判断をさしひ かえようと決心していた。

K氏とのい きさつ ||求愛とそれにつづく名管投損ーー は、 われわれの患者であるドラに対し心的外傷を|| ζれは、当時 プロイヤ!と私とが 、ヒス テリ ー症状の成立に、不可欠な前提 条件として仮定していたのであったllあたえたかもし れなか キ

った。しかし、と の新症例は新しい特殊な困難を有するばかり か、そのとき以来私がこの心的外傷の 現論をのり超える動機と えた心的外傷は 、ヒ ステリ ーの 病歴でしばしば見られるように 、

なった、あらゆる困難をもしめしていた 。患者の生活歴で知り 症状の特殊な性格を解明し、その原因を決定するのに役立たな いのである 。われわれは、神経性咳、 失声、不気嫌、生の俗怠 以外の症状が心的外傷の結果であったとしても、多かれ少なか れこれと同様の程度にしか、その 連関を把握しえないで あろう。 そのうえなお、こ れらの症状の 一部 、 すなわち咳と失声とは、

外傷として作用するのに︹前の事件より︺もっとぴったりして

前にさかのぼるK氏との体験 について 報告したが、こ れは性的

治療の最初の困難が克服されると、 ドラはこれよりさらに以

であるから、主として小児期に 属する乙とになる。 それでもし

であっ て、その 最初の 出現は、彼女が八歳のときに始まったの

心的外傷のず っと前年に、 串診告によっ てつ くりだされていたの

心的外傷説を放棄したくないな ら、 小児期まで湖り、そ乙 から

291 ある ヒステリー患者の分析の断片

上に 通ずる階段のド アの所で待っていてほしいと命じた 。ふ た

は少女に、自分がシャッターを降ろしているあいだ 、店から階

ζにいた。祭礼の行列の時間が近づいてくると、彼

ようにさせ、番頭を帰し 、ドラが店には入ってきたときには、

祭りを見物するようにすすめた。しかし彼は妻を家にとどまる

午後にな ったらBの中央広場の彼 の店にきて、店から教会のお

いた。彼女はその当時、十四歳であった。K氏は妻と彼女に 、

はまだ との 目標 に達するのにかなり の道を歩まねばなら ない。

同時にもっ とも困難な課題なのである。私自身の判断 では、私

テリーで あると私は思っ てい る。との情動逆転のメ カニ ズムを 解明する ζとこそ 、神経症の心理学にとってもっとも重要な 、

身体症状を呈する呈しないにかかわらず、疑問の余地なくヒス

あるいは完全に 、不快感のみを喚び起とすようなひとびとは 、

ヒステリ ー的である。性的興裕を感じるべきおりに 、もっぱら、

彼一人がそ

たび戻っ てくると、 彼は開け放っ たドア を通り抜け でゆくかわ

管入口の粘膜路の不快感、すなわち幅吐が起こってしまう。も ちろん 、 乙の身体部分に定位するには 、接吻による唇の興作刊が

確実に感ずるに迩いない性以感党のかわりに 、彼女で は、消化

ることができ ない。それ以外に、乙乙では感覚の移動が見られ * る ζとがいわれ ねばな らぬ。俗伎な 処 女が、 そのような情況で

しかし、乙の論文の かぎられた粋のなかでは 、私の知っ ている ととの 、ほんの一部を提供するにすぎないであろう。 ドラ の症例は 、日動逆転の強調のみで は、まだ十分特徴づけ

りに、 突然少女を引きょせ 、容に接吻した 。それ は十四歳の無 垢な 少女に とって、性的興密の明らかな感覚をよび起乙す状況 だった のである。ドラは 、しかし、乙の瞬間、激し い吐 き気を 感じ、身を引きはなすと、男の傍を階段へすりぬけ、 そこから 戸口へ出た。 K氏との交際は 、 それにもかかわらず、同じよう なかったし、彼女もこのことを治療のなかで告白するまでは 、

る ζとができると岡山う。

影響をあたえていよう。だ が私は、その他の契機の作用も認め

につ づけられ た。ふたりのどちらも、 ζの小事件を口にのぼせ 秘密にしていたので あった。しか し彼女は 、それからは、 K氏

* と の状況の一計仰は 、後述の解明で 符易になるだろう。 * ネ と の係吻のさいのドラの吐き気は 、偶発的な原内によるも のでは絶対にない 。な ぜならこのことは彼女によって、玖りなく回 想され、 言及され ていた のだから。 私はた またま K氏とすでに 知り あっていた。山一行の父刻を私のもとに 述 れてきたまだ宕 々しい人好 きのする外貌の川内乙そ、彼そのひとである。

44十や

とふたりだけでいる機会を避けるようにな った 。 K夫妻はその 当時、数日間の旅行を計画し、それにドラも参加するはずであ った。店での接吻の ことがあっ てか ら、彼女は理由をあかさず 参加を断わったのであった。 順序からいえば二番目、時間的には、より早い時期に起こっ た乙の 事件 において、十四歳の少女の行動は、すでにま ったく

292

当時感じた眠吐感は、ドラの持続的な症状にならず、治療当 時には、いわばほんの潜在的に存在するのみであった。彼女は いた。しかし一方であの事件は、別の結果をも残していった。

食が細く、食物に対し穏やかな嫌悪をもっている、と白状して すなわち、話しているさいちゅうですら出現する、ときおりの 幻覚である。彼女は今もなおあの抱擁のとき上体に加わった圧 力を感じている、というのであった。すでに私が知る ζとがで きた症状形成の法則にしたがい 、また同時に 、 ζれまで明らか にできえなかったこの患者の他の特異な点ーーたとえば、婦人 と熱烈な陛言を交わしている男性を見ると、ど うしてもその前 を通りすぎるととができない、というようなーーを考えあわせ っつ、私は 心のなかであの状況のなりゆきを 、 つぎのように再 構成してみた。彼女は 、嵐のような抱擁のなかで 、唇の上に重

の身体兆候を二度と見たく な いゆえに 、通りすぎる乙とができ ないのであろう。

* ζのような移動を仮定する ζとは、との症状の一つを解明す るためばかりでなく、もっと大きな京状系列の解明のためにも、不 可欠の要請である。その後私は、抱擁︵祭吻なしの︶のさい、同じ ような恐怖を感じてしまう婚約中の女性を診た。彼女は以前は婚約 者を愛していたのだが、ひどい不気嫌に陥ると同時に、とつぜん彼 に冷たくなり、そのため私のもとに来たのである 。 ζの場合でも、 恐怖の岡山を、彼女がかつて感じた乙とがありながら意設から取りの ぞいていた、男の勃起にまで辿る乙とは、さして閃維ではなかった.

乙の場合の三つの症状||幅吐、上体の圧迫感、そして時附言

を交わしている男性に対する恐怖|ーが、ある一つの体験より

発しているとと、また乙の三つの徴候相互の連関のみが 、症 状

形成の経過を了解可能とさせるという乙と、 ζれらは注目に値

だ。すなわちこれもまた、下半身から上半身への移動である。

まったが、 それは抑圧された源から、異常な強さをえていたの

外され抑制されて、胸廓上の無害な圧迫感に置き換えられてし

感じたのだ 、と私は考える。乙の街般的な知覚は、回想から除

定されたのであろう。性的興裕状態にあるかもしれぬ男性への

それと同時に胸部上に感じた圧党に移動されると とにより、固

化をもた、りしたであろう。そしてとの第二の性感帯の興密は、

れたことは、おそらくそれに対応する女性器 、陰核の同様な変

習があった ︶抑圧症状である。勃起した陰茎が体に圧しつけら

くととろによれば 、幼児の乙ろ、ドラは口しゃぶりにふける悪

する ζとである。幅吐は口属性感帯での︷われわれがいずれ開

ζれに反して、彼女の行動に見られる強迫症状の形成は、あの

恐怖も、抑圧した乙の知覚が 、と と新しく復活してくる ととか

ねられた接吻ばかりでなく、身体に対し勃起した性器の圧迫を

事件の変形をうけないそのままの回想から生じているかのどと



く見える。彼女は性的興奮状態にあると思った男性の前を、そ

293 あるヒステリ ー患者の分析の断片

フ方ピア

ら身を守るための恐怖症のメカニズムの結果である。 乙のような補足が可能か否かを明らかにするため、私ははな はだ 悦主 に、つぎのご とく患者に 問いただした。あなたは男性 の体の 、肉体的な輿密の兆について何か知っているか 、と。矢口

対する反応であると恩われる。だが 、性器とくに男性器も排池 機能を連想させる。なぜなら、それは性的機能の他に 、排尿機

能をも果たす器官であるのだから。実際、 乙の排尿機能と いう

役目は 、前者にくらべより早期から知られており、前性器期で は、乙の機能だけが気づかれているのである。こうして 、吐き

あわい

気は性生活における情動表出の一つとなるのだ。初期キリス ト

教教父 たちのいう、﹁尿と奨の悶に生まれ﹂55 円EEEω2F

乙とで私は、連想経路の証明だけでは 、その問題が解決した乙

下ではありえない乙となのである。経路についての知識は 、 ζ

とにならない、という私の立場をはっきり強調したい 。述想を

化を試みようとも、それから切り離すことができな いので ある。



すまいとしてきた。乙れは別に、良心のためから、というわけ ではなく、との症例に対する私の仮設を、厳格にテス トし てみ たかったか らである。 というわけで、私は ある一つ の ζとを、

こされるととの説明にはならない。事実、それは正常の状態の

喚び起乙すととが可能だという乙とでは 、連想が実際に喚び起

は、現在で は、﹁はい﹂であ るが 、 当時は、﹁知っているとは 恩わない﹂と いう のであった。私は乙の患者に対し 、初めから 非常な注意をはらって 、性生活領域の新たな知識は絶対に紹介

その 名でよぶの に、彼女の あまり にも明白なほの めか しが、そ れを直叙しても、ほんのわずかな 冒険とも思えなくなるまでは、

Rag25R という性質が、性生活に付随し、どんなに漂想

差しひかえたのである。彼女の素早く率直な返答は、すでに 彼 女が知っていることをしめしていた。だが、いったい彼女がど

の道をさまよっている 、いろいろな力についての知識を無用に

*他の類似の場合と同じように、ここでも単一原因ばかりでな く、多くの原因 の複合、すなわち宙産決定因を思っ ている。 ζとに論じた ζとは、すべて きわめて典型的なととがらで * * あって 、ヒ ステリ ーに普通妥当するものである。勃起という主題は 、 ヒステリー症状のなかで、二 、三のいちばん興味ある症状を解きあ かす。すなわち、衣服を通して 、男性性明日の輸廓に女性が気づく ζ とは、とれが抑圧された後で 、実に多くの対人恐怖や嫌人の動機と

する ものではない。

* ネ

乙でそれを知ったか の謎は、彼女の 回 想によって解くととはで

*第二の夢参照・

きなかった。すべてこれらの知識の由来を、彼女は忘れさって * しまったの であっ た。

店で起きた接吻の情景を以上のように想像してみると、 吐き 気が生まれた いきさつ は、 つぎのようになゐ。吐き気の感覚は もともと、排池物の喫︵後には 、そ れを見る乙とも加わる︶に

294

なる。また性的なものと排池物との幅広い結びつきは 、そ の病原的 な意義をあまり大きくみつもることはできないにし ても、はな はだ 多くのヒステリー性恐怖症の摂底をなす。 しかし、私の 患者の注意を、彼女とK氏との 関係 に向け るの は容易でな いととが わかった。彼女は乙の人物とはすでに 交り

友情﹂の真の 性質が誰 の避暑のさいに 、こ とが起乙り、乙 の ﹁ の自にも明らかになった。両家族は共同でホテルの一翼を借り

たが、 ある日のこと、K夫人は、 それまで子供の一人と一緒に いた 寝室に我慢できない 、と宣言した。そ してその二、三日後

には、ドラの父が、自分の寝室を放棄し、ふたりは、それぞれ

は、他か らの 妨害 に、との新しい 室のように保証されたもので

で分離されている突きあたりの室であった。彼らが放棄した室

新しい室に移ってしまったが、 ζれらの室は、ほんの廊下だけ

とも表層に属するものは||すなわち、彼女が容易に意識する

をたったといいはった 。面接中の彼女の連想内容のうち、もっ

はなかったのである。彼女が後日父をK夫人のゆえに非難する

に一緒にいるところをひとに見られたのであろう。そしてパパ

もちろん乙んな話は信じなかった。おそらくふたりは森のなか

らせたK夫人はその後を追ってゆき、 パパに 、家族の ため 生き ながらえるよう懇願し、思いとどまらしたのであると。ドラは

乙で、乙 のあ いま いな話を明らか にしようと、彼女が 7 7に向 、 その当時パパは非常に不幸せ で、森の かっ てゆくと、 7 7は なかで自殺しようとしたほどだ 、と娘に語るのだっ た。虫が知

と、父は、お前の敵・芯はわからない 、 子供たちはむ しろK夫人 に感謝する理由が大ありだったのだ 、と答えるのであった。そ

ととができるすべてのこと、および意識の上で回想しうる、面 、 接日より前の物事は||いつも父親と関連していた。父がK氏 とりわけK夫人と交際を つづけるのを ドラが許しがたく思うの は、まったくもっともで あった。乙の交際を彼女が どう患って いるかは、・もちろん 父が彼女に抱いてほ しいと望ん でい るもの d7

とは途っていた。 ドラにと っては、父を若く美しい 婦人に結び ’ ・アヲエアi つけたのは、 疑うまでもなく世の常の恋愛関係であっ た。乙の 見方を固めるのに役立つもので、彼女の容赦なく鋭い直覚から ま ぬがれうるものはなかった。乙の点については 、彼女の記憶 わゆ何 の欠世もみかれなかったかで台か。彼らが Kの一家と知

は乙のランデヴ ーを正当化するために、自殺の話を作りだした * のであろう。彼らがBに帰ってくると、パパは 毎日 、きまって

りあったのは父親の章一病が発病する以前からである。しかし親 しくな ったの は、乙 の病気のさいに 、Kの若 い妻があつ かまし

ひとびとは皆そのことを喝していて 、彼女にあからさまに 、そ

その夫が仕事に出ているあいだに、 K夫人を訪れるのだった。

くも正式に看護婦の役をかつてでたときからである。ド ラの母 はそ のあい だ病床から遠ざかってい たのだった。回復後、最初

295 あるヒステリ ー患者の分析の断片

すことをさしひかえた。乙のことを彼女は、彼の心の優しさと

ひどくこぼしていたが、彼女自身には、とれについてほのめか

の乙とを質問した。ときにはK氏自身、ドラの母に向かって、

とに決まったが、彼女は、乙とにある連関が隠されていると思

やがて 、ある日のこと、ドラの一家は、ヴィ lンに移住すると

らの病は皆、女友達に再会するための口実にすぎなかったのだ。

ら、はなはだ朗らかな使りを書いできたりするのだった。これ

しばしば路上で K夫人と一緒のパパに、会ってしまうという。

女は耳にしたのだった。現在彼らは皆内ウィ ーンにあり、ドラは、

ったのであった。事実、ドラの 一家がヴィl ンに来て三週間も たたないのに、 Kの家も同じくヴィ l ンに移住したことを、彼

うけとっていたようである。彼らがつれだって散歩するときに は、パパとK夫人は、いつも、二人だけが後に残れるように、 物事を巡ぶのがつねであった。夫人が、彼から金を受け取って いるのは、疑いなかった。なぜなら、彼女は、自分の資力や夫

で見送っていた。そして、あるとき、彼女が一人で歩いている

ドラはK氏ともよく会うが、彼はいつも彼女の後姿が消えるま

の資力では支出しきれぬような浪資をしていたからである。父 はまた彼女に高仙な贈物を焔りはじめた。それを目立たなくさ

事を処理する才能をもっている。このような批判を、私がドラ

自分の欲求の満足のみを考え、自分に一等得になるように、物

パパは真面目でない。その性格には、にせものの気味がある。

ようであった。

に行くのか、ランデヴーなどするのではないか、確かめるかの

のに出会ったとき、彼は長い乙と後をつけてきて 、彼女がどこ

せようとして、同時に母やドラにも、とくに気前がよかった。 そして、これまで病気がちであっ たK夫人は、||彼女は歩く ととができないというので、数カ月も神経サナトリウムに入院 していたことす らあったーー その ζろから丈夫になり、生き生 きとしてきたのだった。 *乙れは彼女自身の江一 一 口向殺と関連し ている。それゆえ、彼女 L 一 の自殺は、同じように恋愛への憶れを表現しているのかもしれない。

からとくに聞くととができたのは、ふたたび父親の状態が悪化

いて慧眼の主であるドラは、 K夫人もまた親戚を訪問するため、

して、数週間Bに旅行した乙ろの乙とであった。乙の旅行につ

ある特定の非難については 、ドラが 正しいととが容易に見てと

私は父親の性格全般については、ドラと議論できなかったし、

同じ目的地に旅行したことを 、すぐにつきとめてしまった。

彼らの一家がBを引きはらってからも、年余にわたったとの の気候の粗さにはたえられない、何とかしなければならぬ、な

交際はさらにつづいた。そのあいだ、父はときおり、自分はこ どといっていた、がそうとうしているうちに咳きはじめ、とぽ しだしたかと思うと、突然 Bに向けて旅立ってしまい、そとか

296

関係をK氏が我慢している代償として、自分がKに引きわたさ

れた。彼女はみじめな気持のときには、ドラの父とK夫人との

いている時間はすべて、彼女とともに過ごせたのだった。

行動が求愛の性格をもっている乙とに気づかなかったので、空

利用することができた。さらに彼女の両親は、とのような彼の

する正式の契約など、結ぶわけはなかった。とくに父は、その

もちろん、ふたりの男たちは、ドラを交換物件として取り引き

このような話は自分の誇張である乙とを十分わきまえていた。

る乙とを感じとることができた。しかし別のおりには、ドラは

とおっしゃるのですか ﹂ しかし、間もなく私は、とのような精

話なんですよ。私が今あなたに話した乙とで 、何を訂正したい

うな質問で十分利用するのである。﹁でもとればみんな本当の

師は一瞬当惑することがある。すると患者は、とれをつぎのよ

さむ余地のない思考の列が患者から浮かび上がってくると、医

精神分析治療の過程で、正確に理由づけられ、異論をさしは

れているのだ、という思いから逃れられなかった。彼女の父に

ような要求があれば、吃驚して引き下がってしまったであろう。

るととに気づいたのである。他人に対する一連の非難は、同様

逃れたいと思っている別の思考群を隠蔽するのに利用され てい

対すぷ愛情の背後には、とのような利用のされ方への憤激のあ

だが父は、対立する論点の片方についての判断をごまかす ζと で、葛藤をまるくおさめたとするたぐいの男であった。一人前

したとしても、彼はきっととう答えたで あろう。自分は娘を信

なくつねに 交際していれば危険が起こるかもしれない 、と注意

なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対し同じ

個々の非難を、それを語った当人に戻してみるとと乙そ、必要

な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。

神分析によっては了解しがたい患者の恩考が、批判や怠識から

に成長した少女が、自分の委に不満をもっている男と、監督も

頼している。彼女には、 Kのような男はけっして危険ではない

のがある。その典型は 、子供の ﹁しっぺ い返し﹂にみられる。

すなわち、子供たちを嘘つきとして責めると、即座に、﹁お前

非難をあびせるとのやり方には、何かとばみがたい自動的なも

して取り扱われている、と。実際のと乙ろは、ふたりの男はと

こそうそつきだ﹂という答が返ってくる。大人なら、相手の非

し、彼自身、そんな 誌みはできっとない 、と。あるいは、乙う

もに、相手の行動から自分の欲望の遂行に都合が悪くなるよう

パラノイアでは、

り、同一の内容を繰り返すととには主限をおかないであろう。

答えたかもしれない。ドラはまだ子供ですO Kからも子供と

な結論が引きだされるのを避けるようになってしまったのだっ た 。 K氏は、彼がそこにいあ わせた一年を?っじ、毎日ドラに

ζのような他人への非難の投映は、内界を変

難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めてお

花を贈る乙とができたし、高価な贈物を贈るチャンスはどれも

297 あるヒステリー患者の分析の断片

更するととなく行なわれ、したがってまた現実から遊離してお り、妄想形成の過程として顕わにされるのである。

のである。彼女は母親にいって聞かせるのだった。あなたの夫

に敵対しその免除をいいはった。との家庭教師は影響力をもっ ているあいだは、それをK夫人への対立をあおるのに利用した

情事を乱されたくないので、自分の娘に対する K氏の行動をは

うに、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に﹁裏打ちされ﹂、 ﹁二重にされ﹂ていた。彼女は父は自分自身の K夫人に対する

うにはかった。だが彼女の努力は無駄であった。ド ラはK夫人

との関係で目立っているすべての ζとに 、注意をかき たて るよ

と両立できるととではありませんよ、と。彼女はまたドラにも、

が他の女性とこんなに親密なのを我慢するのは、あなたの口問位

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすよ

っきりしたくないのだ 、と考えた点では正しかっ たの だ。しか

な ζとは 、何も知ろうとしないのであった。彼女は一方では 、

になついたままであり、父と夫人との交際に反扱を感じるよう

し彼女自身、まったく同じ乙とをしていたのである。彼女はこ の事件において共犯者であり、 ζの関係の其の性格をしめすあ

うに道をとっ て 、 彼らと一絡に散歩に出かけたのであった。早 くから、父とK夫人の関係に彼女の眼を開けさせ 、 乙の夫人に

った。ドラは父がいるらしいと思うと、けっしてK夫人のとこ ろに行かなかっ た。彼女は 、そういうときには子供たちが家か ら送りださ れてい る ことを知っていたので、それに行きあうよ

峻しい追求もそのときからのととである。それ以前には何年も ずっと、彼女は父とK夫人の交際をできるだけ助けてきたのだ

らゆる徴候を拒否していたのである。彼女のそれに対する眼を 開いたのは 、やっと湖畔の事件以後の乙とであり、父に対する

い存在であって 、彼女によせられたとみえた愛的も、実は父に

くとらなかった。彼女は 、家庭教師にとって自分はどうでもよ

意は、今や考慮 に入れねばならぬラ イバルとして 、

た。パパがいると、彼女はまったく人が変わったように見え 、

していた。一方の側に盲目ではあったが他方では十分慧眼であ

自分の家庭教師を動かしている動機について、非常によく計算

対抗する仲間に彼女を引き入れようとした 、 ひとりの人物がド

はドラのためにす乙しも時間をとってくれず、 一緒に散歩し て

向けられたものであることに気づいたとき、はじめて怒ったの である。工場のある市にパパがいないあいだは、 ζの家庭教師

られるのだった。 それでもドラはこれらすべてのことをまだ悪

7 7 K向け

楽しそうで 、仕事熱心になった。一方、ドラの家族が工場のあ る市に住み、K夫人が地平線の外部にでてしまうと、彼女の敵

った。彼女は、家庭教師がパパを恋していたととに気づいてい

ラの家にいた。それは彼女の最後の家庭教師で、自由な考えを もった 、読書家の未婚の女性であっね。先生と女生徒とは、し ばらくは、ま ζとにうまくいっていた 、がとつぜんドラは彼女

298

くれようとしないし 、彼女の勉強にも関心をもってくれなかっ

隠そうとしたのだ。

乙の乙とで彼女は、他のひとびとや自分向身にも、他の何かを

好ましくない明断さで照らしだした。ひと乙ろこの家庭教師が

この哀れな女は、 ドラの行動の一部分をドラにとってあまり

*この家庭教師は性生活に関するあらゆる種類の本を読み、少 女とそれについて語りあっ た。しかしとの家庭教師はまた 、それに 関係する乙と一切を両親には秘密にしておくよう遠慮なく要求した。 彼らがそのような ζとにどんな立場をとるかは、分かったものでは ないから、というの が彼女の言い分であった。との女性乙そ、私は 一時はドラのあらゆる秘密の知識の源泉であると見ていたのである。 。 そしておそらくぜんぜん誤っている ととはないであろう

もしれないが 、湖畔の事件以来、それは終わってしまった、と

ることが難しくなると、彼女は 、Bでは 、K氏を愛していたか

げはした。だが彼女自身は 、 乙のような感情を思いだそうとし なかった。後日、想記された材料が集積されて 、何とも拒否す

びと、 たとえばひところBを訪れていた従姉妹から、 ﹁あなた は、 あの男にすっかりお熱ね﹂といわれたととがあった 、と告

対するドラの行動からも、また父とK夫人との関係を彼女が黙

家庭教師のドラに対する行動で説明したように、子供たちに

た。パパがBから帰ってくるが早いか、ふたたび 彼女は教え た り助けたりするのに張りきるのであった。そうゅうわけでトラ

ドラに対したのと同じように 、 ドラもK氏の子供たちに対した

をふさいでしまって、事柄を自分自身の恋の情熱に都合のいい

告白したのだった。いずれにしろ、とぱみがたい義務に対し耳

ように処理してしまった、 という非難||彼女が父に向けては



れにまったく同意しなかった。なるほど彼女はすぐ、他のひと

をつうじ、 彼女はずっとK氏を愛していたのだという推論が引 きだせるのである。私が ζの推論をロにしたと乙ろ、彼女はそ

許していたととからも、同一の推論、すなわち、とれらの歳月

のだった。ドラは彼らの母がわりになり、彼らを教え 、 一緒に

は彼女をみすてたのである。

外出し、実の母親が子供たちにしめす乏し い関心の 十分な 代用 が口にされる乙とがあった。しかし優しい 父親であるK氏は、

を果たしたのだった。 K氏夫妻のあいだにはときどき離婚の話

*第二の夢参照。 **と乙でつぎの疑問が生まれる。.トラがK氏を愛していたの なら、湖畔の事件で彼を拒絶した理由は何だったのであろうか。少

なった 、 との非難はーーそのまま、 彼女自身に送りかえされ て ** くるととになった。

ふたりの子供のいずれも手離したがらないので、 実現にいたら なかった。子供たちに対する共通の関心が、初めから、K氏と ドラとのまじわりの粋であった。しかし子供たちの世話にド ラ がかかりきりだったのは、明らかに彼女の隠れみのだったのだ。

299 あるヒステリ ー患者の分析の断片

なくとも、その拒絶が、乱暴で、 立腹ととられるような形であるの はなぜであろうか。それからまた、どうして彼に愛情をもっていた 娘がll後で分かるようにll粗野とも不快ともぜんぜん思えぬ求 愛に対し、侮同時を感じたのであろうか ・ 彼女の今一つの非難は、父が彼の病気を口実として使い、自 分の 目的に利用している 、というのであっ たが、との 非難も、 彼女自身の秘密の歴史全体を、覆いかくすもの であ る。ある日 のこと、彼女は、自ら新症状だとする刺すような胃痛を訴えた。 私が、﹁誰をまねしているのだね﹂とたずねると、それが図星 であった。彼女はその前日 、死ん だ叔母 さんの 娘である 、従姉 妹たちを 訪ね た。ふ たり のうち妹の ほうは、婚約していた が、 姉のほ うは乙れがきっかけで、 胃痛 に悩むように なり、ゼメリ ングに行かねばな らなかった。ド ラは、乙れは皆、 姉のほうの 嫉妬によるのだと思った。姉娘は何か欲しくなると、病気にな *

* *

ても。だがドラはまたK夫人を観察する乙とによっても、病気

がどんなに役立つものであるかを知ったのだった。K氏は一年

のうちの幾月かを旅先で過どすのだったが 、彼が旅から戻っ て

ラが気づいていたように、その前日まで元気で過ごしていたの

くると、妻は健康を害しているのであった。しかし夫人は、ド

であった。ドラは、夫がいるととは委を病気にさせる とと、ま

た妻にとって、たえがたい夫婦の義務からのがれるために病気 が歓迎される乙とを了解した。ここで 、 とつぜんドラは、 Bで

送った少女時代の最初のとろ、彼女自身も病気と健康とを交代

に繰り返していたともらしたが、とれによって私は彼女の健康 状態も、 K夫人のそれ と同じように 、 他の何かに依存するもの

と見られうるのではないか 、という仮定をとらねばならなく な った。精神分析の技法では 、通例、まだ隠されている連関が 、

近接||すなわち連想の時間的隣接ーーによって 、知‘りされる

のである。あたかも、 aという文字とb という文字が隣接し て ζからぬ という綴りが形成されるように。 ドラは失

声をともなった、無数の咳の発作をおとした のだった。彼女の

いれば、そ

だ、とドラは考えた。し かし、ドラ自身 の胃痛は、彼女が詐病

恋人の滞在と不在とが 、と の病的現象の発現と消失に影響をも ったのであろうか。も しそうだとすれば 、どこかで隠しおおせ

る。彼女は今や、妹の幸福を見たくないので、家を離れたいの 者だと説明したこの従姉と自分を同一視していた ζとを物語っ ている 。||同 一視の原因が、 乙の自分たちより幸福な妹娘の

ぬ一致が証明されねばならないだろう。私はこれ らの発作の平

均的な持続期間をたずねてみた。約三週から六週間ぐらいだと いう。K氏の不在はどのくら いつづ いたので すか、とさらに た

恋愛をドラもまた羨んだからなのか、そ れとも、すとし前に恋 運命が映されている、と思ったからであるのか、いずれであっ

愛が不幸に終わったばかりの姉娘の運命のうちに 、自分自身の

300

ずねた。彼支は同じように、 三週から六週のあ いだだと答えざ るをえなかった。すなわち、彼女は自分の病気で K氏に対する

旅先より、 ドラのもとにたくさんの便りを書き、絵薬害を送っ

をする乙とも楽にできる 、と いうととは注目に値する。 K氏 は

とくに心理的説明を裂しないものである。しかし、心理的説明

変をしめしたのである。ちょうどK氏の妻が、自分の嫌悪を病

夫の到着にびっくりする 、と いうような事態がよく起こるのだ

のとろ には、事実もとれに一致していた。後になるともちろん 、

めることより、 わかりにくい乙ととも思えない。それゆえドラ

った。それに、話を取りかわせない不在の友に手紙を書くこと は、失声状態になったとき、書字で自分を知ってもらおうと努

た。彼女だけがK氏の帰宅の期日を知、りされ ていて、 K夫人は

気で表わし たのと同じように。ただ彼女はK夫人とは逆にー− K氏 が不在のとき、 病気であり、帰 ってくると、健康になった 、

病気の発作とひそかに愛している人の不在との一致を、その規

人が遠方にいると、彼女は 話す ととを読める 。彼と訴ができな

ーーーと仮定しさえすればよいのだ。少なくともこの発作の初期

則 性が秘密を暴認し てし まう乙とのないようぼかす、必要が生じ た。そうなると、発作 の持続期間が、 そのもともとの意味の徴

いのだ から、話す乙とはその価値を失う。そのかわり、 との不

ζとが意味をもっ

E タテ方

もちろんそんな乙とは私の 窓図 ではない。ドラ 症例の症状決定

,,,ル

在になる怒人の存在が 診断できる 、 と主張するのであろうか。

ところで私は周期的な失声症のすべての定例に、ときどき不

た 。

在の愛人と交通する唯一の手段として、書く

の失声症はつぎのような象徴的解釈を許すものである 。 ll恋

として 残るのみになった。 ネ姉妹聞で毎日のように見られる出来事。 ネ * と の回同痛から引きだ した その他の推測につ いて は、後で述 べる。 私はずっと以前、シャルコ lのクリニックで、ヒステリー性

失声症の症例の解明は、どんな 価値をもつ のであろうか。われ

か。私はそ うは恩わない。これに関述し、 ヒステリーの液状は

されるとは、ほとんど考えられないのである。それなら、乙の

働 く ことを見聞した乙とを 思いだし た。 彼 ら は、他の者より、 また以前よりも、ずっと流暢に、迅速に、 そして上手に字を書

われはむしろ、語呂合せでいいくるめられたのではないだろう

図はあまりにも特種なので、同じような偶発的な病因が繰り返

くのであった。ドラの場合も、これ と同じであった。彼女が失

精神的なも のから発するものなのか、それとも身体的なものか

の無言症の忠者では、喋ることのかわりに書くととが代償的に

声しはじめの乙ろ、 ﹁字を書く乙とは 、 とくに楽にできた﹂乙 の特徴は、、必川古から生まれ た生理的代償機能の現れであって、

J

301 あるヒステリー患者の分析の断片

ら起乙るのか、さ らにまた 、前者だと した ら、症状はすべて精 神的なもののみで規定されるのだろうか 、というすでに何回と

テリl症状を解消するには 、その症状の精神的意味を探究せね

ドラの 症例の咳と矢声の発作につ いても、われわれはその精神

について、種々のおそらくは適切な推量を試みる乙とができる。

質的契機をもしめさねばならぬ。 との 器質的契機から、ときど

ばな らない。こうし て 、 精神分析で 除去でき るものを清掃し終 わると 、症状の身体的な||通例、体質的、器質的な l| 基 底

ねてきた、多くの他の 疑問と同線、 その設問そのものが適当で

き不在となる彼女の恋人に対する思慕の表現への 、 ﹁身体側か

の疑問は研究者が繰り返し解答を発見しようと無駄な努力を重 ない。実際の事態は、そ のような二者択一の形には包含しえな い。私の見るかぎり、ヒステリー 症状には、どれも心身両面の

らの対応﹂が生まれたのである。そして 、 ζの症例の症状上の

なく提出されてきた疑問が思い起とされるのである。しかしと

関与が、必袋なのである。それはある身体器官の 、正常ないし病

けされるようにして 、付与されるものなのである。そして 、表

随伴するものではなく、ヒ ステリ ー症状に 、い わばそれと蝋づ

ることはないのであり、しかもヒステリー症状の特徴の一つは、 この再現能力にあるのである。 との 意味は 、ヒステリー症状に

などに探し求める必要はなくなり、﹁身体側からの対応﹂のな

すなわち、精神分析 によって 、ヒ ステリーの謎を、もはや﹁神 経分子の特殊な過敏性﹂ のなかや、類催眠状態の可能性のなか

との点に関し、私はつぎのようにいわれる覚悟をしている。

さに読者が感動したのなら、 他の症例や例証でも、乙れと同様 な印象をあたえるのに成功した、という報告を快く聞くことが できるだろう。

分析的解釈をあたえるだけで満足せず、症状の背後にひそむ器

的現象によってなされるある患の身体側からの対応がなければ、

表現と無意識の恩考内容との結びつきの 、巧妙をきわめた見事

現されようとあがいている抑圧された思考の性質に応じ 、それ

ζ

成立しない。そして 、もしそれが精神的意義をもたないなら、

ぞれのケl スで 、 乙の芯味は別のものになるのである。さらに

かに探せるようになったとしても、それはたいした得にもなら ない 、と。

すなわち一つのはっきりした意味をもたないなら、何回も起

一述の契機の作用する乙とによって 、無意識の思考と、 とれら

いて ゆくのである。治療にとっ ていっそ う重要なのは 、との 偶

しだいに 随意的なものでなくなり、より典型的な結合へと近づ

を強調したいのである。もはや謎全休を問題とするのではなく、

られてゆくばかりでなく、またす乙し ずつ縮少されてゆくこと

この抗議に対し、私は、その謎はこうして一歩ずつ後退させ

の思考の外的表現手段として駆使される身体的過程との関係は、

有的な精神的素材のなかの諸条件なのであ る。そ れゆえ 、ヒ ス

302

ヒステリ ーを他の精神神経症から区別する特別な性格をふくん

全部無効だとわかると、復 MMだ H けはとげようとしたのだ。父が どんなに彼女を可愛く思っているかを 、また娘の体の具合をき

︵失神発作によって︶達しようと思ったのだ。そして乙れらが

かれるたびに、限に 一 波を浮かべるのを彼女はよく知っているだ

でいる部分だけが問題なのである。精神神経症のすべてのタイ プを通じ 、その精神過程は 、無意識の精神現象に身体的な出口 を用意する﹁身体側からの対応﹂が問題になるまでは、皆同 一

ろう。もし彼女の父が、娘の健康のためにK夫人を犠牲にする ととを言明しさえすれば 、彼女は即座に元気になるだろうと、

なのである。 乙の契機がない場合に、全体の状態は 、 ヒステリ

私は確信しているのだ。しかし彼がそ乙まで動かされることの

する乙とに、われわれは気づいたのである。乙のような場合、

に対応するばかりか 、現在の病気に関連した自己非難にも対応

ととでドラがその父に向けた 、﹁詐病﹂非難に問題を戻そう。 すると ただ ちに、乙の非難は、以前の病状に関連する自己非難

個の事実ははぷいて 、 そのかわりヒステリ ーの権病動機の役割

乙れらすべてのととが、どんなに正しかったかを証明する個

悟しているのだ、ととのように私はドラに語ったのであった。

なら、彼女がそう簡単に病気を断念しないであろうと、私は覚

利用するに決まっているのだから。だが一方、父が譲歩しない

ないよう、私は望んでいるのである 、なぜなら、そうなったら 彼女は、自分の手中にどんな強力な手段を握っ ているか分かっ てしまうし、きっとこれから先何度も、 乙の病気になる手段を

l

ーとは異なる症状ではあるが 、また近縁の症状ともいえるもの

医者は通例、精神分析によって、ほんの暗示としてあたえられ たことを推測したり、補足したりする仕事に直面する。私は患

ヲ方ピ

ーーすなわち恐怖症とか、強迫観念とか、要するにある精神症

者に、あなたの現在の病は、あなたがはなはだよく了解してい

いという動機は、概念的には、病気になる可能性、および症状

に関する、二 、一ニの一般的注意をつけ加えたい。病気になりた

状を||呈するのである。

るK夫人の病気と、まったく同じ動機と意図をもっていますね、

も相当長くつづく症例では 、そのどれにも疾病動機が存在する

れはやっとこ次的に介入してくるので、その出現をまってはじ * めて病は完全に構成されるのである。病苦が真に存在し、しか

形成の原材料とは、明確に区別される oそれは症状形成にはす こしも加わらず、また病気の初期には存在しないのである。そ

と注意せねばならなかった。彼女は疑いなく、一つの目的をも っているが、それを病気によって成しとげようとしている。そ

られなかった。おそらく彼女は、父親を叱驚させる乙とで︵別

の目的とは、彼女の父をK夫人から離れさす乙と以外にはあり えない。彼女がいくら願っても、議論しても、このことは達せ れの手紙の件を参照せよ ︶また、同情を喚起する乙とによって

303 あるヒステ リー患者の分析の断片

もに簡単に消えさってゆくようにみえる。初めのうちは 、 それ

れざる客であり、 あらゆる乙とがそれに抗い 、 そのため時とと

。 症状は、最初は患者の精神生活にとって歓迎さ と考えてよ い

そらくはまた飲澗の惑習に染まってしまっているだろう。

しまったし、労働の習慣を失って し ま い、怠け者の生活に、お

にくれてしまうだろう。彼はそれまでに、その 手仕事を忘れて

ある。それを彼から取りさってしまったら、おそらく彼は途方

二次的に利用価値を見出すようになる。病気の症状を利用する

とができる。病気になる乙とは、まず第一に、約神的努力をはらう 必要がなくなることである。それは精神的な葛藤状態がある場合に 、 経済的にもっとも都合の良い解決法となる︵疾病兆一避︶@||たと え、後になって多くの場合そのような逃げ口が、目的にそわない と とが明白にしめされるととになるにしても・ 一次的疾病利得のとの コンス 部分は、内的、心四時的な部分と名づけられよう。それはいわば一定 ’νト 次一良の例でいえば、夫に圧迫さ 不変である。その他に外的契機が 一 一 れた寿一 の状態のごとく︶疾病動機となりうる。 ζのようにして 、 次的疾病利得の外的な部分がつくられるのである・ −e*詐人であり、医者でもあったアルツ 1ル・シュニツヅラ ー はとの ζとを彼の﹃パラツェルズ﹄という作品のなかでたいへん正

*︹ 一九二三年の追加︶とのあたりの叙述は、すべて正しいとは いえない .疾病動機が 、病気の初期には存在せず、二次的にはじめ て介入してくるものだ、とする主張は保持しがたいのである。すぐ つぎの頁には、発病前に存在し 、しかもとの発病に関係のある疾病 、、、 動機について言及されているのだから・私は 、後になって 、 一次疾 病利得と二次疾病利得を灰別して考える乙とにより、との事態によ り適切な説問をあたえるととができるようになった.もちろん 、疾 病動機というものは、いつも利得をは的としているのである。一 一 次 的疾病利得については、とのなの後の部分で述べられるととが枚当 する.しかし一次的疾病利得は、どんな神経続的疾忽にも認めるこ

は精神の家政のなかで、何の利用価値もない。が、多く の場合、 ととが都合の好い乙とを、ある精神の流れが見つけてしまうと、 乙の症状は二次的な機能を獲得するようになり、患者め精神生 活のなかにいわばしっかりと碇をおろしてしまうのである。そ うなると、患者を健康に立ちもど=りせようと試みる者は、思い がけぬ強い抵抗にあって驚く乙とになる。それは病苦を捨てさ * uq

りたいという患者の怠図がかならずしも真剣なものではない 、 というととを彼に教えるのである。墜落して不具となり、 大道 の四つ辻で乞食をして命をつないでいるひとりの労働者、たと えば屋根茸職人を想像してみよう。つぎに、奇跡を行なうひと がやってきて、彼の曲った足をまっすぐにし歩けるようにして やる 、と約束したとしよう。私は思うのに 、彼の顔に、そのこ とによって、より幸福な表情が現れはしないであろう。負傷に 施物で生きてゆかねばならぬだろうと考えたころは、彼はもち

苦しみ、二度とふたたび働けるようにはならず、餓死するか、 ろん、極度に不幸だと思っていただろう。だが、それ以来、彼 をはじめ失業させた当のものが、彼の収入源になったのであっ た。すなわち、彼は自分の身体障害によって生活しているので

304

しく表わして いる

、 彼女は自己非難を意識せ ずに、上手に利 用 ていた との手段を する乙とができるのである。 だが 、 この病気は、意図の産物なのだ。通例、病状はある特

定の人物に規定されており、その人物がされば、病気は消失し てしまう。無教養な家族の者や看護婦のロからよく聞く、 ヒス

しばしば疾病動機は 、すでに幼年時代に萌しはじめる。愛情 ばならない子供は 、 たまたま彼が病気になって両親が心配せぎ

テリー患者に対する 、粗雑でありきたりの判断は、ある意味で

に鍛えた子供、両親の愛情を同胞と嫌々ながら分けあわなけれ るをえなくなると、 との愛情もふたたび豊かに注がれることに

臥床していた婦人が跳び 上がったとか、あるいは 、子供が病気

は正しいのである。部屋が火事になると、それまで身休麻郊で

気づくのである。彼は今や、両親 の愛を招きょせる手段を知っ てしまっ た。そして精神的な材料を駆使して 、病気をつくりだ

で危篤になっ たり、破産が一家の社会的地位を脅かし たりする と、甘やかされた婦人がすっかり悩みを忘れてしまったりする 。

患者に ついてこのように語ったひとびとは、たった一つの点、

すこ とができるようになるが早いか 、 乙の手段を利用するよう になる。 乙の子供がやがて人妻になり、子供の乙ろの願いとま ったくく い違って 、彼女の意志を圧迫し、彼女の労働力をいた

のである。 乙の相逃を見のがす ζとは、児童ではまだ許せると しても、成人で はもはや適用しない。またそれゆえに 、 それは

すなわち彼らが意識的なものと無意識的なもののあいだの心理 的相違を見のがした 、という一つの点をのぞけばすべて正しい

意士山だけにかかわる問題だ 、という保証も、患者を激励したり

わりもなく利用し 、愛情も金もともにあたえてくれないような 思いやりのない夫と結婚したとすると 、病気だけが 、彼女の生 は彼女の待ち こがれ てい たいたわりをあたえ、金銭的な犠牲と、

きようとする自己主張のただ一つの武器となるのである。それ 彼女を尊重する義務とを夫に引きうけさせるのである。それら

られねばならぬ 乙とは、精神分析の迂路を辿りながら、患者が

にあるのであり、 乙れは精神分析的治療でも閉じととである。 と乙では 、運命の果たす役割は比較的経く、患者の体質や病的

自分のなかに樫病企図が存在する乙とを納得する 乙と である。 ヒステ リー 一般をつうじ、 その治療の弱点は疾病動機の克服

罵倒したりする試みも、すべて役に立たない。まず第一に試み

のものは、彼女が健康だったなら、夫がけっし てあたえようと しなかっ たものなのだ。もし彼女が回復し たときは 、慎重に取 り扱わねば ならない。そうでないと、 ぶり返しは必歪である。 彼女の病状は一見、客観的、不随意的なもののように見えるが ζとを見つけだ し

ーー それについては 、治療にあたっている医師も保証するほど で あ る ||すでに子供のとき、有効である

305 ある ヒステリ ー患者の分析の断片

放される。もしわれわれ医師が 、患者の秘密にしている人間的

えすれば、患者は一時的に 、おそ らくは永続的に 、病気から解

物質などを攻撃する必要はないのである。疾病劾機を除去しさ

このような説明を激情的に拒絶することの背後に、どんな 自己

彼女は我を忘れて激昂するのだった。私は長いあいだ 、彼女が

ぎなかったのだ、とひとから思われていたことを考えるたびに、

けたものはなかった。その当時、何か空想をつくり上げたにす

治総とか 、症状の自然消失とかを認める機会が どんなに減少す

はずれの非難がいつまでも心を傷つけたままでいるととはあり

非難が隠されているか推測できずに困惑していたのである。的

﹄ユ poマン・ b

関心をもっと制服用する乙とができたなら、 ヒステリ ーの奇跡的 ることであろう。ある症例では、時間的な期限が過ぎさると、

のは正当であった。一方私は、ドラの話はまったく真実に即し

ているに迷 いない 、 という結論にも到達していた。彼女はK氏

えないのであるから、その何か背後に隠されたものを惣像する

の意図を知るや否や 、彼に話し終わるいとまもあたえず、顔に

またある症例では 、相手の人物に対するこだわりが解消すると、 したために、これまでのしぶとい 病苦は一挙に消失した、!ー

平手打を加えて走りさった。彼女の乙のような行動は、当時お

さらに別の症例では的況が外的な出来事によって根本的に変化

ζとがとり去、りさ

きざりにされた男にとって 、われわれと同じように不可解であ ったろう。彼はもうずっと前から、数知れぬ小さな徴によって 、

一見自然に、だが 真実のととろは 、病人からもっとも強力な動 機、すなわち生活のなかで 、病気を利用する

病がすっかり発展してしまった症例については 、おそらくそ

れたがために。

との 少女の心が確実に彼に傾い ていると結論していたのだっ た

から。第二の夢を討議するさい 、われわれはとの謎の解決とと

の全例に 、病気である

もに、また最初のうち探しあぐねていた自己非難の問題にも取

ζとを支える動機が見つかるのである。

罰とか、後悔、罪の償いなどーーもある。その場合なら、治療

症例のなかには 、そ の動機が純粋に内的なものーーたとえば自

り組むであろう。

父親に対する非難が、単調な調子で繰り返され、同時に咳が

課題は、外的目標の達成と関連している症例にくらべ解決しや

引きつづきとれないままなので 、私は乙の矩状が父と関係のあ

すいのである。ところでこの外的目標はドラにとって明白であ った。父の心を動かし 、K夫人から遠ざかるようにさせるとと

る何かの怒味をもっ ているに違いないと考えた 。いずれにせよ 、

要条件をみたすには、ほど遠いのであった。経験のうえでは、

いままで私がある一つの症状を説明するさいに解釈してきた必

である。 父の行動のなかで、父がたいした祇抗もなく、湖畔の事件を 彼女の空想の産物として受け入れた乙とほど、彼女の心を傷つ

306

性的内容をもった空恕の表現||現実化ーーを意味する 、 いい

ほどの勇気はもてないでいる一つの法則によれば 、ある症状は

何度も立証される のを見 ているのだが 、まだ普遍的に定立する

女が ζの矛盾を認める必要がないととをしめしていた。性的満

矛盾に彼女が陥ち込むかを 、指摘してみせた。彼女の答は、彼

かる関係を享楽するととはできない 、と主張するなら、どんな

といいはり、他方父が イ ンポテントである 、い いかえれば 、 か

に私は 、 彼女が一方で父とK夫人との関係は普通の恋愛関係だ

足の方法が 一種類以上あることは、よく分かっている、と彼女

かえれば性的情泌を V保しているのである。症状の表現する意 対しては 、 そのような内容限定は成り立たない 、と い ったほう がより良いかもしれない。精神分析にたずさわると、 ある症状

がさらに、それは性交の目的K、生 umm 宿とは別の認官を使用す ることを意味して いるのか 、 と訊ねると、 彼女は肯定した 。 そ

味の少なくとも一つは、性的空想の表現であるが 、他の怠味に

が 一つ以上 の意味をもち、同時にいくつかの無意識の思路を表 現するのにすぐ気づくようになる。私の評価によれば 、 ただ 一

乙で私はつぎのように問い進めた。その場合あなたは自分の体

。私 はいった︵この知識の源は ζれまた発見できなかったが ︶

つの無意識の恩路ま たは空想だけで 、ある定状を形成するのに

パが資産家︹能力ある男︺だから愛し ているにすぎない 、とま

て解釈する機会は、間もなくやってきた。彼女が 、K夫人はパ

彼女は発作的に起こる咳ーーとの咳は、 いつものように 、喉の

することによって 、つ ぎの結論に到達するのは避けがたかった。

かり明らかにされてはならなかったのだ。しかしそれらを補足

分の考えについて 、 とんなところまで知りたいとはすとしも恩 わなかった。だいたい疾状が起 ζるためには 、 その ζとがすっ

のなかで 、かつて刺激された状態にあった部分 ︵ 頚 ・口腔︶ の ζとを思い浮かべ ているのだろう、と。だがもちろん彼女は自

たも強調したとき、私は彼女の告白のある他の状況から、||

しておきたい。

十分だった乙 とは、いまだかつてなかった 、とい う ことも追加

これについては、分析の純技法的問題の多くと同じく、 乙乙で

関係をたえず気にしていたふたりの人物の 、 口による性的満足

ドラの神経性の咳を、このように空想された性的状況によっ

はふれずにおくlー との言葉のかげに、それと逆の怠味、すな わち、父は無能力な男だ、という意味が隠され ている乙とに気

私の見解とたいへんよく 一致している。だがとの変化はすでに

けいれたが 、その直後から咳は消失した 、 乙のととはもちろん 、

の光景を想像し ていた のであると。との解釈を彼女は黙って受

擦り感を誘因刺激と して いたがーーと一絡に 、彼女がその恋愛

が ついた。とれは性的な意味にしか考えられない。すなわち、 父が男とし て無能力、インポテントである 、というととである。 この 解釈を彼女が意識上の知識によっても確認した後で 、さら

30 7 ある ヒステリー患者の分釘の断片

伝えるのである。﹁Amは納を抗とよぷ﹂ ︼〆毛色一ロロ岳民 E

のなのである。私はそれらの探官や現象を恥門認でよぷ。そ し て、た とえその名称を患者が知っていなくても、それを患者 に

nr2・私は乙のような乙とが話しあわれる治療に憤慨する医師 や医師でないひとびとの ζとをよく開くのである。それらのひ

、 医者である読者には当然許される懐 との精神分析の断片 は

とびとは 、自分たちの期待が生みだしたにすぎぬ欲情によって 、

自動的にも何度も起 こ っている 乙と なので 、私はこれにあまり 大きな伽値を置乙うとは恩つてなかっ たので ある。

とれら二つの反 応がはたして正当か どうかを検討して みよう。

疑の他にも、驚きと恐れを引き起こすであろう。私は乙とで、 驚き の念は、 私の 考えでは、うら若い処女に 1 |あるいは一般

うに忠われる。私は ζれらの紳士たちに腹を玄てるには 、彼ら d イヤ 特,

の礼儀正しさに ついて、 あまりにも知りすぎているのである 。

私かそうでなければ患者かどちらかを羨ましがっているかのよ

に、活設な性活動を有する年齢の女性にーー そのようなきわど い 、 不快な事柄を話すという私の向う見ずな行動によって引き

ζの

私は述巾につ いて菰刺文をつづる誘惑を逃れたいのだ。 ただ一

ける ζともありうる、という事実に向けられたのだろう。

起こされたと考える。恐怖の念は、 おそらく男に協はしたことの ない 少女が 、かかる行為を知っ ており、空想 のなかでそれにふ

つ、女の忠者が 、最初はなかなか性的なととを本山にうちあけ られなかったのに 、後には、﹁いいえ、 本当は 、先生の照法は、 X氏のお話などより、 はるかに上品ですわ﹂といってくれるの を開いて 、私は一一再ならず満足を感じている 、というととをつ

二つ の点の双方において、私は自制と慎重さを勧めたい。前の 場合にも、また後の 場合にも、憤慨する理由はないのである。 若い娘や婦人と、彼女らを傷つ けず疑惑をお こさせず に、性的

け加えておきたい。

ある。同様な条件のもとで婦人科医も、婦人たちにできるかぎ

にそれが不可避なもの である ことを 確信させねばならないので

、 ステリ ーの治療を行なう乙と はできない。そ うなってはじめ て ﹁オムレツを作るには、卵を制らねばならぬ﹂ 25 P一円巾ロロ 0

あるいは、経験によって納得する心の用意ができるまで は、ヒ

性的主題にふれることが不可避である乙とを納得す るまでは、

なことについて話すことは可能である。 ただそのさい、 第 一 に 、

りの肉体の露出を命ずることができるのである。とれらの事柄

語り口に一種の技術がともなわねばならぬし、第二に、 彼女ら

に つ い て 話す最上のやり方は 、 ド ラ イ で 尚接的なやり万であ

患者自身は代い却に納得するのである。そのための機会は 、治療

05巳 2F

経過中にあまり多過ぎるほど である。患者と疋常な いし 異 常な



P58 gDOEr−といえるようになるのだ。 E2ι

る。同時にそれは﹁世間﹂が同じ主泌を放・っさ いの何らわさ 、 川人も少女もよく知っ ているあの 淫蕩さから、も っとも速いも

308

の効力は、結局すべて、無慾識の観念に付随する情動作用は、

いる乙とを、 意識のなかに転換することだけであり、 ζの治療

多少慎重を裂する乙とは、患者が無意識のなかですでに知って

性生活について話しあう乙とで、良心の賀を感ずる必嬰はない。

といわれる性生活の限界がはや明確でなくなる乙と乙そ、その

きなければならない。異なった民族や時代を考えた場合、正常

でいるもの、すなわち身体領域や性的対象の点で、性的機能が 逸脱する ζとについ て 、 いたずらに怒る ζとなく話す乙とが で

れてゆくことが望ましいのである。われわれが性的倒錯とよん

もいまわしいもの||男性の男性に対する官能的恋愛ーーもギ リシア のような文化的にすぐれた民族にあっては、大自に見ら

ような熱狂者の頭を冷やすであろう。との性倒鉛のうちもっと

てい る。何もまだ知らない少女を堕落させる危険はす乙しもな い。その 無意識のなかに 、性的事象に対する何の知識もない場

れていたばかりか、重要な社会的機能すらゆだねられていたの である。われわれの誰もが 、自分の性生活のあちこち で、正常

されえないので、より破壊的でもある、という洞察にもとづい

合は、ヒステリー症状も成立しえないのである。ヒステリーが

として引かれた狭い境界線を少しずつ踏み越えているのである 。

意識的な観念に付随するそれよりもより強力なばかりか、制止

あれば、もはや、両親や教育者の意味する﹁無邪気な思い﹂な

倒錯は 、その認の激越な意味合いにおいても、獣的な乙とで も

どは問題ではないのである。私は十歳、十二歳、十四歳の少年

なければ変質でもない。それは子供の未分化な性的素因のなか

に、そっくり包含されている萌芽の発達したものであって、そ

ζの原裂が例外なくあてはまることに確信をも

の文化活動にエネルギーをあたえるものとなる。それゆえ、誰

少女について、 った。

第二の感情反応についてであるが、それはもはや私にではな く、と の女の患者に対して向けられ ︵ 私 の見方が正しいとして

かが明白な性倒錯になった抑制合、より正しくは 、彼は倒錯にと

強力にできあがって はい るが、発達の過程で抑圧され、無意識

どまっているというべきなのである。なぜならそれは発達障害

の抑圧・無性的な高い目標への転化ーーその昇準||は、多く

ζで、かかる感情的な偏見は医師にふさわしくない、

の認しだがて彼女の空想の倒錯的性格に恐れをいだくのであ と強調したい。私はまた、性欲異常について報告する医師があ らゆる機会を使って 、と のような嫌うべき物ごとに 対する 、彼

る。私はそ

個人の嫌悪を論文中にさしはさむ乙とは、 ζとに浅薄な乙とだ

空想は、彼らがクラフト・エピングの﹃性的精神病質﹂||素

となった倒錯傾向をもっ人間である。それゆえ彼らの無意識の

の一時期、を表現しているのだから。精神神経症の患者は皆、

と思うのである。ととでは一箇の事実が提出されているのであ り、それに 対しては、 われわれ は 、 好惑の感悩をも抑制して償

809 あるヒステリー患者の分析の断片

て私が他の女性患者について確定しえたと同じように、彼女が

リl嬢が 、無意識で、乙のような空想を展開させ、頭部の刺激 感此と阪によって表現した ζとは、驚くにはあたらない。そし

朴なひとびとは倒鈴傾向出現の多くの罪を、乙の木に負わせよ うとしているーーを読んでいなくとも、倒錯者の一件書類的な

錯の実際行為とやがて重なりあうこのような空想を、独力でつ

ネダ

行動とまったく同じ内容をしめすのである。いわば精神神経症

くりあげるための身体的前提条件が、注目すべき事実であたえ

乙れまた驚くにはあたらない。というのは、彼女の例では、倒

んで神経症患者に働き、正常な性意識の展開を妨げる。河床に

られたのである。彼女は’け分が子供のとろ、﹁指畷りつ子﹂で

外から教えられなくて、このような空想に到達できたとしても、

妨害物を見出し た河 の流れは、放棄さ れるはずであった以前の

あった乙とをよく憶えていた。ハスもまた 、彼女にその習慣をや

患者は倒錯者の陰画である。性的素因は、ーーそのなかには遺

流路にふたたび一民るのである。ヒステリ ー定状形成の原動力は、

伝素因の発現をもふくんでいる||生活上の偶発事の影響と結

抑圧された 正常な性窓識のみならず、無芯識の倒錯的衝動から

めさせるのに、四政か五成になるまでかかった ζとを思いだし た。ドラ自身も、彼女が左の親指をしゃぶりながら、片隅の床



もそ の力を汲みとるのである。

に坐り、右手で、そとに静かに座っている兄の耳たぶをむしっ

存在している。 と いうよりは、むしろ著者たちもその乙とを知 ってい る、という べきかも知れ ない 。ただ彼らは、 それについ

著述家をの ぞき世人が皆知っているように 、我が国民中に広く

いわゆる性倒錯の なかで、 比較的厭わしくない 者は、医師の

リズミカルに引っぱっている自分の姿を思いだ した。唇と 口膝

二歳の前半のとと||乳母の乳房を吸いつつ 、乳母の耳 たぶを

は、指しゃぶりの悪習をどうしてもやめられなかったのであっ たが、子供の乙ろを回想したさい||彼女のいうところでは、

習慣の由来を明らかにする報告をうる ζとができた。この少女

者も||後には感覚麻鮮の患者やヒステリーの患者も||報告 してくれたのである。私はそのなかのひとりから、 との特異な

ていた 幼年時代の光景をはっきり−記憶し ている。とれとそ指し ゃぶりによる自慰の完全な例であって 、 それについては他の患

て書乙うと筆をとる瞬間に、その乙とを忘れようと努めるだけ

粘膜が一次的な性感帯と見なしうる ζとには、誰も異論を差し

﹃ 性 *との性倒錯についての記述は、同盟 onrのすぐれた書物 ︵ 的精神病質の病問について﹄一九O二年、一九O 年︶より数年前 一 一欲論三日嗣﹄︵第五 性 に書き下された・一九O五年に私が箸わした、﹁一 版一九二二年︶をも参照のとと .

ζのような性交︵性器の吸畷︶が存在

なのである 。それゆえ、

する ζとを耳 にしていた われわれのやが て十九歳 にな る ヒステ

310

要もない。とうして、乙のはなはだ厭わしい、ペニスを吸うと いう倒錯的空想も、も っとも無邪気な源から発している。それ

手指のかわりとして、現実の性的対象、すなわちペニスのイメ ージを自慰のさいに用いる乙とには、創造力をたいして使う必

と、すべての源である乳首、それからその代理をつとめていた

た口腔性感帯の輿密がふたたび高進するような事情が生まれる

的対象、つまり陰茎をすでに知っている時期に、温存されてい

道の身体側からの対応の条件となるのである。そして本来の性

感帯の早期における十分な活動が、後目、居からはじまる粘膜

はさまぬであろう。なぜなら、乙の 意味の一部分は、正常なも のとされている接吻にも楓存されているのであるから。 ζの性

を知るととができたであろう。すでにわれわれは、一つの症状

い。すなわち一つの 窓味づけは主と して咳にかかわり、他の意 味づけは失声と病状経過にかかわっている。しかしさらに詳し

まる ζとは、必要ではない。さまざまな空想すべての源となる 主題によって 、関連が形成されれば、そ れで十分である。しか しわれ われの症例では、症状の調和がまっ たくないわけではな

意味が互いに調和する ζと、いいかえれば、一つの連関にまと

いては、ヒステリー 症状解消に ついての私 の経験に照らし て 、 つぎのように答えねばならない。ある一症状のもついろいろな

彼が帰宅すれば︵幸福の余り︶元気になるだろうに﹂それにつ

くちがって彼を愛し、彼が旅立てば︵愛慕の余り︶病気になり、

になる。﹁もし私が彼の妻だったなら、私は 彼の妻とはまった

は母または乳母の乳房を吸うと いう、先史的ともいえる空想の 改変されたものなのであり、普通、それは乳をのんでいる子供

た。と乙でさらに 、それはまた継時的にも、 多くの意味を表わ

が同時に多くの意味とまったく規則的に対応する乙とを経験し

しうる乙とをつけ加えたい 。歳月の経過のうちに 、定状はその

く分析すれば、はるかに徹底した病気の細部の精神的意味づけ

いていは乳牛の乳首が、母の乳首と ペ ニスのあいだの中間表象

との交際でふたたび活液化した ものなのである。その場合、た

今まで述べてきたドラの喉の症状の解釈は、さらにまた別の

として使用される。

てゆく。ノイローゼの性格のなかには保守的な特長とでもいい

うる、一度形成された症状は、たとえ無意識の思考が、その症

意味を、またはその 主要な意味を変え てゆくことができる 、あ るいは、指導的役割はある一つの意味から他の意味の上に移っ

のかとひとびとはたずねるであろう。その説明によれば、 症状

とれをできるだけ保持してい乙うとする傾向がある。しかしま

状のなかに自己の表現を見出し、その 意味を失ってしまっても、

が、つぎのような今一つの説明と、どのようにして両立しうる の出現と消失とは、愛する男の滞在と不在とを模倣してお り、

論議のきっかけともなる。彼女の空想に浮かんだ乙の性的状況

K夫人の行動と関連づければ、つぎの考えを表現しているとと

311 あるヒステリー患者の分析の断片

よんだ純粋に精神的な興沓が身体的な興奮に移行することには、

きる。すなわちかかる症状の成立は非常に難しく、私が転換と

たこの症状の保存傾向を、機械的に説明する乙ともたやすくで

よって証明されるのである。いかに強力な思考系列でもそれが

れを分解するととも除去することもできない 、という一特徴に

個人のいかなる意識的、意士山的な思考努力にもかかわらず、そ

一見正確な内容にもかかわらず病的なものであることが、その

の意味での強力、支配的な思考系列と名づけられよう。それは

正常であるなら、終りにはうまく処理するととができる。ドラ

それに好適な多くの条件がそろわねばならず、転換症状に必要 奮の発散衝動は、できるかぎり、すでに通過可能となっている 発散路を使用する ζとになる。新しい転換︵症状︶をつ くりだ

るものであることを感じていた。﹁私は他の

な身体側からの対応は非常にもちにくいので 、無意識からの興

すより、発散を必要とする新たな思考と、そ の必要がなくなっ

れない﹂と繰り返し彼女は訴えていた。﹁兄は、僕ら子供たち

たらよいのであろうか。

ζの強力になりすぎた思考の列は、そ

する効果のない反対について聞かされた後で 、 いったい何をし

乙のような支配思考に対し、その意識上の原因と、それに対

* ζのような支配思考は普通、ひどい不気嫌とともに、﹁メラ ンコリー﹂とよばれる病態の唯一の症状である。 ζの状態は、ヒス テリーと同様、精神分析で解消させる乙とが可能である。

私はパパを許せないのです﹂



分かるし、兄と同じように考えたいのですが、できないのです。

って喜ぶべき乙とかもしれない、というのです。私にもそれは

のひとを見つけたととをすこしも気に病む必要はないし 、かえ

はパパの行動を批判する権利はないよ、とよくいっています。 7 7がパパをほとんど理解してない以上、パ パが心をよせる女

は正当にも、自分の父についての考えが、特別な判断を要求す ζとは何も考えら

た古い思考のあいだの連合関係を形成する乙とのほうがはるか に容易である。そのように経路づけられた道の上を、興府閣は新 しい興密源から以前の発散点へ流れてゆき、かくて症状は聖書 の表現のどとく、新しい酒でみたされた、古い草袋に似るので ある。 ζのような論述によると、ヒステリー 症状の身体的部分 は、恒常的な置換しがたい要素であり、精神的部分は、可変的 なたやすく代理しうる要素のように思えるが、しかし ζの関係 から二つの要素のあいだのどんな地位の上下関係をもっけない でほしい。そして精神療法にとってはつねに精神的要素がより 重要なのである。 ドラは、自分の父とK夫人の関係について、同一の考えを断

むしろヴェルニッケ

え聞なく反復していたが、乙のととはドラの精神分析から、さ かかる思考系列は、あまりに強力で、

らに他の霊裂な収獲をうる機会となった。

312

の強力化の因を無意識中にもっている 、と いえるのではなかろ

、 それらは容易に 一般図式に適合させる とと であろう。しか し

される 、という方法で実行されるのである。私はとれを反動強

意識となる。 ζの関係は 、抑圧過程の一結果な のである。すな わち、抑圧はしばしば抑圧される思考の反対観念が過度に強化

思考は、 つねに密接に結合しあっ ており、しばしば 、その 一方 の思考は非常に強く意識するが 、その反対部分は抑圧され、無

るか 、そのどちらかであるから。後者の場合、隠され ている思 考は たい てい支配思考の直接の反対概念である。との対立する

わざと看破せしめた自殺の脅し 、||

の女かそれとも私か﹂という挑戦、彼女の演じた数々の事件、

嫉妬深い妻のように 、||ちょうど彼女の母の 行動だ ったなら、 ひとびとが納得したであろうように ||感じ、行動す る。 ﹁ あ

行動は明らかに 、娘としての範闘を超 えて いる。彼女はむしろ、

ず第一の仮定、父親とK夫人との関係に ついてのドラの強迫的 、 無意識のなかにひそんでいるのだから、彼女自 な心配の根は 身は気づかないのだ 、という仮定をためしてみよう、との根を

ところでドラの症例にわれわれの理論を適用してみよう。 ま

ができる。

化とよぷ。 そして 意識上 で過度に強く主張され 、偏見同様に除

彼女が母のかわりに自分を置いているととをしめしている。一 方、彼女の咳の根底にある性的空想に ついての推量が正しいと

うか。それは思考の力では解消されない。なぜなら、支配観念 自体、 その根が無意識の 、抑圧された 心的材料のととろまで達 しているか 、またはその背後に他の無意識的な思考を隠して い

去しがたい片方の思考を、反動思考とよぷ。二つの思考は互い に、あたかも無定位電流計の 一対の磁針の 二つ の針のどとく行

するなら、その空想のなかではドラはK夫人のかわりをつとめ ていた乙とになる。すなわち、彼女は父にかつて愛された女、

論は明白である。彼女の父に対する愛着は、彼女が知っていた

ては 明らか に

立する思考を抑圧下に抑えている。しか しそのために自 己 を ﹁ 鈍化﹂させ ているので 、 意識された思考の力には抵抗力をも っている。そ ζで抑圧されている対立思考を意識化するととが 、

より、あるいはま た彼女がよく自分は父を恋している 、と打ち 明けていた程度よりはるかに強かったのだ。

ζれらすべ

いろい ろな 関係や現象から類推する のは難しくはない。彼女の

動する。強度の点で若干優位にたつので 、反動思考はそれに対

支配観念からその強い力を奪う道なのである。 われわれはまた 、+ X配思考の乙のニつの原因のうち、その一

その異常な結果から知る乙との できる 、父と娘、母と息子の 、 幼児期の萌芽感覚の あいだの ζのような無意識の恋愛関係 は

現在愛されている女のふたりともに自己と同一視し ていた。結

つだけが存在する場合のみならず、二つの原因が共存する場合 もあると思わねばならな い。さらにまだ他 の重複も起乙 りうる

313 あるヒステ リ− f . ! . l ,者の分怖の断片



ふたたび活設化したものとして理解できるという ζとを、私は すでに学びおわっていた。私は他の場所で、両親と子供たちの あいだにいかに早くから性的筆引力が働きうるかを詳説して 、 エディプス神話はおそ らく、と のような典型的関係の詩的翻案 と解しうるととを指摘したのであった。父に対する娘の、母に 対する息子のこの早熟な愛着は、おそらく大多数のひとびとに 明白な痕跡を見つけることができるが、とくに神経症の体質を もち、早熟で愛情に餓えている子供では、すでに最初からより

市 ﹃夢判断、 一七八頁︵第七版一入一頁︶および﹁性理論論文 集﹄︵第五版一九二二年︶の第三論文。 **自然に目覚めたものであれ、誘感や自慰によ りよび さまさ そ 、 ζれの決定的 れたものであれ、真の性器感覚の早過ぎる出現乙 な契機であろう.

私がドラに、あなたの父親に対する愛着はすでに早くから、

ない、と告げると、彼女は例のどとく、﹁私には思いだせませ ん﹂と答えはしたが、すぐに彼女の七歳になる従妹︵母方の︶

まったく恋愛と同じ性質をもっていたと認めないわけにはいか

影響が乙乙で作用しはじめ、乙の痕跡的な恋愛感情を固定する

について||彼女はこの従妹のなかに、いわば自分の幼年時代

、 る。われわれの患者の外的事情 は る何物かが 、生ずる のであ* 乙のような推測にかならずしも不利なものではなかった。彼女

る何かが、そしてまた性的愛着と同じようにリピドーを要求す

死んじやったら、私パパと結婚するわ﹂私はこのような連想の

に憎んでいるか、あんたには考えられないでしょうよ。

口論の 目撃者であっ て、たまたまそ乙を訪れたドラの耳につぎ のように噺いた。﹁私が乙のひと︵母親を意味する︶をどんな

ζとを報告した。との女の子は ζれまた両親のあいだの激しい

の反映のようなものが見られる と思っていた||これと同類な

の素質は、彼女をいつも父親に引きつけ、父のたび重なる病気

はない。無意識の ﹁いいえ﹂のごときは全然存在しない。 ホ︹一九二 三年ーの追加 U私が当時まだ 気づいていなかっ た今一つ

7 7が

は、父親に対する彼女の愛情をたかめたに違いない。 ζれらの かされた 。父は彼女の早熟な知能に誇りをもっていたので、ま

病気のあいだ 、彼女だけが、看護の比較的経い仕事を父からま だ子供のころから彼女を信頼し、傍に引きよせていたのであっ た。そ れゆえ 、事実上K夫人の出現によって、母親ではな く、 彼女 ζそが、一つならず数々の位置から追い立てられたのであ

ナイン*

なかに ||すなわち私の主張内容と一致するものをもたらして くれる速恕のなかに||無窓識の是認を見 てとる乙とに習熟し −y l ている 。 ζれと別の種類の﹁はい ﹂が無意識から聞かれるので

やっと思春期に到達したころに、そとから性的愛着と等置でき

か、強化するのである。その結果、いまだ小児期に、あるいは

強くみてとることができる。いまだ論じる必要のない二 、三の

る 。

814

のはなはだ注目すべき、また十分たよりうる無意識の是認の形は、 ﹁その ことは考えませんでした﹂とか、﹁私はそんなふうには考えま せんでした﹂などという患者の嘆声である。とれはつぎのように翻 訳できよう。﹁はい、そうです。でも、それは私には意識されてい ませんでした﹂ 父に対する恋慕の気持は数年にわたり外へは現わされなかっ た。むしろ彼女は、自分を父の傍から追いだした当の女性と長 いあいだ心から睦まじくしていた。そしてわれわれが彼女の自 己非難から知る ととができたように 、その女性と父との関係を さらにうながし たのであった。それゆえ 、父への愛着は最近に な ってふたたび活滋になったのである。もしそうなら、何の た めにそうなったかをたずねてもよかろう。それは明らかに 、他

しるし

洞察をもっ ζとができた。彼女はおそらく一方では、男の申込 みを拒絶した 乙とにすっかり後悔していたろう。そして彼の人

柄ゃ 、愛仙の細々した徴に、心のなかで憧れていた。他方 ζ の優しい慣れの感情に 、いくつかの強力な動機が抵抗したが 、

そのなかで 一番はっきりしているのは、彼女の誇りであった。

こうして彼女は 、自分はK氏と手を切ったのだ 、と自分にいい きかすのに成功した||乙れは 、典型的な抑圧過程によって彼

女が獲得したものであるーーだが彼女は、たえ閤なく意識に上

ってくる思慕の念から身を守るために 、父に対する幼児期の愛

*ι

慕をよびさまし 、誇張せねばならなかった。と ζろで彼女がほ とんど絶え間なく嫉妬の念に支配されていたという事実には、

つぎのように仮定せざるをえなかっ た。﹁彼女の Kへの思慕は

は、単に抑圧とその決意を主張しているだけなので 、 いわば抑 ナイン 圧の強さの測定なのである。 ζの﹁否﹂を公平な判断の表現と

初めて患者の意識的認知の前にさしだしたとき聞かされる ﹁ 否 ﹂

乙の解釈がドラの断固とした反対をよびおこしたことは、私 にとってす乙しも予期に反しなかった。抑圧されていた恩考を、

さらに深い決定図を求めるととが可能と恩われる。 *と れについ ては後にふれる .

いまだ続いて いるが 、湖畔の事件以来||未知の動機によって

してーーもちろん病人にそれは不可能であるが |!とらずに 、

の何かを、無意識中のいまだ強力な何物かを、抑圧するための 反動症状である。 ととの次第から、私はまず第一に 、抑圧を・つ けたのはK氏への愛である 、と恩わざるをえなかった。そして

||そ れに対する激しい抵抗が生まれた。少女は、かつての父 に対する愛着をまたよびもどし強化することで 、彼女が乙女に

それを越えてさら に分析作業をつづけるならば、やがて 、その

ナイン

な ったばかりのころからの 、苦痛と化した恋愛を意識のなかで

場合の﹁否﹂は予期どおり﹁はい﹂を芯味するという証拠のは

ヤ1

は 、 もはや気づかぬようにせねばならなかったのだ﹂また私は、

ナイシ

少女の精神生活を拠出乱するのに格好な 一つのお藤状態について

315 ある ヒステリー患者 J)分析の断片

しりが姿を現わすのである。ドラはK氏を、彼がそれに値する だけ怒る乙とができないでいる、と白状した。彼女は語った。 ある日、従妹と一緒に歩いていると、路でK氏にあったO K氏 のことを知らない従妹は、とつぜん大声でいった。﹁ドラ、い った いどうしたの。まるで死人のように蒼白よ﹂ドラはとの変 化について、何も感じていなかったのだった。それで私から、 感情の表出と表情の変化は、意識上のことより、むしろ無意識 *

のことにしたがうこと、そして前者にとっては、その秘密を洩 た。また数日間同じような朗らかな気分がつづいた後、彼女は

らす裏切者のようなものであるととを間かされねばならなかっ かつてない不気嫌で私のもとに現われた。そのわけを彼女は説 明することができなかった。今日は何か嫌な気持なのだ、と彼 いこうとしてできない、なぜか分からないが、と。私の解釈の

女はいった。伯父さんの誕生日なのだが、お祝いの挨拶をしに 技術は、その日鈍かった。私はもうすとし彼女に話させた。す るととつぜん彼女は、今日がまたK氏の誕生日でもある乙とを 思いだした、しかも乙の乙とは、私とて彼女に使うことを怠っ

*汝が現れは静やかに 品川が去りゆくも静かに送らん

シラl ﹁騎士トッゲンベルグ﹄

しかしドラはその後かなりのあいだ相変らず私の主張を否定

しつづけていたが、ついに分析の終りのころ、との主張の正し さについて決定的な証拠をあたえたのであった。

とのような心の状態を小説に創作するにしても、そのことには

私は ζとでさらに複雑な事態を考慮せねばならなくなったが 、 その事態は、私が医者として分析するかわりに、詩人として、

エレメント

きっと少しの紙幅もあたえようとはしないような乙となのであ

る。今私がしめそうとする要因は、われわれがドラに認める美

しい詩的な心の葛藤を、ただ濁し、抹殺してしまう。それは詩

人の検閲の犠牲にされてもやむをえない、詩人というものは、

になるものなのだから。しかし、事実は l|それを私はこ乙で

彼が心理学者として登場する場合、いささか単純になり抽象的

述べようと努めているのだがーーもろもろの動機の鈴綜、心的

考の背後には、また、との夫人を対象とする嫉妬の感情も、す

である。父親とK夫人との関係に没頭する、というこの支配思

興奮の集積と結合、要するに決定因子の復A口が通例のととなの

の誕生日に、なぜ多くの贈物が彼女をぜんぜん喜ばせなかった

なわち同性に対する愛慕にもとづく感情も、隠されていたので

ていたわけではなかったのだ。そ ζで、二、三目前の彼女自身 か、そのわけを説明することもたやすくできた。ただ一つの贈

ある。思春期の少年少女に同性愛が存在する明白な徴が、正常

aU スvlu

かに彼女にとって一番価値のある贈物だったのである。

物が欠けていた。それはK氏からの贈物であって、前には明ら

316

こ ζであの女の家庭教師の乙とを思いだすのである。ドラは彼

明るみに出す前に、終わってしまったからである。だが私は、

であったが、そのうち自分が彼女から−評価され、親切に扱って

女と、最初は親密に互いに考えを交換しあって暮らしていたの

されてきた。蓄い、接吻、永遠につづく文通の約束、さらには 敏感きわまる嫉妬の情までそなえたクラスメートとの陶酔的な

者についても観楽されることは、つとに知られ、しばしば指摘

友情は、普通、少女が一人の男性に激しい初恋を抱く前のさき

ったことに気づいたのであった。そ乙でドラは、との家庭教師

もらえるのは、別に自分の人柄のためではなく、父のためであ

に家から去るよう強いたのであった。彼女はまたしばしば、特

がけなのである。事情が適当なら、乙の同性愛的な感情の流れ

別力をこめて 、彼女自身には謎のように不分明な、今一つの疎

はまったく克服される。もし男性との愛が幸福でないと、との いには強弱いずれにしろ何等かの強度まで高まるのである。健

ちとけどんな秘密をも分かちあっていた。と乙ろでドラの父が 、

流れは後年になってもときどきリピドーによって復活され、つ

例の湖畔でのとつぜん中断された逗留の後、はじめてまたBに

康者についても、こんなに多くの乙とをたやすく確定できるの の倒錯の萌芽のよりはっきりした形成に加えて、彼らの体質内

のほうと||この女自身は後に嫁にいったが||とくに良くう

にひそむより強い同性愛素質をも見出せるのでないか と思うで

遠について話すのだった。つねづね彼女は自分の従姉妹の妹娘

あろう。事実それに違いないのだ、というのは私はいまだかつ

い、との従妹がドラの父と一緒に旅行する乙とを求められ、そ

行くことになり、ドラがむろん父についてゆくのを拒絶したさ

範囲︺ であるなら、神経症の患者についても、前述した正常 ︹

て、かかるはなはだ著しい同性愛的感情の流れを考慮すること

った。そして自分は彼女を強く非難するととはできないと認め

れを引き受けた。そのとき以来ドラは彼女に冷たくなってしま

ながらも、どうして彼女に冷淡になってしまったかわれながら

なしに、男のあるいは女の精神分析をやりとげた乙とはないか き性リピドーを精力的に抑圧しつ.つけると、ほとんど規則的と

らである。ヒステリ ー の夫人または少女が、男性に向けらるべ

不思議に思うのであった。この敏感さは、いったい仲迷いする

るきっかけとなった。するととの若妻とほとんど大人には成り

までの彼女とK夫人の関係は何だったのか、と私にたずねさせ

私はここでは、この重要なまたとくに男性のヒステ リー 理解

た乙とを聞きだせた。ドラがKの家に逗留するときには、 K夫

きっていない少女とは、すでに数年も非常に親密に芥らしてき

いってよいほど、女性に向けられるリビドlが代理作用により

のために不可欠な主題を、これ以上論じようとは思わない。何

強化され、ある程度まで意識化されるのを見るのである。

となれば、ドラの精神分析は彼女の精神生活のこれらの事情を

317 あるヒステリ ー患者の分析の断片

少女との交際を妨げる乙とは、むろん何もしなかった。自分の

ロイザ烈5 5ω が自分のふ たりの子供たちと親しくなったこと に満足していた。彼女︹メデア︺はまた、子供たちの父ととの

w仰は、ク 彼らが話しあわぬ乙とは何もなかった。メデア宮ぬ門r

難の信刻する打ち明け相手であり、助言を求めるひとであった。

であった。ドラは夫人にとって、彼女の紡焔生活のあらゆる困

人と寝室を分けあうのがつねであり、 K氏は他の場所で寝るの

氏に対する告発を進め、ハスもK氏に対する手紙のなかで ζれに

雑な感情の流れの表現なのだ。何となれば 、と の熱情的に愛さ

張本人と見なされても仕方がなかったのに。彼女は首尾一貫せ ぬように振鉾った。だが一見くいちがって見えるもの乙そ、複

らない、||夫人は支配思考の見地か’りすれば、彼女の不幸の

と語るのだった。総じて、私はドラから、夫人に対する冷酌な あるいは立腹した調子の言葉を聞いたことがないといわねばな

人の家でかつて見て、大声でねだった品とまったく同じものだ、

ふれるようになると、彼はその返事としてまず自分の彼女に対 する尊敬を寄うとともに 、すべての誤解を解くため工場のある

れた女友達は、ドラに対しどう振舞ったであろうか。ドラがK

愛慕する女友達からあまたの悪事を間きしっていた当の男を、 ドラがどういうわけで愛するようになったかは、興味ある心 理 的問題である。それはおそらく無意識のなかでは、種々の思考

市へ来る旨申し 出た。二 、 三週間後に父が彼とBで話しあった ときには 、尊敬はもはや問題にもならなかった。彼は少女を悪

がとりわけやすやすと共存し、ときには相対立する思考でさえ よく見受けるところであるが|| このことに岡山いいたるならば

争うことなく両立しうるという||乙の乙とは怠識の上ですら、 解決しうるであろう。

んなことに興味をもつような少女は、男の尊敬をいささかも要

しざまにこき下し、切札を出してきた。﹁そんな本をよみ、そ

ドラが K夫人について語るとき、 彼女は夫人の﹁魅惑的な白

うよりはむしろ悲しそうに、パバがくれた贈物はK夫人が尽力

負かされた恋仇というよりは、むしる彼女の恋人のそれにふさ わしいものであった。また別の折には、ドラは怒っているとい

すなわちK夫人もドラのととを、その人柄のゆえに愛したので はなく、彼女の父のために愛したのにすぎなかった。 K夫人は

起こったのとまったく同じ乙とがふたたび起こったととになる。

題について話したのだったから。かつて家庭教師とのあいだに

求できない﹂ K夫人がドラを裏切り、中傷したのだった。彼女 はK夫人とだけ 7ンテガッツァの本の乙とや 、 いかがわしい話

したに巡いない、彼女は夫人の趣味をよくしっていると語った。

彼女を一瞬のためらいもなく犠牲にし、自分とドラの父との関

い休﹂をほめたたえるのがつねであったが、その口調は、打ち

ζれは彼女が夫

また別の折には、彼女は声を強めて、明らかに K夫人の配慮と 恩われる宝石の贈物が彼女に送られてきたが、

318

係が乱されるのをふせいだのである。おそらくとの周辱はドラ により身近に感じられたので、今一つのもの 、すなわち父が彼 ζ れで彼女は前者を覆い隠 女を犠牲 にし たと いう屈辱が、−1 そうとしたのであるがーーーよりいっそう病原的に働いたのであ ろう。彼女のいかがわしい知識の源につ いて 、かくも頑強に健 忘が固持され たことは、︹彼女に加えられた︺告発の感情的価

生活にその典型を見る ζとができる。

第 一の夢

を正確に同じようなぐあいにすでに繰り返して見ていた。周期

生活のなかで不分明な点を解明する見通しのついた矢先、 ドラ は先日 、どく最近のある夜夢を見たと報告した。彼女はその夢

分析すべき多くの材料がえられた乙とによりドラの 小児期の

私はそうゅうわけで 、父親と K夫人の関係にかかずらうド ラ

的に繰り返される夢はすでにその特徴によってとりわけ私の好

値を 、したがってまた女友達の裏切りを、直接証明するもので

の支配的な思路は、単に K氏に対する彼女の愛を抑圧するため

。 はなかっ たか

ばかりでなく、K夫人に対する深い意味で無意識的な恋愛を覆

父が私のベッドの前に立ち私を起乙します。私は手早く衣服 を

に乙の夢を組み 入れる乙とに 着目するととは許されるであろう。

奇心をそそるものであった。治療上、分析の全体的関連のなか

。 彼女は間断なく、パパは乙の 向うから対立する関係で あっ た 夫人のために私を犠牲にしたと抗弁し 、彼女に パパを占有させ はしない、と騒々しく意字宮衣示を行ない、とのようなやり方で

ますが 、パパは﹃お前の宝石箱のために私と二人の子供が焼死

い隠すためのものである 、と仮定しても間違いではないと思っ ている。との後の方の︹感情の︺流れは、彼女の支配観念と真

乙れと反対の乙とを||すなわちパパに乙の夫人の愛をあたえ たくはな いこと 、また熱愛する夫人が自分を裏切った幻滅を赦

するのはごめんだ﹄といいます。私たちは急いで階下に降り、

7 7はまだ自分の宝石箱を持ちだそうとしてい

* 実際には自分の家が火事になったととはないと彼女は私の質 問に答えた .

家の外へ出たとたんに目が覚めました﹂

身につけます。

、* 第一 の 夢に ついてトラは 諮った。﹁家のなかが燃え ています。

そ乙で私は乙の歩をとくに慎重に研究しようと決心した。

す乙とはできないというととを1 1隠し たのであった。女性の 嫉妬の感情は、男性が感じるような嫉妬に 、無意識のなかでは つな が っている。乙の男性的な、より適切に いえば、女好きの 感情の流れは、 とのヒステリ ー娘の無窓識の恋愛 口 OE 唱 口部 句

319 あるヒステリ ー患者の分析の断片

I I

ζの夢は絞り返し見られたものなので、もち ろん私は彼女が

ました 、 そうはいかない 、外へ出なければならないようなこと

ぐあいに閉じ込められるととをパパは望みません。パパはいい

なく、 食堂を述ってだけ行き来ができるのです。兄が夜そんな

7 7といさかいをしています。つまり兄の部屋には出入口が

いつ 初め て ζの夢を見たかとたずねた。||彼女には分からな



かった。が 、 この夢をLで︵K氏との出来事の起こった湖畔の

が夜中に起こるかもしれないから 、と﹂

あなた自身の使った言回しを銘記して下さい。おそらく私た 、 ちにはそれが必裂になるでしょう。あなたはいいましたね 、外 、 、、 、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、 * 。 へ出なければならない乙とが夜中に起 ζるかも しれない 、と

﹁ はい ﹂

そのととをあなたは火事の危険と関係づけたのですね?

地名︶三晩つづけて見たのを思いだした。その後この夢は、数 ζとは当然夢解きに関する

日前 こと,ウィ ー ンの町でふたたび現われho ||Lでの出来事 と夢とが このように結びつい ている

私 の期待を高め た。しかし私はまず、最後に繰り返された夢の きっかけを知り たいと恩った 。 そ乙で私はすでにこれまでに分 析され たいく つかの簡単な事例で夢解釈の手ほどきを受けてい たドラ に 、 夢をばらばらに分解し 、 そのうえで夢に関係のある ととが浮かんだら報告するように彼女に求めた。 * その内容から、 Lでの努が最初に見られた夢であったととが 託明される。 彼女は い った。﹁ある乙とが思い浮かびますが 、そ れは夢と

本 私 が ζの詩句をとりあげた のは、それが私をまごつかせたか らである。乙の文章は私にはこ義的な符をあたえる@同一の文訟で ある肉体的欲求について語られはしないであろうか ? しかし 二訟 的な文京は連想過程に対する﹁転轍俊﹂のどときもの である。この ポイントが夢の内容の なかであわされた方向とは違った方向に問位 されると、 いまだに夢の背後に隠され、探し求められてい た思考が その上を動いていく軌道に達する 。ととろでドラは との夢の最近の きっかけと当時のきっかけとの関係に気がついた。というのは彼女 がつぎのように先をつづけたからである。

私たち、 パパと私がLに到若したとき 、パパはすぐさま火事 ﹁

﹂ り﹂ .

は関係ありません。というのは私が夢を見たのは確かにもうず っと以前のことですのに、そのことはど く最近 の 乙 と で す か それは構 いません。早くいってど ら んなさい。それ ζそ夢に

避笛針のない小さな木造家屋を見たのです。ですから乙の不安

が心配だといいました。私たちは激しい雷雨の最中に到者し 、 ぴったりあう最近の山山米一 山 中 な の でしょう。 それでは 、 ζ ζ数日 7 7が夜食堂を閉めるという理由でパパ ﹁

32 0

はまったく自然なものでした﹂ さて私にとって重要な問題は、 Lにおける出来事とその当時 繰り返して見た同一の夢との関係を明らかにする ζとである。 そとで私はつぎのようにたずねた 。あなたは乙の夢をLに滞在

娩も滞在していたとすると、あなたはこの夢を四回繰り返して 見たはずです。たぶんそうだつたでしょう?

︵もちろん私は乙の事件が最初の

乙ろの晩に見ましたか、つまり森のなかで 例の事件があった前

遊した後の午後の ζとでした。 K氏と私は正午にもどって来て 、

るかわりにつぎのようにつづけた 。 ﹁それは私たちが湖上を周

彼女はもはや私の主張に逆らわなかったが 、私の質問に答え

*上述の二八四頁に 、回想のさい途巡する ζとについて私が述 べたことを参照のとと。

ですかそれとも後で すか?

私はいつものように寝室のソファーに身を横たえてしばらく眠

中最初の乙ろの晩に見ましたか、それともLを出立する終りの

日すぐに起こったのではなく、彼女がその事件の後なお数日事



件の乙とを何も口外せずにL K滞在していた乙とを私は知って

の立っているのを見ました・﹂

ろうとしていました。とつぜん私は目を覚まし、すぐ前K K氏

彼女は最初 ﹁ 分かりません﹂と答え、しばらくして﹁たぶん

いた︶

*もちろん新たな記憶材料が出現してはじめて私の質問に答え られるのである。

後だったと思います﹂と述べた。 かくて私は乙の夢があの体験の反応であることを知ったので

すると、夢のなかでパパがあなたのベッドの前に立っている のを見たのと同じですね。

﹁そうです。私は、ととで何を探さなければならないのか、と

ある。しかしなぜそ乙で三度も繰り返 して夢を見たのであろう Lでの 事件のあと、あなたはな か?私はさらにたずねた。 ﹁ お、ど のくらいのあいだそこにとどまっていましたか?﹂ 今私はこの夢がK氏との体験の直接的な結果である ζとを確

きに自分の寝室にいくのは差し支えないでしょうと。ともかく

彼を問いつめました。彼が答えていうには、自分がいきたいと

﹁あと四臼聞でした。五日自に私はパパと出立しました﹂ ζで初めて見たのですね。その前

信する。あなたはこの夢をそ

彼は何かを取りに来たのです。乙の乙とがあったので私は用心 深くなり、K夫人に、い ったい寝室には鍵がないのですかとた *

ために記憶に不確実さをつけ加えたにすぎません。しかしまだ

ずねました。そして翌朝︷二日目︶着替えのときには鍵をかけ

に見たことはなかったのですね。あなたは乙の関連を抹消する 私には計算がぴたりとあいません。もしあなたが事件後なお四

321 あるヒステリ ー患者の分析の断片

をかけたいと思ったのですが、そのときには鍵がなかったので

ました。それから午後になってソファーに横になろうとして鍵

目の朝1l着替のさいに部屋の錠をしめるのに鍵のない乙とを

を繰り返すだけの時聞があったわけですね。その翌朝|| 三日

の後二日目、三日目、四日目の夜と寝ているあいだにとの決心

その夢がまさにある意図に対応していたからなのです。意図は

とができたのです。しかしあなたの夢が毎晩繰り返されたのは、

した。そ ζであなたはできるだけ着替えを急どうと決心すると

あなたはすでに二日自の午後、つまり夢を見る前に知っていま

す。きっとK氏が鍵を取りさったのです﹂ 乙れは部屋に鍵をかける、かけないというテ17ですね。乙

ζの乙とに関係しているのではあ

のテ 17は夢に対する最初の思いつきにも現われたし、偶然に *、 もまた夢の新たなきっかけにも一役かっていますね。私は手早 りませんか?

く衣服をつけるという文章も

それが成就されるまで器祝するものです。あなたはあなた自身 にあたかもつぎのようにいっているかのようです。﹁私がとの

家を出てしまうまで安らぎはえられないし、安眠するとともで

目が覚めます﹂といっているのです。

きない﹂と。逆に夢のなかであなたは﹁私が外に出たとたんに

私は ζ乙で精神分析の報告を中断し、夢解釈の ζの部分を夢

﹁そのとき私はパパと一緒でなければ K氏の所にとどまるまい

あり、無意識的なものに属するものであれば、その描写は仮面

私の著書のなかで詳述しておいたが、夢とはかなえられたもの

*ドラにはまだ話してないが 、その象徴的意味合いのために乙 の要素がドラによって利用されていたのではないかと推測する。前 V のなかの﹁部屋﹂は普通﹁女性の部屋﹂を代表したがるものであり、 女性の部屋が﹁開いている﹂か﹁とじられている﹂かはもちろんど うでもよいというわけにはいかない。との場合どんな﹁健﹂でその 部屋を開けるかという乙とも周知のことである。

と決心しました。その後毎朝着替えのさいに私はK氏が襲って くるのではないかと恐れたに違いありません。それでいつも急

ただ無意識的な願望、あるいは無意識的なものにまで到達した

をかぶったものとなるであろう。子供の夢の場合をのぞけば 、

けれどもK氏がふたたび私を悩ますことはありませんでした ﹂

解釈の作業によって発見する乙とのできるような意味があると いうととを主張するととで、もし私が満足していたとしたら、

願望のみが夢を形成する力をもっている。夢にはすべてある夢

として拙きだされた願望である。もし願望が抑圧されたもので

会AT

いで衣服を着ました。パパはホテルに泊まっており、 K夫人は

形成のメカニズムに関する私の一般的原理に当てはめてみよう。

パパと遠出をするためにいつも朝早くから出かけていました。 分かりました。あなたは事件後二日目の午後K氏の追求の手 から逃れようと決心したのですね。そして森のなかでの出来事

322

いっそう確実に大方の同意がえられたであろうと私は思ってい

れゆえ 、最初は睡眠中にも継続された日中の意図として現われ

ζの規則の正しさを新たにうらづけるものであ

ならない。私は質問をつづけた、

7 7がもちだそうとした宝石

われわれはむろんなお乙の夢の大きな断片を解釈しなければ

る乙とをしめす乙とは 、私にとってとりわけ価値のあるものと なるであろう。

的となっ ている

た乙のドラの夢のように、一見例外と恩われるものも、論議の

ζみうるような思考によって夢を置き

る。夢解釈が完成すれば 、党限時の精神生活のなかでたやすく 見分けのつく場所にはめ かえることが可能になるであろう。さらに論を進めて 、夢のも つ意味が覚醒時の思考過程と問様に多彩である乙とを証明する こともできたであろう。すなわちそれはある場合にはかなえら れた願望であり、他の場合には現実化された恐怖であり、また ドラの夢の場合のよう 睡眠中も継続された熟慮であり、意図 ︵ に︶ であり、陸眠中の精神的創造物の断片などである。乙のよ

﹁7 7は装飾品が大好きで、パパからたくさんもらっていまし

箱のほうはどうしましたか? た ﹂

うな叙述の仕方は確かにその平明さのゆえに魅惑的であったろ うし、たとえば乙こで分析した夢のように十分に解釈された多

私も以前は装飾品が大好きでしたが 、病気になってからは全 ﹁

そのかわりに私は夢の意味を唯一の思考形式に、すなわち願 望の摘出のみに限局するという一般的な主張を行ない、その結

かったのです。と乙ろがパパはその種の物を好まな いので、そ

の夢より一年前︶パパ と 7 7のあいだに装飾品の乙とで大喧嘩 がありまし た。 7 7は何か特定のもの、 真珠の耳飾りがつけた

然つけません。 1| 以前も、それは四年前のととでし たが︵乙

あなたは?

数の例誌に準拠することもできたであろう。 一 九OO年 ︵ 七版一九二二年︶。 * ﹃夢判断﹄、

果もっとも一般的な反論を引き起乙す乙とになったのである。

のかわりに腕輪を

7?にもってきました 。 7 7はひどく怒っ て パパにいいまし た、私が欲し がりもしない贈物のために とんな

だが私が述べておかねばな らない乙とは 、私には読者にいっそ

にたくさんのお金を使うなんて 、 いっそ誰か他のひとにでも贈

う広く受けいれられるように 精神現象を単純化する権利も義務 もないと思っていることである。たとえその精神現象が私の研

ったらよいのに、と﹂

そのときあなたならその贈物を喜んで受けとったのにと恩つ

究に複雑さ1ーその複雑さを統一するような解決は他の場所で はじめて見出されうるもので あるが ーーを加えるとしても。そ

323 あるヒステリ ー患者の分析の断片



たのではありませんか? 7 7がこの 夢

一 7 7はそのときL Kは

﹁分か りません。それど乙ろか いったいどうして に出てきたのか分かりません。だって 緒にいなかったのですもの* ﹂ *とれは何か抑圧されたものを認めたとき、当時彼女が用いた 常套語である。 **不断はよく知っているはずの夢解釈の 規則を彼女がまった く誤解している乙とをしめす乙の所見、および宝石箱に対する彼女 の渚惣がためらいがちで 乏しい ことは、非常に 強く抑圧されている 材料がことで問題になっているととを私に託明した。 そのことは後で説明する ことにしましょう。宝石箱に ついて 何か他の乙とは岡山い浮かびませんか ? 今まであなたは装飾品



﹁先生がそれをおっしゃりたいのは分かっていました﹂

*抑圧されたものから浮かびあがってくる知らせを傍へ押しや るさいに非常にしばしば用いられる方法。

というととは、あなたはそれを知っていたということですね。

ってい まし たね。この男が私の後をつけている。彼は私の部屋

| | ζれで夢の怠味がもっとはっきりしてきます。あなたはい

に押し入ろうとしてい る。払の﹁宝石箱﹂は危機に瀕している。 乙乙でもし 不幸が起こったら 、 それはパパのせいだ。それゆえ

まりそ乙からパバがあなたを救いだす危機という状況を選んだ

あなたは夢のなかでその反対のことが表現されている状況、つ

いずれにせよ秘密は

のです。一般に乙の領域では夢はすべてが逆転しているもので す。あなたはやがてその理由の説明を聞く ζとになるでしょう。

パの愛情

7 7が突き返したものを喜んで受けとろ

7 7は以前は あなたの競争相手でし た。例の腕輪の

事件のと き、あな たは

に関しては

7が登場してくるのでしょう?ど存知のとおり、パ

7 7にあるのです。いったいどのように 7

﹁ そ うでしたOK氏がそれよりしばらく前に私に高価な宝石箱

のととばかり話して、箱については何もいってませんね 。 を贈ってくれた乙とがあります﹂ ζのあいだあ

するととの贈物のお返しはまさにその所をえている ζとにな

うと思ったのです。 ζ ζで一度﹁受けとる﹂を﹁あたえる﹂に 、



りますね。あなたはたぶん知らないでしょうが、

なた が身につけていた小さな財布が暗示していたのと同じ物、 つまり女性性器を表現するものとして 、 ζの﹁宝石箱﹂という

ると 、あなたがすでに

うという気持になっていた ζとを意味する乙とになります。そ して ζ乙で問題になっている乙とは装飾品に関するものだった

7 7がパパに拒んだ物をパパにあたえよ

拒絶する﹂におきかえてみましょう。そうす ﹁突き返す﹂を ﹁

言葉は ζのんで用いられているの です。 世帯乙 の小財布については後記参照 。

324

のでしょ弘。さてK氏があなたに贈った宝石箱のことを思いだ し て下さい。そ ζではあなたは平行する恩考系列の削緒を鋼ん でいるのです。その恩考系列においては、あなたのベッドの前 に立っていたという状況の場合のように、パパのかわりにK氏 がおきかえられています。彼はあなたに宝石箱を贈りました。 あなたは そこであなたの宝石箱を贈らねばなりません。そのた 、 あなたの との 恩考系列で は

7 7はそのとき確かにそこにいた

めにあなたは少し前に﹁贈物のお返し﹂のととを話したのです。

う乙とになります。乙れとそあなたが非常な努力をはらって抑

K夫人と おきかえられるでしょう。 した がってあなたはすでに K夫人がK氏に拒んで いるものを彼に贈る気になっているとい 圧しなければならず、あらゆる要素を反対のものに転化せざる をえな かった思考なのです。私がすでに 乙の夢を見る前にあな たに 話したとおり、あなたの気持がK氏になび かないように設 がパパに対する背の愛情を喚起したという事実の正しさをふた

釈を後に引用するととができるであろう。 *本なおつぎのととをつけ加えよう。||どく最近の数日間拶 が繰り返して現われた ζとから、同じ状況がふたたび起こったとあ なたが考えた乙と、そしてパパがあなたを連れてきたので始めた治 療をやめて帰ろうとあなたが決心したという ζとを私はさらに推論 しなければならない。結果は私 の推察が正しかっ たととをしめして いる。ととで私の解釈は、実際的にも恕論的にもきわめて重要な主 題である﹁転移﹂の問起にふれている。 Eの論文では転移という主 題を詳論する機会が私にはもうほとんどないであろう@

私の解釈のこの部分に彼女はもちろん同意しようとはしなか った。

しかし私にはさらにこの渉解釈の続きの部分が明らかになっ た。それは乙の症例の病歴にとっても、また夢理論にとっても

不可欠であると思われた。つぎの面接のさいにドラにとの続き

︵ 外 へ出なければならない。夜不幸が起 ζるかもしれない ︶か

の部分を知らせることを私は約束した。 いうまでもなく、私 は す で に 着 目 し て お い た こ 義 的 な 語 句

立証するものでしょう?それはただあなたがK氏を恐れてい

それに加えるに、夢の解明はある種の要求がみたされないかぎ

らえられたように思われたヒントを忘れる乙とができなかった。

たび 裏書しています。 し かし乙の努力のすべ てはい ったい何を るという乙とにとどまらず、あなたが自分自身を、彼に同意し

り私には不完全であるように思われたのである。別に普遍的な

てしまいそうな あなた自身の誘惑欲を恐れているというととな

要求を望んでいるわけではないが 、私はとくに乙のんでその要 *療

のです。つまりあなたはそれによって彼への愛情がいかに強い *またとの耳飾りについても、前後の間遠から必裂となった 解

求をみたしたいと思うのである。形のととのった夢はいわば二

ものであるかを証明しているのです。

325 あるヒステリ{患者の分析の断片

体験とのあいだを夢がつないでおり、夢はもっとも古い過去を

係している。乙の両者のあいだ、つまり小児期の体験と現在の

的なきっかけに 、他方の足はあとづけにくい小児期の事件に関

とするといったぐあいです。私はそれを正確に述べることはで

それは子供たちが火の夢を見ると、 つぎにはそれを水で消そう

おそらく火と水という対立関係がその基礎にあるのでしょう。

は子供たちがベッドを濡らしはしないかと気遣っているのです。

ζとについて何も知らなかった。||つまりひと

手本にして現在を変形しようとする 。夢を作りだす願望はつね

きません。しかしあなたの場合にはこの火と水という対立関係

彼女はその

に小児期に由来するもの であり、夢はいつでも小児期を新たな

います。

が夢のなかで際立った役割を演じていたという ζとに気づいて

本足で立っているようなものである。一方の足は実在する現実

現実としてよみがえ・りせようとし、小児期をモデルにして現在

ますが、 ζれに反して夢思考では﹁宝石箱﹂が切れないととが

7 7は宝石箱が燃えないようにそれをもちだそうとし

を修正しようとするのである。互いに組みあわされて小児期の 出来事を暗示している断片がすでに夢内容のなかではっきりと

と、恋に凡珂を焼く ζとを直接的に代表するものとして用いられ

使われているばかりではなく、愛情、恋に夢中になっている乙

問題なのです。しかし火はただ水の反対を意味するものとして

との問題を詳論するために、私は手初めに小さな実験を行な

認められると私は考えたのである。 ったが、 ζの実験はいつものように成功した。たまたま机の上

ているのです。それゆえ火からは ζの象徴的吹採を越えて愛の 思考へと軌道が走り、また別の軌道は、愛ーーとれもまた濡れ

7ッチ箱があった。いつもは 置かれ ていない何か 変わ

ったものが机の 上 で目につかないか見廻してどらんなさいと私

の反対を意味する水を越えて他の方向へと通じているのです。

るものですが||と連絡する支線をさらに分岐させたあと、火

に大きな

はドラにいっ た。彼女は何も気づかなかった。そこで私はなぜ

さていったいど乙へ行くのでしょう ? 夜不幸が起きる、家の

マッチで遊ぶ乙とが子供K控訴じられ てい るのか知っているかと

外へ山山なければならない 、というあなたの表現を思いだしてご

質問した。

はありませんか 。もしあなたがとの不幸を小児期に移し変える

らんなさい。それはある肉体的な欲求︵尿意︶を意味するので

その理由ばかりではありません。大人は子供たちにマッチ遊

いでしょう?しかし子供に夜尿をさせないようにするために

なら、乙の不幸はベッドを濡らすという乙 と以外ではありえな

﹁はい、そ れは火事の危険のためです。私の伯父の子供たちは

びをしてはいけないと密告しますが、とれにはある種の信念が

マッチ遊びが大好きです﹂

結びついています。

326

らです。それは神経性哨息の始まる少し前のととでした ﹂

はそのとき医者の助言が求められたことを私は今思いだしたか

匂がしたことを話すのを忘れていたのだ。煙はなるほど火にぴ

彼女は夢の追加を話したのである。朝目を覚ますといつも煙の

夢解釈は私には今や完了したように見えた。しかしその翌日



失するだろうと考え、かなり強い薬を処方してくれたのでれ﹂ *との医者は彼女が信頼をしめしたただひとりの医者である. というのは、 ζの体験からとの医者は自分の秘密を見ぬかなかった ととに彼女が気づいたからである。彼女はまだ評価できない他のど の医者に対しても不安を抱いた。かくて 、今や医者に自分の秘密を よみとられは しないかという彼女の不安の根拠は明らか にな ったの である。

﹁ 彼はそれを神経性虚弱と説明しました。夜尿はかならず消

医者はそれについて何といいましたか?

大人は何をするでしょう?大人は子供たちを夜眠りから覚ま ζの乙とは現

すのではありませんか?まったくそうなのです。夢のなかで パパがあなたにしたのと同じように。そうならば にあった出来事なのではないでしょうか。そしてこの出来事か という権利をもっているのです。そ乙で私はあなたには普通の

らあなたはあなたを眠りから覚まさせたK氏を父とおきかえる

ません。同じととがあな たの兄さんの場合にも当てはまるに違

子供の場合よりも長いあいだ夜尿がつづいたと結論せざるをえ いありません。パパがいっ ていましたね。私はふ たりの子供を :破滅させたくない 、と。兄さんはそれ以外に はK氏の家で の現実的な状況とは何の関係もありません。彼もLには一緒に で何かつけ加えることはありませんか?

る ζとをしめして いた。というのは、彼女がもうどとにも何も

行かなかっ たのですから。ところであなたの記憶しているとと ﹁私に関しては何も知りません﹂彼女は答え た。﹁が 、兄は六 歳か七歳までベッドを漏らしていましたし、昼間もときどきや 乙の種の事柄については自分の乙とより兄K関する場合のほ

たない ﹂と彼女に異論を唱えるのがつねであったからである。 しかし彼女はとの私のもっぱら個人的な解釈に異議をさしはさ

隠されてはいないと主張するとき、私が﹁火のない所に煙はた

ったりの言葉で 、乙 の煙は夢が私とある特殊な関係をもってい

りました ﹂ うがどんなに思いだしゃすいものであるかを私が彼女にまさに 気づかせようと思ったそのとき、彼女はふたたびえられた記憶

とがある。そのとき 、不迩な求婚の申し出をするに先立って 、

み 、 K氏と父は物すどい喫煙家であると述べた。実は他ならぬ ζの私もそうなのであるが。彼女自身も湖畔で煙草をすった乙

を語りつづけ た。﹁ええ、私にも夜尿癖がありましたが 、七歳 か八歳になっ てからのととで、しばらくのあいだつづきました。 おそらくそれはひどい夜尿だったに違いありません。というの

327 あるヒステリ ー患者の分析の断片

て追加された部分を拶思考の構造のなかに組み入れるかど’つか

かにも登場していたことを彼女は思いだしていたに違いない。

なかにはじめて出現したのではなく、すでに過去三回の夢のな

K氏は彼女に煙草をすすめたのであった。煙の匂は最後の夢の

できない。

うことであっても転移の特殊性のためにそれを証明するととは

意をするきっかけとなったのであろう。たとえそれが辻複のあ

このことが、彼女が警告の夢を繰り返して見たり治療放棄の決

という阪望が生じたのであろうという見解に達するのである。

に利用すべきか、あるいはむしろその夢からえられた夢理論に

私は最初この夢からえられた収穫を、乙の症例の病歴のため

*この夢の核心を翻訳するとおよそつぎのような内容になるだ ろう。誘惑はかくも強いのです。パパ、子供のとろのように私を守 って下さい。私のベてトが濡れないように。

が、彼女はそれ以上説明するととを拒んだので、との夢につい の間題は残念ながら残されたままになっている。追加されたも のとして煙の感覚が生じた乙と、つまり抑圧にともなうある特 殊な緊張状態を克服しなければならなかったということは立脚 の感覚は夢のなかでもっとも陪く描写され、もっとも巧妙に抑

点として私に役立つことができた。 ζの立脚点にしたがえば煙 圧された恩考、つまりそれはその男性に好意をしめそうとする

対する反論を解決すべきか迷ったが、結局前者を選んだ。

神経症者の生活史における夜尿の意味について詳細に立ち入

誘惑思考に属している。かくて喫煙者の場合、それは必然的に 煙草の匂のする接吻を憧れる気持を意味するととに他ならない。

どころを求め、当時の接吻の恩い出をよび覚ましたように見え

のものであったろう。乙の誘惑思考は以前の出来事にそのより

接吻はおそらく一回にとどまらず何回となく繰り返されるはず

る 。 ζのような夜尿は私の知るかぎり自慰による以外には何等

の確実な供述によれば、ほどなく消失したもののかなり後にな ってから、すなわち七歳になってからふたたび出現したのであ

て長いあいだ持続したというような単純なものではなく、彼女

るにとどめよう。乙の障害は単なる正常の範囲をはるかに越え

に症例ドラの夜尿がありふれたものではなかったことを強調す

た。乙の接吻の誘惑に対して未成熟な彼女はかつては不快感を

るのは稔り多いことである。 ζ乙では問題を明らかにするため

覚えることによって身をふせいだのであったが。私が喫煙家な

ありそうな原因が見出きれない。自慰は夜尿の病因論では一般

しかし約二年前ふたりは一度接吻しあった乙とがあるのである

ので、おそらく私に向けられていた転移を形成している徴候を

にきわめてわずかな役割を演じているにすぎないと考えられて

から、もし乙の少女が未婚に同意する気持があったとすれば、

まとめてみると、あるとき、面接中に私に接吻してもらいたい

328

いるが 、私の経験によれば 、子供の場合この関連はよく知られ

をはら った のである。父の罪を告発した思考過程は無意識的な

るという意見の代表者であることを彼女に告げないように注意

かった患者の子孫は重篤な神経精神病に対する素質をも ってい

材料によって継続された。彼女が数日間自分を母親と同一化し たのは 、ある些細な症状と彼女にきわめて耐えがたい 乙とを行

のであって、あた かも精神症状が 乙の 関連をけっし て忘れた乙 とがないかのどとくである。乙の夢が語られた今、当面の研究 は小児期に自慰を行なっていたととを彼女に認めさせるという

とき彼女が フランツェンスパート 滞在の乙とを考えて いる のが

なう機会をあたえたある特殊性においてであった。私にはその

ていることであり、 すべ ての精神症状はこの関速から生じうる

方向に 向かっ てい る。彼女はしばらく以前に 、﹁なぜ私はその る。私がその問に答える前に彼女は責任を父親に転ほした。そ れは無意識的思考ではなく、意識化され た知識で あって、その 知識のえられた根拠が存在したのである。驚いた乙とに、 ζの

させたというのが彼女の||おそらくは正当な||意見であっ

たのでフランツ ェンスパートでの 療養が必嬰になっ たのであっ

る由もないが1 1母親にともなわれて彼女は そ乙 を訪れ たとと

推察された。 ||そ れが何年の出来事であるか 、私はもはや知

とき病気になったのか ﹂という質問を投げかけてきた乙とがあ

少女は父親の病気がどんな性質のものであるかを知っていた。

た。乙の結論では 、 一般に素人の大部分のひとがそうであるよ

、 彼女も淋病や梅毒の病因について遺伝的なものと性交に うに

た。乙の病気は父に原因がある。つまり父が母親に性病を感染

があった。母は当時下腹部の疹痛と帯下||カタル ーー があっ

おりもの

かったとき相談を・つけた眼科医が梅毒性の原因を指摘したに迷

父親が私の診察室から帰った後、病気の名前が述べられ た会話 を彼女は立 ち聞きしたのだ。もっと以前、父親が網膜剥離にか いない。 というのは乙の好奇心のある心配性の少女はその当時

よる感染とを混同 して いた乙とはまったく明白である。母との 同一化を彼女が固執する乙とは、彼女もまた性病を有している

当然の

ζとながら自己非難が隠され ている乙 とを理解したので

かく て私は、父親を 向に非難している思考過程の背後には 声 一 百一

かっていることが私には分かった。

のではないかという疑問を私に惹き起とし 、 いつから始まった 白色帯下︶ にか のかは彼女も想起 できないが、 彼女がカタル ︵

年寄った伯母が母に向かっ て、﹁彼はすでに結婚前から病気だ った﹂と語り、ドラにはよく理解できないことをつけ加えたの を聞いたことがあったのである。後になって 、それが狼裂な事 父は無関心慮な放蕩生活の結果病気になったのであった。彼女

柄を意味するものである 乙と が分かったのだが。 は父が遺伝的に彼の病気を・つつしたのだと推論したのである。 これはすでに述べた ζとであるが つ一 八五頁 私が梅毒にか 、 ︶

329 あるヒステリー患者の分析の断片

て普通数えあげられる他のすべての原因は自慰と比べれば物の

味するものであること、そしてこのような病気︷帯下︶ に対し

ある。若い少女の帯下は私の見るところではとりわけ自慰を意

奇異な感じをあたえずに動機をさぐることができるなら、そ乙 からまた知識をうるとともできるだろう。意識されたものに対

対する意識的な態度には二つの種類がある。症状行為をあまり

価値があり、新たな手がかりをうることができる。症状行為に

するこのような口実が欠けている場合には、 原則的にはとのよ



いがついたのである。つまり彼女はなぜ今彼女が病気で あるの

数ではない乙とを彼女に確言したので、私は彼女と意見の折合

ない。ドラの場合にこの行為を動機づけるととは容易であった。

連の症状行為を提示したいと思っている 。多くの場合 乙の 解釈

他の機会に私は池山者と神経質者に観察されうるとうした 一

*ハ一九一一一一一年の追加︺今日私はもはやとのような極端な見解を 抱い ては いない . **私の論文﹃日常生活の精神病理学﹄土 一。単行本として一 砂 九O四年初版二九二四年一 O版。と の全集の第四巻に収録︶ ・

連、つまり無意識的なものの当日の配列のされ方にぴたりと適 合するというととを確かめることで満足しなければならない 。

に証明されうるのである。 ζのような意味が当面の状況との関

他方では 、 乙の由来やその行為に付与される意味が強制されず

が無意識的な起原をもっ可能性を破棄するものではない。また

でしょう?﹂というのである。乙うした申開きは乙の当該行為

すなわち﹁私はなぜ乙んなモダンな財布をもってはいけないの

うな症状行為が行なわれているという ζとはまったく認められ

かという疑問 に対し て 、 おそらく小児期に自慰を行なっ ていた ととを告白する ことで答えようとしていたので あろう。彼女は 断固とし てこの種の ζとを想起することはできな いと否定して いた が、二、三日後、私が自慰の承認にいっそう近づくものと 考えざるをえなかった行為を彼女は演じてみせたのである。そ の日、それは早くも遅くもないまさに適当な時期だっ たのだが、 て語っているあいだもそれをあけたり、指をなかに入れたり、

彼女はモダンな形をした小銭入れを肩から下げ、彼女が 横臥し また閉めたりしながら戯れていた。しばらく彼女を見つめてい た後で 、私は彼女に症状行為の何たるかを説明し* た。私が症状 行為と名づけるものは、人間がいわば 自動的に 、無意識的に 、 注意を はらわずに、遊び戯れるどとく行なう行為であって、ひ

いは 関知しようとしないとのような行為は 無意識の思考や衝動

する のである。慎重な観察によれば、意識の関知しない、ある

はき わめ て容易である。二枚の葉形からなるドラの 財布は女性

とはその 意味を否定する ことを欲し、そ の窓味を問われたとき にはそれはど う でもよいとと であり偶然の出来事であると説明

を表現する。 したが って無意識的なものの許された表出として

33 0

たり、指を入れたりすることはきわめて無遠慮 にしかし紛う方

性器の描写に他ならないし、財布との戯れすなわち財布をあけ

︵ 人間というもの ︶がいかなる秘密をも隠 すととができないこ

見るべき目と聞くべき耳をもっ者は、死すべき迩命にあるもの

私はその課題が実際そうである以上に困難なととだと感じた。

とを確信している。唇を固く閉ざしている者も指先では喋って

なくパントマイム的なやり方で彼女の行ないたいととすなわち 自慰を伝えていた 。最近私は乙れに似た症例に出会ったが、そ

しまうものである。すべての穴を 通して裏切りが侵入して くる のである。それゆえもっとも深く精神の内部に隠され ているも

の症例は私をきわめて上機嫌にしたのである。かなりの 年齢の

小財布を用いたドラの症状行為は時間的にもっとも近い夢の

ある婦人が面接中に飴で喉の渇きを癒すためと称して象牙でで 開けにくい乙とを信じさせるために私にそれを差しだすのであ った。乙の箱は勾か特別の意味を有するに違いな いと思い、私

よって始まった。私が彼女のまつ部屋に入っていくと、彼女は

じてみせたかったのであり、そ のとき彼女の秘密が医者の手に よっ て奪いとられるととを暗示したいと思ったのである。彼女

祖母からの手紙で 、そ のなかでドラにもっと手紙を書くように と要求していた。私の考えによれば、彼女は私の前で秘密を演

読みかけていた手紙を索早く隠したのである。いうまでもなく

前兆ではなかった。夢説明の行なわれた面接は別の症状行為に

ヲ匂。

は不信を表明した。乙の持主である婦人はすでに一年以上も私 のもとを訪れていたが 、今日初めて私はこの小箱にお目にかか

私は誰からきた手紙かを尋ねた。彼女は最初黙して語ろうとし

のを意識化させるという課題はきわめて解決しやすいものであ

ったからである。これに対してその婦人は激しい調子で﹁私は いつも ζの箱を肌身離さずもち歩いています。どこへいくにも

まったく重要でない手紙であることが明らかになった。それは

なかったが、それがわれわれの治療にはまったく関係のない 、

きた小箱をとり出し、それを開けようとつとめた。その小箱が

たのは、私が笑いながら、彼女の言葉はある別の意味とうまく

私はそ れをもっていきます﹂といった。彼女がやっと落ちつい あっていることを指摘した後であった。との箱||切DF立 ハベ ーーは小財布や宝石箱と同じようにヴィ ーナス貝すなわち女性 性器の代理物なのである !

によれば、医者が診察のさい ︵ カ タルのためてあるいは検査

が新しい医者なら誰に対しても嫌悪感をしめすのは、私の説明

このような象徴が数多く存在している。ひとが隠しているもの を、催眠術の強制力によらずに 、ひ とが語りしめした物を手が

のさい︵夜尿の報告による︶彼女の病気の根本原因を究明し、

われわれの生活には通常自分が気づかずに見過ごしてしまう

かりとして光の下に曝けだそうとする課題を自らに課したとき、

331 あるヒステリ ーJ 官、者の分析の断片

それが自慰によるものである乙とを推察しはしないかという不

ているかぎりヒステリ ー症状が現われるととはけっしてないも



安にもとづいている。彼女は以前は明らかに過大評価し ていた

ので 、それをやめたときはじめて痕状が起こってくる。ヒス テ リー症状は自慰による満足の代償物の表現であって 、自慰によ る満足がまだ可能であるような無意識の世界では 、別種の正常

医者を後にはつねに過少評価するようになった。

な満足が出現しているかぎり、自慰の欲求は維持されている。

彼女を病気にした父親をとがめること 、 その背景にある自己 叱責|| 白色荷下||小財布との戯れ||六歳以後の夜尿||

したがってとの条件は結婚や正常な性交によってヒステリ ーが

治癒するかどうかという可能性を決定する転回点になる。結婚

3

医者に奪いと りせようとしない秘密。かくて私は小児期の自慰 に対する間接証拠は完全に整えられたと思う。私が乙の症例の

生活における満足が 、たとえば中絶性交や精神的不和などによ ってふたたび失われると 、リビド lはふたたび古き川床を求め 、

なのである。彼女自身しばしば胃忽鐙にかかった乙と、および

なために不十分な資料しか提示する乙とができない。彼女の夜

ドラの場合、 いっ 、 いかなる影響によって自慰が抑圧され た

*成人においても原理的には同様のことが当てはまる 。しか し ととでは自慰の相対的な中絶、制限で十分であり、リピ ドー が激し い場合にはヒステリ ーと自慰は同時に出現しうる。

ふたたびヒステリ ー症状となって現われてくるのである。

場合に白磁を予感しはじめたのは 、彼女が従姉の間同窓畿につい 、ついでこの従姉と自分を同一化し 、 て語りさ一O O頁参照 ︶ 一日中従姉と同一の痛みの感覚を訴えたときである。自慰を行 なう者にしばしば胃尿管の起乙ることはよく知られている。 W −フリ1スから個人的に聞いたことであるが 、彼の発見した品

十分な理由から従姉が自慰を行なっていると思ったことの二つ の事実を意識裡に 、 ドラは私に確証した。自分の場合には感情

ことはすでに聴取したどとくである。乙の最初の状態を説明す

尿が最初に呼吸困難に寵患した時期の近くにまでおよんでいた

のなかにある﹁同点﹂をコカ インで麻酔することによって遮断 し、そ 乙を腐食させて治癒させうるのはまさにこのような胃痛

的抵抗のために認識できない関連性を他人の場合には認識でき

あった時期が ﹁ 神経性の端息が出る直前まで﹂という事実さえ

も想起していないが 、私の推祭をもはや否定もしない。夜間以の

れた記憶の断片は呼吸困難の病因との関係を附示し ているに述

病気の回復後旅行に出かけたとい う ととであった。 ζの保持さ

るために彼女が述べる ζとのできた唯一の乙とは、当時パバが

かについ ての確実な情報をつけ加えたいのだが、分析が不完全

るという ζとが患者にはよくあることである 。ドラはまだ何物

も臨床的に有用であると私は岡山っている。子供が臼慰を行なっ

332

いる子供が 、父親が夜どと妻のもとを訪れるのを聞き耳立てて

いな い。私は症状行為や他の徴候によって、両親の隣室に寝て

女自身が同様に呼吸困難をともない、性的快感に達する自慰行

康を損いはしなかっ たろうかというような記憶が 、 つぎには彼

乙った。ついで父は夜

為のさいに緊張しすぎたりしなかっ たろ うかとい う心配が、っ

7 7の傍で緊猿していたがそれが父の健

うかがい 、呼吸困難にも似た男性の短い呼吸を聞いた乙とを認 めるのに十分な根拠をえる乙とができた。乙のような場合、子

私はさらにその他の部分を補わねばならなかった。門慰を確認

る。とれらの材料の一部を分析から引きだす

さには症状としての呼吸困難の強化された再発が生じたのであ ζとができたが 、

る。性的興硲に対する表現巡勤は生得の機構として子供たちの

供たちは無気味な物音のなかに性的なものを予感するものであ 。 ヒステリーや 不安神経症の呼以困難や なかに 準備され てい る

する乙とによってあるテ

ネ似たようなぐあいに 、幼児の白慰が他の京例でも確認された ・ その材料もたいていは類似した性質のものである 。白色都下、夜尿、 手についての儀式︵洗浄強迫︶などが指摘される。乙の習慣が看護 者によって発見されたかどうか、習慣矯正の戦い 、あるいは突然の 変化がこの性的活動を終鷲させるにいたったかどうかなどが症例の 症状形式からどの場合にも確実に推’ H 目される。ドラの場ム只自慰は 発見されずにい たが、ある一撃によって終駕した ︵ 秘 市 街、反者たち への不安||呼吸困難による代償︶。串ぷ官たちはきまってこの犯罪 の悶媛的証拠の証明カを否定するもので 、た とえカタルや母の警告 ︵ ﹁ 馬鹿になりますよ。有害ですよ﹂︶の記憶が意詩的な記憶として 残っている場合でもそうである。しかししばらくして後、長いあい だ抑圧されていた子供の性生活の 乙の断片Kついての記憶が確実性 をもち、すべての症例K出現してくる。||幼時 の内慰の夜銭的結 果である強迫表象をもつある女の患者の場ム口、自己禁止、自己懲罰

にわた り、さまざまな連関におい てはじめ て断片的に 集められ * たことが分かったのである 。

1 7に対する材料が 、 さまざまな時聞

動俸は性交、運動から分離された断片にすぎないものである ζと はすでに数年前詳しく述べ たところで あって 、多くの症例の場 合、ドラの場合にも同じく、呼吸困難、 神経性哨息の症状 の原 因を、同様の誘因すなわち成人の性交を盗み聞きし た事実に帰 ’ 川 ために子供の性的活動に変化を生じ、そ の変化が 自慰への 傾

する ζとができた。そのとき同時に起乙った性的興奮の影響の を不安への傾向におきかえたのである。その後しばらくして父 親が不在のとき、父親に愛された子供は父親を恋しく思いだし、 その 気持を端息発作とし て再現 したので ある 。記憶のなかに保 持された乙の病気のきっかけから、哨息発作にともなわれた 不

き彼女は真実の呼政促迫を感じたのに違いない。乙の呼吸促迫

安にみちた思考過程が推測される。小田︵且山旅行で過労に陥った 後、彼女ははじめてその発作に襲われており、 おそらくそのと

のだ、父は過労に陥ってはならな いの だというような考えが起

に引きつ.ついて父は息切れがするので山 笠りを禁止され ていた

333 あるヒステリ ー患者の分析の断片

の特徴、すなわち彼らがあることを行なった場合に別の乙とを行な ってはいけない乙と、行為が中断され てはならないとと、︵手を用 いた︶ある行為とつぎの行為、手洗いなどとのあいだに休止期間を 差しはさむ乙と、などは子供の看護者が悪習を除去しようとする努 力について今日まで変わらず保持されている断片に他ならぬととが 実証された。 ﹁身体に 毒ですよ﹂という警告が記憶のなかにいつも 残っている唯一の事柄である。さらに私の著書︹性欲論三筋︺を参 照のこと。一九O五年。豆版、一九二二年︵本全集、第五巻︶。 さてここにヒステリーの病因についていくつかのもっとも重 に典型例と見なしてよいかというととで、との 症例がヒステリ

要な疑問が生じ てくる。それは、ドラの例がはたして 病因論的 ーの原因の唯一のタイプをしめしているかどうかという乙とで

也市

が論証されるにいたれば十分である。ドラが告白した白色帯下

の意味に注目するならば、ドラの場合症状をいっそうよく理解

ンツェンスパートでの療養が必要になったとき、彼女は自分の

することができるであろう。同じような病気のために母のフラ

ポイント

病気を﹁カタル﹂という言葉で表現するととを学んだのであっ

た。乙の﹁カタル﹂という言葉はふたたびある﹁転轍機﹂を意

父親であるという一連の思考のすべてが咳という症状のなかに

味するもので、そのポイントによって、自分の病気の責任者は

表現の出 口を見出したのであった。元来この咳は現実に存在し

たわずかなカタルに由来しているものの、いうまでもなく肺疾

ζとができた。しかもこの一咳はその当時お

患に罷患した父の模倣で、その咳によって彼女は父に対する同

と同じようにカタルにかかっています。彼が

びだしたかのごとくであった。﹁私はパパの娘です。私はパパ

そらくなお意識されずにいたものをあたかも意識の世界へとよ

情と心配を表現する

はじめてえられるものであると確信する。そ乙で問題の立て方

ζの疑問に対する答は多数の類似した症例報告をまって

を正しい位置に戻す乙とから始めなければならないであろう。

ある。

乙の病気︵ヒステリー︶の 病因が幼時の自慰に求められるかど

るような悪い情欲を彼から受けついでいるのです﹂

ように 、私をも病気にしたのです。私は病気によって罰を受け

*彼女の兄がとの白慰の習慣となんらかの結びつきをもってい るに違いない。 ζの乙とに関連して、一種の﹁隠蔽記憶﹂を暗示す る強調の仕方で、彼女は兄がいつも自分自身は軽いのに彼女は重い 経過をとる伝染病をすべて彼女に感染させたと語ったからである。 兄もまた夢のなかでは﹁破滅﹂から守られている。彼も夜尿があっ たが、妹より先にやんでいた。最初の病気になるまではドラは兄と

* ネ

7 7を病気にし た

うかについての意見を賛否の形で述べるかわりに、私はまず精 神神経症の場合の病因の概念について論じるべきだと思う。私 が答えようとする立場は、私に対する疑問が立てられる立場と の場合、幼時の自慰が証明され、それがけっして偶然なもので

は本質的なずれのある乙とが明らかになるで あろう。この症例 なく、病像の形成にとってけっして無関係では ありえないとと

334

歩調をともにすることができたのだが、その後は学業の上で兄に返 れをとるようになったと述 べたのも、ある意味では一 種の﹁隠蔽記 憶﹂であった。それまで彼女はまるで男の子のようだつたのが、そ のときはじめて少女らしくなったのであった。 実際、それまで彼女 は野育ちだったのが、﹁鴨息﹂にかかってからはもの静かで行儀よ くなった。彼女の場合乙の病気は、最初は男性的な、後には女性的 な性絡を有するという性的生活の二つの時期のあいだに境界を形成 したのである。 本$十四歳の 少女の場合に上述の役割を演ずるのは言一楽である 。 との少女の病歴については二八九頁に数行にわたって要約しておい た。私のためにこの少女 の監督者としての役割を果たしていた聡明 な姉人と一絡に、私はとの少女をある寄宿舎に入れた。その姉人が 私に報告していうには、との小さな女性患者はベジドにいくときそ の婦人が同席するととを許さず、昼間にはけっして聞かれないよう なひどい 咳込み方をベッ ドでしてみ せるのであった。症状について 質問されたさい、その少女に恩い浮かんだのは、祖母も彼女のよう に咳き込んだというととだけであった.なお祖母はカタルを病んで いるとの噂であった.との少女もカタルにかかっており、また夕方 身体を清潔にするさいには観察されまいとしていたのも明らかであ る。との言葉によって下から上へと移されたカタルは通常でない強 ささえしめしていた.

がその周囲に其珠を造りだす砂粒のようなものである。 ζの刺 激は固着しうるが 、それはその 刺激がある身体領域と関係する

からであり、その身体領域が乙の少女の場合ある性感帯として

の意味をもっているからなのである。したがってとの領域は興

恋したりピド ーを表現するのに適しており、おそらくは設初の

精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテ ー ションの同

情、そして﹁カタル ﹂ のために惹き起こされた自己叱責によ っ て固着させられるのである。との 症状群はさらにK氏との関係

を描きだし、彼の不在を残念に思い、彼のよき萎になりたい願

望を表現することが可能な ζとを示している。リピドlの一部

が同じ父に向かった後、乙の症状は自分とK夫人とを同一化す

ととになる。私は ζのような推論の順序がけっして完全なもの

ることによっておそらく最後には父との性交の描写を意味する

ではない乙とを断わっておき たい 。残念ながら分析は不完全で

あったので 、意味の変化を時間的に たどったりさまざまな解釈

の順序や共存を明らかにすることはできない。とのような要求

さて私はドラのヒステリー症状と性器カタルとの関係をさら

は完全な分析にまたねばならない。

ステリーを精神的に解明するにはほど遠かったとき、年配の経

に詳細に追求する乙とをなおざりにするわけにはいかない。ヒ 決定因を総括してみたい。最下部には器質的に条件づけられた

はカタル症状の悪化がとくに食欲不振、ヒステリー症状、吐き

験ある同僚たちが、帯下のある女性のヒステリー患者の場合に

さてこ ζで、咳や暖れ声の発作に対して見出したさまざまな 真実の咳の刺激がある ζとが推定され、それは あたかも真珠貝

335 あるヒステリ ー患者の分析の断片

る傾きが一般にあり、そのために治療的な試みがほとんど顧み

たって神経性機能に波及すると仮定した 姉人科医の見解を認め

に性的興資の直接的な、しかも器官を障害する影響は広範にわ

ζの関連を明らかにしたものは ないが、私が思うに 周知のよう

気などの悪化を惹き起こすと主張するのを耳にしたととがある。

とは不快な帯下にとりつかれるととを意味していた。 ーl ζれ

的経験にもとづいて作られていたのである。彼女にとって性病

女の性病についての概念は当然のととながら彼女ひとりの個人

気を感染させたのも父であると思っていた。そとで彼女は男性 はすべて性病にかかっているものと考えていたで あろうし、 彼

い。トラは父が性病にかかっており、しかも自分や母に乙の病

ての男性は彼女の父親のどとくである乙とを意味したに違いな

が抱擁のさいに彼女が感じた嫌悪感の別の動機となったのであ

。 われわれの今日の見解によれば、 られない結果になってい る るとはまた明言しえない。いずれにせよ性的興務の影響、 その

に述べた原始的機制によってつ一九七頁参照︶投射されたもの

ろうか?男性との接触によってもたらされた叶.き気は、すで

このような直接的で器質的な影響がありうべからざるものであ 精神的変装は容易に証明しうるものである。われわれの婦人た

であり、 結局は彼女の格下と関係していたのではなかろうか。

ちの場合には性器の外形についての自負がとくに彼女たちの自 惚れになっているので 、嫌悪の情や吐き気を催させるのに適当

敏感に 、疑い深くさせている。なお股粘膜の異常な分泌は吐き

つけ、自我感情をおとしめるように侮辱的に 作用し、刺激的に 、

がはさまっている

あり、針金の花環の上に飾られた装飾の花のようなものである。

それはある原型にのっとった器質的関連によって生じたもので

私の推測によれば 、 ことでは無意識の思考過程が問題である。

気を催させる作用があるとみなされている。 ドラの場合、K氏との接吻後、激しい吐き気に襲われた乙と、

のない価値をもっている。ドラの症例の場合に推察や補足が必

あった思考結合を知る乙とは症状を除去するためにはかけがえ

であるような性器の病気がまったく信じられないほどに心を傷

および接吻場面についての彼女の物訟を納って、抱擁のさいに

隙を埋めるために私がもちだしたものは例外なく微ーほ的に分析

要なのは 、分析が 早期に中断されたからK他ならな い。この間

m v J A 口もありうる。だが個々の場合に影響力の

それゆえ他日同じ出発点と終着点とのあいだに別の思考の通路

彼女が勃起した男性の局所の圧力を身体に感じたにちがいない と考えられる根拠の存する乙とを想起しよう。さらに女性の家

を行なった他の症例にもとづいている 。

庭教師が||ドラはその不実のために彼女と絶交したのだが| 1自分の経験から男はなべて軽薄であり信頼でき ない ものだと ドラに語ったことをわ れわれは 知っている。ドラにとってすべ

336

分析によって上述の解明をえることのできた夢は、すでにわ れわれが発見したように、ドラが夢のなかにもち込んだある意 図に対応するものである。それゆえこの夢は夜どとに繰り返さ ζの夢は何年か後にもふた

れ、目的がかなえられるまでつづいた。類似した意図を抱かせ るようなあるきっかけが生じると、 たび現われた。その意図は意識的にはつぎのように表現すると とができる。﹁この家から去る乙とです。乙の家では私の処女

に成就された意図ではなく、かなえられたものとして描かれる

願望なのである。われわれは乙の主張、理論、原理がわれわれ る 。

自身の夢によって、反駁されないかどうかを吟味する義務があ

事実、夢は小児期の材料をふくんでいるものであるが 、それ は一見しただけでは、 K氏の家から、そしてK氏の誘惑から逃

れようとする現在の意図と関連していることを見ぬくことがで

きない。小児期の夜尿ゃ、父がそのとき夜尿の習慣をなおそう

と努めたことについての記憶は、いったいどこへ姿を消してし

めてこの強力な誘惑思考︵誘惑されたい気持︶を抑圧し、誘惑

乙とができる。との思考系列の助けを借りることによってはじ

に抗しようとする意図を統御する ζとができたのである。子供

まったのであろうか?この聞についてはつぎのように答える

意を襲われないように注意を払おうとしています﹂このような

性が脅かされる恐れのあることを私はすでに知っているからで

思考は夢のなかにはアきりと表出されている。それは覚醒した

いる男に対する不安から、父親のもとへ逃避するのである。そ

は父と一絡に逃げようと決心する。現実には子供をつけ狙って

す。私はパパと旅に出ます。そして朝着替えをするさいには不

生活のなかでは意識され統制された心の潮流に属している。と のあるととが推察され、その思考系列は反対の潮流に対応しそ のために抑圧されているのである。それは、最近の数年間に彼

ては父自身もまた共犯者であり、彼は自分の恋の利得のために

する幼児的傾向から子供を守るのであろう。現在の危険につい

れは父親に対する幼児的傾向を喚起し 、それ が他人に対し現存

のような思考の背後にある暗いカムフラ ージュ された思考系列

女にしめされた愛と優しさに対する感謝のためにその男性に身

彼女を他人の手に引きわたしたのであった。乙の同じ父親が他 の誰よりも彼女を愛し、かつて彼女を脅かした危機から彼女を

を捧げようとする誘惑のなかで頂点に達し、これまでに彼女が 彼から受けた唯一の接吻の記憶がおそらくよびさまされたので

とだろう。父親を他の男と置換しようという幼児的で今では無

救いだそうとしたころのほうがどんなにか良い時代であった と

あろう。しかし私の夢解釈のなかで発展してきた理論によれば、 とのような要素は夢を形成するのに十分ではない。夢は、すで

337 あるヒステリ戸患者の分析の断片



て父がドラのベッドの前に立ち、おそらくK氏が意図していた

状況がある。夢を見る前日まさにK氏が行なったように、かつ

ζれが夢内容の主状況となるであろう。すなわちつぎのような

はいるが人物代理によって区別される状況が存在するとしたら、

は生みだしえなかったであろうと思う。あの夢が必要とした原

ば、その夜私に夢を見させるようなことはなかったであろう。 しかし乙の心配だけでは 、私があの夢を見るというような結果

肢に関する心配が前日来私の心のなかに動いていなかったなら

活の残浮物から出てくるような夢がいくらもあるし、また、い つかは助教授になろうという私の願望すら、もし私の友人の健

意識的願望は夢を形成する力をもっている。現在の状況と似て

ように接吻か何かして彼女を目立めさせたととがあった。家か

動力はある願望によってあたえられなければならなかったので

いて 、 とれを現実に移そうという衝動をもっ ている企業家は、

観念︶が夢に対して企業家の役割を演ずるということは大 想 ︵ いにありうることなのである。しかしいわゆるプランを懐い て

ある。こういう願望を夢の原動力として創り上げるというのが 、



ら逃げだそうとする意図、したがって怠凶それ自体は夢を見さ

実はあの心配の関心事であったのだ。たとえていえば 、日中思

人と の関係に関連をもっ 、強められた思考系列に・つながされた

費用なしでは動く乙とができない。企業家は自分に費用を支弁

換しようとする願望は夢への原動力をあたえている。父とK夫

せるだけの力をもたないが、幼児願望に支えられた別の意図が 加わる乙とによって夢を見させうるものとなる。 K氏を父と置

たまま保持されるように、こ乙では父に対する幼児的な愛着が

解釈を私は想起する。 K氏に対する抑圧された愛情が抑圧され よび覚まされたのであろう。女性患者の精神生活における急激

してくれる金主を必姿とし 、夢のために心的費用を提供する こ の金主は、その日中思想がどんなものであろうとも、 いついか

睡眠中も生起している覚醒思考||日中生活の残余||と夢

る﹂︹高橋義孝訳、﹁夢判断﹂四六一頁、本著作集、第二巻︺ *乙の ζとは範例としてあげられている夢の分析と関連がある ・

なる時といえどもかならず無意識界からの一個の願望なのであ

な変化を夢がふたたび映しだすのである。 を形成する無意識的な願望との関係については﹃夢判断﹂のな かで二、三の意見を述べた ︵ 三二九頁、七版、四一六頁︶ 0 そ れをここ にそのまま引用するのは 、 つけ加えることが何もない

夢のごとき形象の構造がもっ繊細さを知ったものなら、父に 夢の刺激が主として 、あるいはもっぱら日中生

の材料ではなく、まさに誘惑の抑圧ともっとも密接な関係にあ

誘惑者の位置を占めてほしいという聞望が、何か任意の小児期

からであり、ドラの歩の分析がはじめてとの関係の正しさを証 、 ﹁ なるほ ど

明して いるからである。

338

るこのような材料を想起させた乙とに気がついたとしても驚く

図的に作用する個々の体験の通路をわれわれが発見したことで

私がとくになお注訟を喚起したいのは、夢の分析によって病

患者の場合には後者となることが決定づけられたのである 。

絶する ζとによって反応的に神経症的疾患になるかのいずれか である。体質と知的 ・道徳的教育の高さによって 、われわれの

らである 。 このような過去の 生活史は、体質的な条件の総和に したがって成熟に達し 、愛が要求されたとき、 これに対してし めされる二種の態度を基礎づけるのである 。すなわち、まった く抵抗のな い倒錯をひき起乙しかねない性への没入か 、性を拒

吐き気の他にはいかなる要因とも密接な関係をもっていないか

う誘惑と複雑に組みあわされた抵抗とが彼女のなかで争ってい

うな観点に彼女を導くのである。求婚する男に同志したいとい

夢中に なってでもいるかのような嫉妬︶によって代表されるよ

さい彼女のなかに起乙った変化は固着し、 それは支配的な思考 父に原因するK夫人への嫉妬、まるで彼女向身が父親に 過程 ︵

こで ζの意図に対応するものは 、彼女が父への幼児的愛を現実 的な誘惑に対する防御として喚起したというととである。乙の

ました﹂乙の意図が夢を形成する力になっている。というのは、 ζの意図が無意識的なもののなかで継続されるからである。そ

乙の 夢を統合するために 、なお二、三の立見をつけ加えたい。 乙の夢の作業が始まったのは森での出来事があった後 二日目 の 午後のととで 、彼女︵ドラ︶が自分の部尽の鎚をかけることが できないのを認めた後であった。それについて彼女の述べるに

できないと自ら感じたとき、 ζの愛に身をゆだねるかわりに乙

ある。通常その通路は記憶や 、少なくとも再製へ通じる乙とは

にはあたらない。なぜならドラがこの男性に対する愛情に同意

なかった。小児期における夜尿の記憶は 、すでに明らかにされ

る。後者には、礼儀作法にかなっていたい 、思慮深くありたい という動機、家庭教師の告自によって起とされた敵意ある興奮

の愛の抑圧が起こったとき、 乙れを決定したものは彼女の早す 自慰︶およびその結果としての夜尿、カタル 、 ぎた性的享楽 ︵

たようにほとんど抑圧されていた 。K氏からしかけられた個々 の出来事について彼女はけっして話さなかったが 、彼女の心に

︵ 嫉妬、 傷つけられた誇り、下記参照の乙と︶ および神経症的

にとどまっていないでパパと一絡に旅に出たいという気になり

は﹁乙乙で 重大な危険が身に 迫ってきたので 、 ひとりで乙の家

はそれらの出来事が思い浮かばなかったのである。

要素がからみあっている。神経症的要素とは、彼女の小児期の 出来事に基礎をもち、彼女のなかに準備されつつあっ た部分l

339 ある ヒステ リー居者の分析の断片



彼女をこのような危険にさらした当の人物であるというような 邪魔になる思考は排除される 。乙乙で抑圧された父に対する敵

充足されたととをしめす状況に変えている。との場合、父乙そ

乙の夢は、父のもとへ 逃避した いという無意識のなかで深め られた窓図を、ハえによって危険から救出されたいという願望が

1性的なものを拒−合する l11の乙とである。

況は、乙の 偶然と﹁濡れる﹂と反対の言葉とをそのよりど乙ろ にしている。父の偶然の言葉が 、ドラが父のなかに是非とも救

た乙とを決定づけるのに役立っている。火事で父が彼女を救う

然性は 、父が彼女を救いだそうとした 危険が火傷の危険であっ

却に﹁火﹂ と﹁燃える﹂であり 刷れる﹂と ﹁水﹂の反対は界n 印 ﹁る。父がその場所に到おしたさい火の恐怖を述べたという偶 う

とがそのかわりに現われている。

のような芯味をうるにはいたらなかったであろう。父はその地

い主と保技者とを見出そうと いう支配的な感情の流れ にかくも 完全に一致しなければ、 ζの父の言葉は夢の内容でおそらくこ

べくベッドの前に立つという夢のイメ ージのなかで選ばれた状

意ある興奮︵復讐傾向︶が第二の夢の原動力の一つとなってい る乙とはいずれわかるであろう。 夢形成の条件にしたがって 、彼女が幼児的状況を繰り返すと いう空想化された状況が選ばれている。現在の状況、それはま さに夢のきっかけとなる状況なのであるが、それを幼児的状況

夢思考においては容易に作りだされうる関係の結果、多数の

に到点心したさい 、ただちに危険を感じたが 、それはまったく正 しかった︵実際、彼が少女を ζの危険にさ旨りしたのだから︶。

に変える乙とができるとしたら、それは勝利なのである 。乙の 症例の場合には、材料のまったくの偶然性によってそれが成し たのと同様な乙とが、小児期には父によってしばしば行なわれ

遂げられている。 K氏が彼女の・寝台の前に立ち 、彼女を起乙し

えられ ている。﹁濡れる﹂は夜尿のみならず、この夢内容の背

。 後に抑圧されている性的な誘惑思考の領域にも関連してい る

表象領域に対する結合点の役割が﹁濡れる﹂という言葉にあ た

彼女は濡れるということが性交のさいにもあり、そのさ い男性

たの であった。乙の状況のなかで K氏を父と置換することによ って、 彼女のなかに起こった変化全体が適切に象徴化されてい

た。またまさに危険はそ乙にあるとと、濡’りされるととから性 た 。

が女性に何か液体を滴の形であたえる乙とがあるのを知ってい

しかし 父の側からみれば 、彼女がベッドを減らさないようK するために彼女を起こしたのであった。

器を怒ると いう課題が彼女に諜せられている乙とをも知ってい

スvo

との﹁的れる﹂という ζとは後の夢内容に対して決定的な力 をもっ乙とになるが、遠い関係にある暗示やま ったく反対の乙

340

たれねばならない性器がすでにカタルによって不潔にされてい

い意味をもっているのであろう。﹁濡れる﹂という言葉は乙の 不潔にされる﹂という言葉と同じ意味になる。清潔に保 場合 ﹁

においてはおそらく小児期における夜尿と同じような恥ずかし

﹁ 濡れる ﹂とか﹁滴﹂という言葉は同時に別の連想領域にもふ くまれる。吐き気をもよおすカタルのそれで 、カタルは成熟期

りこ についての回想へと導かれうるのである︵円即時岡尚一山

両親のあいだの性交、帯下疾患、

は幼時にその根をもつが 、その後もつづいている 7 7への嫉妬 という材料に由来している。乙の二つの言葉の橋のかなたで 、

も強固な内容的結びつきは実際に証明しうるものである。記憶

おり、 ﹁装飾品﹂とは﹁清潔なもの﹂、 ﹁ 不潔化されたもの﹂に 対して強制化された反対物とほとんど同義である。とのもっと

ものを意味し転じて耳かず ぎりの意ともなる ・訳者﹂

る表象に付着しているあらゆる立味が﹁装飾品の滴︵耳かざ

7 7の煩わしい清潔癖に関す

たの である。ちなみに 7 7の場合も彼女の場合と同様であった ︵ 三二九頁︶。 7 7の清潔癖がこの不潔化 に対する反応である ζ とを彼女は理解しているよう K見えた。 ζの二つ の領域のものが一つに出合う、 つまり、 7 7はパパ から二つのもの 、性的な濡れと不潔な帯下とをもらった。 7 7 に対する嫉妬は乙乙では防衛的によびさまされた父への幼児的

夢のなかに取り入れられるにいたるのである。それゆえこの要 素がすでに国務した夢状況に付加されるならば、 7 7はなおも

いう言葉ではなく、距離のへだたった﹁装飾品﹂という一言葉が

しかし夢内容となるにはさらに変位が起こらねばならない 。 そもそもの始まりである﹁濡れる﹂という言葉に近い﹁滴﹂と

愛の思考領域と切り離すととはできない。しかしとの素材には まだ表現能力がない。 ζの﹁沼れる﹂の二つの領域と同等のよ

自分の装飾品を救いだそうとする 、という表現をとる乙とがで きたのであろう。﹁宝石箱﹂という新たな変更においては、K

あるが。

ような彼の態度に対してドラは今や感謝の意を表すべきなので ζのように し て生じた合成語の﹁宝石箱﹂はさらにあ

ておそらくそれを入れる ﹁ 小箱﹂だったのであろう。乙の小箱 は特別扱いと優しさのすべてを代表しているものである。この

響が追加的に現われている。K氏の贈ったのは装飾品ではなく

氏の誘惑という下層に横たわっている領域に由来する要素の影

い関係にある記憶が発見され、しかも不快なととが避けられる つける ζと なら、 乙の素材は拶の内容のなかでその役割を引き ’ ができるであろう。 同様な乙とは 7 7が装飾品として欲しがっていた﹁耳かぎり﹂ 事件の場合にも見出される。察するに 、 乙の回想が性的な濡れ と不、潔化と いう二つの領域と結びついているのは、川外面的、表 面的であって 、言葉によって媒介されているのである。という ポ 4 ント

のは﹁滴﹂ は ﹁転轍器﹂として 、二義的な言葉として使われて

341 ある ヒステリ ー患者の分析の断片

ない、傷ついていない女性性器の日常的なイメ ージではなかろ

ものでなければならない。火が燃える接吻は煙の味がした。

したがって乙の出来事は夢の内容に対してある特有な寄与を果 たすもので 、夢の内容は原型としてしめされた状況に適合する

る特川なものを代表する価値をもっている。﹁宝石箱﹂は汚れ うか?他方では、乙のような無害な言葉、したがってそれは 性的な思考を夢の背後に隠すと同時にそれを暗示するのにもき

乙の夢の分析において、私は不注意のために空隙を残してし

したがって彼女は夢のなかで煙の匂をかぐが、その夢の内容は 自党めた後もまだつづいていたのであった。

わめて過しているのではなかろうか? 7 7の宝石箱﹂とい

と、そして他方では愛し返す乙とを袈求され、さし迫った||

れた会話から組み立てられているものである。私はこの言葉が

考から、自慰の結泉にという言葉がつけ加えられるのであろ う︶。このような夢の言葉は決まって現実に諮られ、聞きとら

まった。つぎのような言葉が夢のなかで父親にあたえられてい

夢の内容のなかでは二カ所にわたって﹁

待ちこがれてはいるものの 、脅かされるような||性的状況を

どのような現実に由来しているかについて彼女に問いただすべ

う表現が出てくる。乙の宝石箱という要素は以下の事柄につい

鮮かに描きだしているといった現実的な誘惑的思考についてで

きであった。 ζの質問の結果は夢の構成をいっそう錯綜させる ととになったかもしれないが 、おそらくいっそう明白に認識さ

る。﹁私はふたりの子供を破滅させたくない ﹂ ︵乙乙には夢思

ある。乙の﹁宝石箱﹂という要素は濃密化と変異の結果と対立

せるととになったかもしれない。

て彼女が述べたことをおさかえている。すなわち、幼児的嫉妬、

わたって出現しているととは、この多面的な由来 l| 幼 児 的 と

する潮流の妥協に他ならない。夢の内容のなかでそれが二固に

水潟、つまり性的に泊れる乙と、時下によって不潔にされる乙

同時に現実的な源泉ーー をしめしているのであろう。

Lにいた当時見たとの夢が治療中に再現された夢と内容的に 正確に同一のものであったと仮定すべきであろうか ? それが

は多数の詳細な部分や広範にわたる修正によって区別されるに

もかかわらず、ひとはしばしば自分が同じ夢を見たと主張する

とくに必要であるとは思えない。繰り返される夢の個々の現象

来事であり、そのさい吐き気が現われたのである。しかし同じ

ζとを経験がしめしている。私の女性患者のひとりが報告する

夢はある新しい興硲を起乙させるように働く体験に対する反 応であって 、その体験は必然的に過去の類似した唯一の体験の

出来事には連想的に他からも近づきうる。すなわちそれはカタ

と乙ろでは、彼女は今日もまた、いつもまったく同じぐあいに

記憶を喚起するのに違いない。とれがK氏の店で接吻された出

ル ︵ 三三五頁参照︶ や、現実的な誘惑の思考領域からである。

342

の現実にあったきっかけ、すなわち母の側から食堂の鍵をかけ

ように見えるのだが。否定しえない偶然は、彼女にとって最近

たので兄が寝室に閉じこめられてしまったというきっかけが L

繰り返されるお気に入りの夢||彼女が青い海で泳ぎ、楽しく ある。しかし後からよく調べてみると、そ の基盤となるものは

におけるK氏の誘惑行為と結びついたという乙とである。彼女

大波をかき分ける等々、といった内容のlーを見たというので 共通であるが、それに加わる詳細な部分は夢みるごとに異なっ

でに成熟の決意を固めていたのであったが。おそらく兄はその

ころの夢のなかには現われていなかったのであろう。そのため

が寝室の鍵をかけることができなかったとき、Lでは彼女はす

に﹁私のふたりの子供﹂という言葉は、最後のきっかけがあた

ている。あるときは海が凍っているのに氷山のあいだで泳いで あるとは主張しようとしなかったのであるが||逆に、乙の繰

いた。また別の夢では||彼女自身がもはや乙の夢を同じ夢で り返されて現われる部分と密接に結びついているととがしめさ

えられるととによってはじめて夢の内容の 一部とな ったのであ る 。

ドの 高地と低地とを同時に実際の大きさで眺めるのである。海

れ てい る。たとえば一枚の写真を基にして 、彼女は ヘルブラン には彼女の若いとろの知人がふたり乗っている船がある、等々、

第二の夢

343 あるヒステリ ー患者の分析の断片

といった具合である。 確実なのは、治療中に見たドラの夢が || おそらくはっきり した 夢の内容は変化されずに||ある新しい現実的な窓味を獲

第一の夢をみてから何週間もたたぬうちに第二の夢が現われ、

得したということである。この夢は、その夢思考のなかに、私 の意図が復活した乙とと一致していたのである。目覚めてから、

との治療関係をふくんでおり、危険からまぬがれるという当時

一の夢の場合ほど見通しはきかないが、乙の夢によって、患者

の精神状態に関して不可欠なものとなった推論の正しさが望み

この夢の解釈が終了したとき分析は中断された。第二の夢は第

記憶違いがまったくないとすれば、﹁火のない所に煙はたたな

ついても深い洞察がえられたのである。

どおりに証明され、記憶の空白が埋められ、他の症状の成立に

ドラは第二の夢についてつぎのように語った。私は見知らぬ

い﹂という私の述べた諺を彼女が非常に巧妙に完成した夢形式 ζの諺が最後の要素の強力な決定的要因として利用されている

のなかに取りいれたことが認められる。夢形式の完成のために、

すでにLでも煙の匂を感じたと主張したとき、もし彼女の側に

I I I

ψ

、小、、 町を散歩し、見慣れぬ街路や広場を眺めています。それから私 は自分の住む家に帰り、自分の部屋に 一戻るとそと に 7 7の手紙 が置かれているのに気がつきます。 その手紙にはつぎのように 書かれています。﹁私たち両親に無断でお前が家を出たのでパ

にあるのか百回ほどもたずねますが、私のえた答はいつも決ま って五分ぐらいというものでした。つぎに私の前にはうっそう

てきてもかまいません﹂そ乙で私は駅のほうへいき、 駅が ど乙

は、私が下した推論の順序がすべてにわたって均等に確実に記

結びついた特有な事態のために、そのために分析が中断された

乙の夢の解釈は困難なく行なわれたのではない。夢の内容と

ば?﹂となる。 ***二度目のときには﹁一二時間﹂と繰り返す。 ドネ**つぎの分析治療の時聞になされたこつの追加。私は非 常にはっきりと自分が階段を上がっていくのを見ます。そして女中 の返事を聞いてもすとしも悲しくならず自分の部屋に上がっていき、 私の机の上にある大きな本を読みます。

とした森が現われてきます。私はそのなかに入っていきます。

たとき、今行なわれている分析の主題が何であったかという乙

じめ述べておきたいと思う乙とは、夢が分析のあいだに混入し

パが病気になったことを、私はお前に手紙で知らせたくなかっ 、、、、、、、、、?ネ、 たのです。でもパパが死んだ今、お前が家に帰りたければ帰っ

そこで出会ったひとりの男にまた道をたずねます。彼はまだあ 、、、、 * 也 市 * 、 と二時間半もかかると答えます、その男は道案内を申しでるの

そのとき私は夢のなかで先に進めなくなったときによく起こる

前に見えてきますがどうしてもそ ζにたどりつけないのです。

事のあった当初、そのことについて沈黙を守っていたのでしょ

その疑問の一つはつぎのごとくである。なぜ私は、湖での出来

る動機との関係について自ら疑問を投げかけてきたのである。

とである。しばらくして、ドラは自分の行為と背後に推測され

憶にとどめられていなかったことと関係がある。さらにあらか

のであるが、夢のすべてが解明されたわけではない。とのとと

ですが、私はそれを断わりひとりで歩きつづけます。駅が私の

との間私はおそらく汽車に乗っていたに違いないのですが、私

るK氏の求婚がけっして軽薄な誘惑者の行為でなかった乙とが

しく侮辱されたと感じたかについてであり、それは彼女に対す

と思うことは、彼女がK氏の求婚によってなぜこのようにはげ

でしょうか、という ζとである。一般的にさらに説明を要する

うか。第二は、私はなぜその後とつぜんそれを両親に話したの

ようなある不安感に裂われます。つぎに私は自分の家にいます。 には何の党えもありません。私は門番小屋のなかに入り、私た ちの住いについて門番にたずねます。女中がドアを開けていう 、、、、 、、、、 、 、、 本 本 誌 * のには、 7 7も他の方々ももう墓地にいってます。

J

キ 重要なる追加。ある広場で私は記念碑を見ます。 回 野U仕トがつ’ぃ 。 わかかト ﹁骨トわ小 h w 場本追加。ひか 一 4

344

よれば、ドラがとの突発事件を両親に知らせた乙と自体すでに

私に分かりはじめただけになおさらのことである。私の解釈に

ムを贈ってくれたのは若い技術者で、かつてある工場都市で彼

その絵のなかの一つに記念碑のある広場があった。とのアルバ

病的な復讐心に影響された行動なのである。もし正常な少女な

い男は急逮独立するためにドイツで働く場所をえたのであった

女はしばらくのあいだ彼と交際していた乙とがあった。との若

ようと思っていることは容易に推察された。しかしそれにはま

したのである。いずれ自分の地位が上がったときドラに求婚し

が、ドラに自分のことを思いださせるためあらゆる機会を利用

ら 、 ζの種の事件をひとりで処理しうるはずであるというのが 乙の夢の分析の過程で出現した材料を、私がこの 夢を再構成

私の意見である。 するさいに生まれたかなり多彩な秩序にあてはめて提示してみ 彼女はひとり見知らぬ街に迷い乙み、街路や広場を眺めてい

よう。

つに通じていた。クリスマスの休限に年若い従弟が訪れたおり、

きわめて複雑であった。それは誘因となるその日の出来事の一

見知らぬ町をさまよい歩くという夢の内容を決定する要因は

だ時間が必要であったし、待つ乙とが肝要であった。 *夢のなかで彼女はたずねる、駅はどこでしょうか?己の言 葉の近似性から、私はある結論を引きだしたのであるが、 ζの結論 は後に発展させたいと思う。

る。彼女が最初に迷い乙んだのは、私が初めに推量したBとい う場所でないととは確かで、それはまだ行ったことのない町で のイメージをとりだせるような絵画や写真を見たのかもしれま

あると彼女は確言している。それを・つけて、あなたは夢のなか

った。との指摘にもとづいて、広場の記念碑についての新たな

せんよ、と、私が分析をつづけるのはきわめて当然の乙とであ 陳述が追加され、すぐさま夢のなかのイメージの源泉が明らか

は、まったくどうでもよいことであった。しかしとの従弟が彼

女が初めてドレスデンに短期間滞在したときのことを想起させ

彼女は、ウィ ーンの 街を案内しなければならなかった。とのよう な、誘因となるその日の出来事はいうまでもなく彼女にとっ て

ある保養地から町の風景画付のアルバムをもらったことがあっ

スデンの街を歩き廻ったが、もちろん有名な画廊を訪れること

る乙とになった。そのとき彼女はまったくの異邦人としてドレ

になったのであ る。彼女はクリスマスの贈物として、ドイツの

ためそのアルバムを探しだしたのが昨日のことであった。その

く知っていた別の従弟が画廊の案内役をかつて出た。しかし、

を忘れなかった。そのとき彼女と一緒におり、ドレスデンをよ

たが、客として彼女の家を訪れていた親成のひとたちに見せる 本は絵入りの箱に入っていたが 、すぐには見つからなかったの 、* で、彼女は母親に箱はどこにあるの?とたずねたのである。

345 あるヒステリー患者の分析の断片

彼女は百四も質問を繰り返す。乙の事実は夢とけっし て無関

箱と女という言葉は確かにいっそうぴったりするのである。

の前で立ちどまった 。乙とに システィナの聖母像の前では、二

彼女はそれを断わり、 ひとりで画廊に出かけ、気に入った絵画

係でないある別の誘因に繋がっている。昨夜、 パーティーが終

というのは、父は就寝前にコニャックを飲まないと限れないか

わってから父は彼女にコニャックをもってくるように頼んだ。

時間も、静かな夢みるような感激のなかに時を過ごした。その 絵画のいったい何がそんなに気に入ったのかという質問に対し て彼女は明確に答える乙とができなかったが、最後に 、それは

らいらしてついに大げさに叫んだ。鍵はど乙にあるの?と私

ζで彼女はい

らであった。そ乙で彼女は貯蔵棚の鍵を母に求めたのだが 、母

はもう百四もきいたんです。実際にはもちろんこの質問をただ

親は話に夢中になっていて返事をしなかった。そ

聖母でしたと述べたのである。 は確実である。そのなかには夢の内容のなかにまったく変化さ

乙れらの着想が実際に夢を形成する材料に所属していること れずに見出す乙とのできるものがふくまれている︵彼女は彼を

の五回ほど繰り返したに過ぎなかったのだが。



が末長く従康であるようになど 、祝辞が述べられた。 ζのとき 父の疲れた顔の表情がまったく奇妙にゆがんだので 、彼女は父

昨夜の親族パ ーティー で父のために乾盃の辞が唱えられ、 父

が問題であるように息われる︵第一の夢参照、 三一一一一旦。 まりとれらは性器に関する質問を窓味するのである。

るの?﹂という質問では、女性的なものに対する男性的なもの

﹁箱はど乙に あるの? ﹂という質問に対して、﹁鍵はどこにあ

*夢の内容では五という数字は時間的表現をとっている 。五分・ 歩判断につい ての著書のなかで私は多数の例をあげ、夢思考のなか に現われてくる数字が夢によって取り扱われ ていることをしめした。 これら の数字はしばしばその関連を断ち切られ、新しい関連のなか にもちとまれる ζとが多い。

拒みひとりで出かけた︶。私はすでに絵副が夢のなかで思考の 糸の織りなす結び目にあたっている乙とに気づいている︵アル バムの絵画、ドレスデンの 絵画︶ 。 マ ド ン ナ、すなわち聖母 7 リアという主題もまた今後の追求のた めに取りだしたいと思っ ている 。しかし私はと の夢の最初の部分で 、彼女が自分を若い 男と同一視している乙とにとくに注目したい。彼は異都をさま よい 、目的を達成するために努力するが、お預けをくい 、忍耐 を要求され、時を待たねばならない。もし 彼女がそのときあの 技術者のととを考えていたとしたら、 乙の目的はまさにひとり の婦人、つまり他な らぬ彼女自身を所有するととになるはずで ある。乙れに相当するのが駅という言葉であって 、 乙の言葉に 対してはもちろん夢のなかの質問と実際になされ た質問との 関 係にしたがって箱という言葉をあてはめるのが妥当であろう。

346

殺がどのような気持を抑えたのかを理解した。とのあわれな病 身の 男 ! 乙 れ か ら先どれほどの長さの人生が彼に残されてい るかを、い ったい縫が知りえようか。 ζで

かくてわれわれは夢のなかの手紙の内容にようやく到達した。 父親は死亡し 、彼女は自ら家を去っていったのである。そ 夢のなかの手紙の場合、すぐさま、それが両親に宛てて醤かれ たも のか、あるいは少なくとも彼女が両親のために起草した別 離の手紙ではなかったかと私は彼女に注意を喚起させたのであ

とれと同町聞に不眠はたいていの場令性的不満の結果である。父には 愛する安との性交が欠けていたので眠れなかったのである。 ζの点 については以下の文章を参照のとと。﹁妻は私には何の意味ももっ ていない﹂

後に彼女の夢のなかの思考を統合するために 、 との復物欲を

新しい要素として認めたいと思っている。

乙の手紙の内容はしかしなおとの他の決定をも可能にするに

違いない。たとえば 、もしお前が望むなら、という追加された

言葉はどとに由来するのであろうか?

ていたという追加された一事実が心に浮かび 、 これらの言葉が湖 畔の地L へ招待したい旨書き記されたK夫人の手紙の引用であ

乙のとき彼女は、望むなら、という言葉の後に疑問符がつい

る乙とを認めた。たいへん奇妙な乙とに 、乙 の手紙には﹁もし

であることに間違いなかった。こ乙では彼女の死のテ!?と父

る。この手紙は父を驚かせその結巣父をK夫人から遠ざけるか、 父がもし手紙に動揺しなかったら復讐しようとする性質のもの

てくる︶。ファッサlドのように歩の前面を構築している状況

お望みなら、おいで下さい﹂という一節が全体の文章の中央郎

の死とが問題になっ てい る ︵ 夢のなかでは後に墓地の ζとが出 が父に対する復讐空想に対応していると仮定したら、それは誤

結びついている謎に直面する乙とになろう。私はとの出来事を

そとでわれわれは、 ふたたび湖畔での出来事とその出来事に

に挿入され、疑問符が置かれていた。

ζの日彼女が父に対して

ちをおかすととになるであろうかフ

のではなかろうか。との復管内エ恕とはつぎのようなものである。

もう一度くわしく説明してくれるよう彼女に頼んだ。しかし彼

同情的考えをもったということは、 乙の仮定にうまく一致する 彼女は家を去り異郷へ出かける。父はそれに心を痛め 、娘恋し *

さにその胸は破れんばかりである。かくて彼女は父に復讐を遂

女が最初にもたらした新しい事実はそう多くはなかった。それ によると、K氏がいくぶん真剣な調子で話しだしたのに、彼女

はK氏に十分話させなかった。そ ζで何が話題になっているか

げた乙とになる。彼女はコニャックがないと眠れない父にその 、 * 性 的満足が円以良の陛限剤であるととは疑いない 乙と であり

ときいったい何が不足していたのかをよく理解していた。

347 あるヒステリ ー和、者の分析の断片

を思いだしたにすぎなかった 。そ ζで彼女は二度と彼に出会い

言 葉 は私には何の意味もないのです﹂というK氏の政由づけの 一

のか私は知りたかったが、彼女は﹁あなたもど存知のとおり妻

拐から逃げだし てしまった。そのとき彼がどんな言葉を使った

がさらにつけ加えられたのであるからもはや何の疑いも許され

もしれない。だが﹁深い森﹂の背後に眺められる﹁ ニンフ達﹂

分をな味している。しかし乙れはユ ー モラスな 誤り であったか

いう語は一つの解剖学用語であっ て女性性誌のある 決まった部

さらに類似した﹁前庭﹂という言葉に向けられた。 との前庭と

性性器の部分を表現するものとしてすでに十分注目に値するも のだったが 、 とれらの言葉によって鋭さを増した私の注意力は 、

ということを理解しただけで彼女は彼の顔を打ち、急いでその

たくないと思い 、L へ向かって湖畔を歩き、途中で出会ったひ

。 ニンフとい ない。乙れらは象徴的な女性性器の地図であっ た



とりの男にそ乙までまだどのくらいの道のりがあるかをたずね

ψmT

*駅は他に交通の芯味にもなる。とれは鉄道恐怖症の精神的衣 裳である場合が多い 。 **破瓜空想はとの状況の第二の構成部分である。分析の進捗

瓜空恕がかく されていた のである。

キ*

の背後には男性が女性性援に挿し入ろうとするというような破

専門的な本は性的な好奇心に苛まれた青年によくみられる慰め の場所である。乙の夢解釈が正しければ 、 乙の夢の第一の状況

剖学の教科書とか百科辞典からえられたものである。乙れらの

いないのであって、しかもそれは一般的な書物からではなく解

専門誌を用いるひとはおそらくその知識を書物からえたのに違

れるものである。しかし﹁前庭﹂とか ﹁ ニ ンフ ﹂ と いうような

葉であり、 さらに医者によってもそう日常的に使われる言葉で はないが 、陰毛の﹁深い森﹂の背後にある小陰唇をさ し て呼ば

う言葉は医者にはよく知られているが素人には馴染のうすい言

たのだった。二時間半もかかりますよという答に彼女は歩くの をやめ 、間もなく出航しようとする船を探し求めた。ところが

K氏もまたそ乙に 居合わせて いた。彼は彼女に近づいて許しを 乙い、先刻の出来事を他言せぬよう懇願したが、彼女はそれに はまったく答えなかった。確かに夢のなかの森は乙乙に新たに 記された出来事の起こった湖畔の森と類似している。しかし彼 女は昨日分離派の展覧会でこれとまったく同じ深い森を一枚の 氷*

絵のなかに認めた。 ζの絵の背景にはニンフが拙かれていたの である。

ド乙の言葉は謎の一つを解き明かす乙とであろう。 *本ととで ご一度目である。絵画︵町の絵、 ドレスデンの 画廊︶ 、 しかしきわめて意味深い結合がある。そ の日おのなかで何が前回芯れ るかによってそれは女性を表わすイメ ージ︵森、 ニンフ︶となる。

、 、

ζ乙で私の疑いは確信に変わった。釈と墓地と いう言葉は女

348

のきわめて困難な乙と、および夢のなかで感じられた不安は、あの とのんで強調さ れる処女性をしめしている 。乙 の処女性には、他の 場所で、 あのシスティナの型母倣に示唆されて気がついた。破瓜空 想というこの性的な考えはドイツで彼女を待ちつづけている求約者 に対し て彼女がおそらくひそかに抱いてきた願望の無意識的スケッ チに他ならない。この同一の夢の状況の第一の桃成部分としてわれ われ は復讐空想を知ったが 、と の両者は互いにその姿を隠しあっ て はいる、それは完全ではなく部分的であるにすぎない。もっと定姿 な第三の 思考系列の痕跡を後に見出すであろう。

は自分の好むものを平静に読むことが できたのである 。 彼 女 の

復讐の理由の一 つはまた両親の強制に対する反抗であったと い

うべきではなかろうか。そうであればとそ父が死亡したとき彼

女は自分の好きなものを読み 、愛することができたのである。

その後このような記憶が浮かんだととを認めたのである。しか

最初彼女は百科辞典を読んだことを思いだそうとしなかったが 、

し、もちろんそれは無害な内容のものであった。すなわち、彼

供、つまり ドラの従兄が虫 垂炎のため危篤になったので彼らの

に決定されたときになって他の伯父から手紙が届き、伯父の子

女の愛する伯母が重い病気になり、ドラのヴィ l ン旅行がすで

私は彼女に私の 結論を伝えたが、その印象は異論ないものの

虫垂炎の症状について百科辞典を参照し たのだが、百科辞典で

*他の機会に彼女は﹁平静な気持で﹂のかわりに﹁すこしも悲 しく ならずに﹂と述べている︵三四四頁︶。私が ﹃ 歩判断﹄の なか で行なった︵二九九頁以下、七版三八九頁︶主張のE当性の新たな 例証として私はこの夢を利用する ζとができる。当初には忘れられ、 後になって想起された夢の断片はつねに夢を偲解する?えでもっと も重要 であ るというものである。また私はその著書のなかで夢を忘 れるという現象もまた精神内界のほ抗によって説明されるべきであ るという結論を引き だして いる 。

ていたのである。

HV

叫んだもののうち定型的な限局化された身体的疹痛をまだ覚え

、ウィーン 旅行は不可能 になっ たと伝えてきた。そのときド ラは

ようであった 。というのはただちに忘れていた夢の断片を思 い 、*、 だしたからである。すなわち、彼女は平静な気持で自室に一反り、 机の 上の 大き な本を読む。とこでは次の二つの部分が強調され 。 つまり それは本の場合﹁平静に﹂と﹁大きな﹂という てい る 二つの形容詞である。私が 、その 本は百科辞典の類ですか 、と た ず ねると、彼女はそれを肯定した。子供というものは祭止さ れた 題材につい て百科辞典をひくときけっし て平静ではいられ ない 。 そのとき彼らはふるえ 、恐れ、誰かひとが ζないかどう か不安そうにあたりを見廻すものである。このような読書の場 不快な状況を改善してしまった。すなわち、ハ久は死亡し、家族

合 両 親 は大きな障害となるが 、歩の願望充足力は根本的に この の他の者はす でに墓地へ出かけて不在であった。そのため彼女

349 あるヒステリー店、者の分析の断片

伯母の死後間もなくドラが”ウィ ー ンでいわゆる虫垂炎にかか った乙とを私は思いだした。これまで私Kは乙の病気をヒステ

虫歪炎のあと右足を引きずるようになったのでうまく歩けなく

ヴィ l ンへ旅行し 、そのさい汽車旅行を省略することができる なら、市Yのなかで階段の段々を無視する乙とがあっ てもよいで

あろうという意見である。彼女はさらにつぎのように語った。

リー の産物だと見なすだけの自信がなかった 。彼女はこのとと について 、最初の二 、三日は 一 向熱を発し下腹部に百科辞典で読

なった。それは長いことつづき、そのためなるべく階段を避け て歩いた 。今でもまだときどき足の懇くなる乙とがある。父親

んだのと同じ疹痛を感じたと語っている 。彼女は冷湿布をあて てもらっ たが、その疹痛には耐えられなかった 。二日自に激し

の求めに応じて彼女を診察した医師たちは虫垂炎後のまったく

ζとに普通の場合には下

い疹痛をともない、ヒステ リー になって以来きわめて不規則で

特定の限局された場所のない、どくありふれたインフルエンザ

作が器質的に条件づけられていたにしても||それはおそらく

乙れはまさに本物のヒステリー症状であった。たとえ当時発

もけっして起とったりしないからである。 *﹁卵巣痛﹂。 E20とよばれる下腹部の悲痛と同質の歩行降客 とのあいだには身体的な連闘が推定される。ドラの場合、それはあ る特別な種類の意味、すなわち精神的な司令畳と利用との意味をもっ ている。咳症状とカタルおよび食欲不振との関連を分析した場合の 類似した所見についても参照されたい 。

腹痛がふたたび出現するととはなく、門えを引きずって歩くとと



異常な後遺症状を見て非常に争。いた。

ζの状態を純粋にヒステリー性のものとして理解するととは

あった月経が来糊した。また当時はつねに便秘がちであった。 正当でないかもしれない。たとえ ヒ ステリー性の発熱というも のが疑問の余地なしに起乙る場合があるとしても、 との病気の 原因をヒステ リー に帰するということはやはり独断のそしりを

発熱を当時は病因的に作用した器質的な原因のかわりに 、 その

固いったとき、彼女が乙の夢につい て 、 自分が階段を 上がってい

招きかねないであろう。私がこの証拠をふたたび見捨てようと くのをとりわけ鮮明に眺めるという内容の最後の追加を述べ 、 ζの追加された夢の内容のなかにもちろん私はある特別な決

による発熱だったのであろう l!神経症がその表現の一つとし

彼女自身から私に助力の手を差しのべてくれたのである。 定的要因を求めた。ドラは階上にある住いにい乙うとすればど で反論した が、私はつぎのような反論を加えて容易に 乙れをし

典を拾い読みした乙とが自らを罰する結以となった。乙の罪が

て利用するために偶然をとらえたものである乙とはまず確かだ った。彼女は百科静典を参照して病気を作りだしたが 、百科辞

うし ても階段を 上がらねばならないと、あまり真剣でない調子 りぞけたのであった。それは彼女が夢のなかで未知らぬ町から

350

れるとある位置の変化が起乙り、その結果として罪が生じてく るのであし。おそらく、彼女が当時どのようなテ ! ?について

後にかくれ ている別の罪深いものがこの筈のない読書に接続さ

ない ζとで 、今日記憶のなかに同時に存在する無害なものの背

無山中古な項目を読むことに対して加えられるということはありえ

症状についてはどうであろう。そのことについて推察してみよ

した可能性を否定しはしなかった。しかし足を引きずるという

化したのであった。彼女はもちろん 乙の期間のもつ意味を知っ

疹痛や月経というような控え目な手段によって出産空想を現実

らく特徴的な乙とで 、 いわゆる虫垂炎は患者の意のままになる

う。足を挫いたときは確かに足を引きずって歩くものである。

ていた。そして当時妊娠と出産の項目について百科辞典を参照

*γ

読書をし ていたかを、さらに追求する乙とができたであろう。

もし彼女が湖での出来事の九カ月後に出産しえたとすれば、彼

たのである。それは私がさらにつぎのような要求を出しうる場

女はまさしく﹁誤まれる歩み﹂ FE 52すなわち過失をおか し 盲腸周囲炎を模倣しようと した状態はいったい何を意味した

*乙れは性的なものとは一見まったく関係なさそうなきっかけ から症状が発生する典型例である。

のであろうか?病気の後遺症状すなわち足を引きずる症状は

症状の側から乙の求められた意味に光をあ てる乙とができるか

像のもつ密かなそ し ておそらく性的ともいえる意味にむしろよ く調和するに違いない。もし乙の後遺症状が解明されるなら、

年時代から引きだしてくることをあえて求めようとは恩わない。

ばならないととである。しかし私の望む材料を彼女が自分の幼

もっていない。との事実は ζれまでの私の体験から堅持されね

はその幼児的な兆候が認められる場合にのみ出現しうるもので

合の話である。ーー私の確信するととろではーーとの種の症状

もしれないのである。私は乙の謎に通ずる入口を発見しようと

いからである。たとえ私がとの原理を乙のんで信じたい気持で

というのは、実際には乙の原理を一般化する乙とはまだできな

あらゆる困難を解決する答は即座にえられた。﹁それは九カ月

りも先であったか後であったかどうかをたずねてみた。一挙に

乙で私は虫垂炎がおこったのはいつか、それは湖での出来事よ

足は後年引きずったのと同じ側の足であった。足ははれあがり

があった。 Bで階段をおりるとき足を踏みはずしたのだ。その

である。事実彼女はかつて子供のとき同じ側の足を挫いた乙と

あったにせよ。しかし乙の場合にはそれが即座に証明されたの

ある。後年の印象にもとづく記憶は症状を形成するだけのカを

つとめた 。夢のなかには時間が現われる。確かに時間はあらゆ

盲腸周囲炎にまったくそぐわないものであるが、この症状は病

る生物学的出来事においてけっして無意味なものではない。そ

後で した﹂というものであった。この九カ月と いう期間はおそ

351 あるヒステリ ー患者の分析の断片

拙棚帯を巻かねばならなかったし、二、ゴ一週間安静に横臥してい 。 それは彼女が八歳のときの乙とで 、神経性哨閉山の たのであ る 始まるす前の出来事であった。 此たいていのヒステリー液状は、それが完成さ れた場合には、 性生活のある空想された状況、たとえば性交の場面、妊娠、出産、 産傷などを表現している乙とを私はすでに時示しておいた。 つぎに重要 な とと は この証明された空想を利用する乙とであ った。﹁もしあなたが湖での出来事から九カ月後に出産を終え、 今日までこの失敗の結果をもち乙して苦慮しているとしたら、 無意識のうちにとの出来事の結果を後悔して いた乙と は明らか なのです。 あな たはそれを無意識の思考のなかで訂正していま す。あなたの出産空想の前提になることは 、当時何事かが起こ ったという乙とであり、後になってあなたが百科辞典から引用 いうことなのです。あなたも↑承知して いるように、 K氏 に対す

しなければならなかったもののすべてを当時すでに体験したと るあなたの愛悩はあの出来事で終わったわけではなく、私が主 張し たように ーーもちろん無意識のなかにではあるけれども| ι 京 市 本

|今日までつづいていたのです﹂ || 彼 女 も も は や そ れ に は 反 論しなくなった。

*したがって破瓜空想をK氏に対してあてはめれば、夢内谷の 同一部分が なぜ湖の出来事からえられた村料をふくんでいるかが明 らかになる︵拒絶、二時間半、森とL への招待︶。

ζれまでの解釈に対するこ、一二の追加。﹁聖母﹂が 彼女自 * * 身である ζとは明らかである。というのは、最初は彼女に絵を贈っ た﹁求婚者﹂のためにであり、ついで彼女がK氏の愛をとりわけ彼 の子供に対する母性愛によってかちえたためにであり、最後に彼女 が処女にしてすでに 子供をもったためにである。 とれは出産空想の 直綬的指示にもとづいている。それにしても﹁聖母﹂は 、少女が、 ドラの場合にもそうであるように性的な事柄でとがめられていると き、と のんでその対象となるものである。私がとの連関について最 初の予感をえたのはまだ大学病院の精神科の医師として働 いていた 当時花郊の非難に対して反応的に生じ、急性の過程をたどっ た幻覚 性の鈴乱状態の症例を扱ったときである。 ドラの子供を求める母性的な品川れは、今後も分析が継続されたな らば、おそらく暗いが強力な行為の動機として明らかにされたであ ろう。||最近彼女が提起した多数の疑問は、彼女が百科辞典でそ れをみたそうとした性的好奇心から発する疑問の産物のよ うに 思え

た。彼女が肝娠、出産、処女性やその他のテ 1 マについて百科辞典 を参照したというととは十分想像できる|1第二の夢の状況との関 連につけ加えられた疑問の一つを夢の再開削成のさいに彼女は忘れて いた。それはおそらくことに某氏が住んでいるかとか、某氏はど乙 に住んでいるかといった類のものにすぎなかったろう。彼女がそれ を夢のなかにはとり入れながら、外見上は無害な疑問を忘れたとと には理由があるに違いない。私はとの理由を彼女の姓のなかに見出 、 す のである。 ζの姓は同時に対象としての意味をもち、二義的な つまり﹁意味の暖昧な﹂言葉とみなされうる。残念ながら乙の名前 を出すことができないので、乙の一 T 狼 以来が﹁出口小林の隈昧なもの﹂、﹁ 黙なもの﹂を表現するためにいかに巧みに利用されているかを しめ

352

でも今日のところはもっと仕事をつづけましょう。あなたはい

||ご存知のとおりあなたはいつでもやめる向由をおもちです.

つ ζの 決 心 を し ま し た か ? | | ﹁ 二 週 間 前 だ っ た と 恩 い ま

前の解約通告と同じように響きますね。||﹁解約した家庭教

す﹂ーーその言葉は まるで女中か女の家庭教師に対する二週間

師は、彼女を湖畔のLに訪ねた当時、K氏宅におりました﹂ |

|本当ですか ? あなたはその ことをまだ話してくれていませ

んでした ね。説明してど らんなさい。 *それは十二月三十一日であった .

第二の夢を解明する仕事は二時間を要した。二度目の面接終

いました 。主人 のほ うでも彼女に対して丁市に振舞っ たわ けで

人に物を手 渡 す とともせず、筒潔に空気のように主人を遇して

に対し て本 当に 奇妙な挙動をしめしていました。主人 には 挨 拶

﹁ そ れは子供の家庭教師としてその家にいた若い女性で 、 主人 了 に よ っ て え ら れ た結果に ついて私が 満足の意を表明したさ い、 ドラは侮蔑的調子で答えたーーいったいどれだけ多くのこ

はありません。湖での出来事の一日か二目前、その女性は私を

すととも不可能である。伯母の死についての記憶から夢の材料がと られているとの官官の 他の部分で﹁彼らはすでに墓地に出かけ てい た﹂という文章が、右記の場合と同様に 、伯母の名前を暗示した言 葉であるとするな・そそれは乙の解釈を支持するものである 。との 狼綬な文章には、辞書からはえることができない口頭によってあた えられた第二の知識の源泉が しめされているようである。 K夫人そ のひとが誹務者でありその源泉であると開いても私は鴨川きはしなか っ た ろう。 K夫人はほとんど除険ともいえるような復讐によって他 のひとたちを迫害していたにもかかわらず、ドラは寛大にも夫人を ゆるしてやったのであった.ととで起こっている ζの見逃す乙との できぬ一連 の置き換えの背後には、ある単純な動機すなわちK夫人 に対するド一 7の深く根ざした同性愛が推察される のではなかろうか .

とがこの 結果に現わ れて きたという のでし ょう。 しかしこの 言

誘って脇のほうへ連れていきました。私に何かい いたい ζとが

もせず、返事もせず、何 か依頼され ても 、机に向かっている主

をさせる ζとになった。

葉 はさらに 新しい 秘密の発見への接近 に向かっ て私に心 の準備

あったのです。そして話してくれました。夫人が何週間も関守 だったときK氏が 彼女に近づき、いい より、好きに なって くれ

ど承 ﹁ ζ へ来るのは今日が最後です﹂ | | 私

三度目の面接は つぎのような彼女の 言葉で始まっ た 。 知ですか、先生。私が乙

がそんなこと知っているはずがないでしょう。あなたは何もい

と懇願し、委は彼にとって何の怠味もない、などと話したそう

です﹂||それは彼があなたに求婚したときの科白とまったく

同じものですね。あなたはそのさい彼の顔に一撃を加えたので



わなかったのですから||新年までは我慢する ζとに決め てい ましたの 。 でもそ れ以上治療が長びく ζとはがまんで きませ ん 。

353 あるヒステリ ーj 患者の分析の断片

彼女は彼を憎むようになったのです﹂|| そ乙で乙の家庭教師

ばらくたつと彼は彼女の乙とを気にかけなくなりました。以来

したが。||﹁ええ、彼女は彼に同意したのです。けれどもし

よるのです。その娘さんがあなたに自分の出来事を話したとき、

侮辱を ’ つけたことによるのではなく、嫉妬心から発した復讐に

が分かります。それはあなたに課せられた不当な要求によって

あなたの心のなかには新しい興否が喚起され、はか りの均衡が

です、と、その娘さんに述べたのと同じ言葉を使ったその瞬間、

に術策を弄したのです。 K氏が、妻は私には何の意味もないの

たときすぐさまその 事件を両親に報告しました 、と。両親は好

破れたのです。あなたは彼が使用人である家庭教師と同じよう

あなたは自分の感情に合わないものをすべ て傍に押しや るため

人物でドイツのどこかに住んでいるのですが。両親は即座に彼

はやめるといい出したのですか?|| ﹁ いいえ、やめようと

女がその家を立ちさるよう求めたのでしたが、彼女がまだ家に

です。との傷つけられた自尊心が嫉妬心と意識され記憶された

に自分を取り扱おうとするのではないか?と自問自答したの

思ったのです。彼女はいいましたO K氏に見捨てられたと感じ

ζとは許しません、と奮いてきたのです﹂|

舎かないでいると手紙をよ乙して、彼女の乙となどもうどうで

の気持が変わりはしないか、しばらくのあいだ待ちたいのだと

!なぜ彼女はすぐに出ていかなかったのですか P ||﹁K氏

ですね。彼女の話からあなたがどんなに深い感動をうけたか、

動機に加わるのです。どうやらあなたには我慢できなかったの

もよい 、家に帰る

彼女はいっていました。そんな気持でいるととに彼女は耐えら

めしたのです。あなたは私たちがこれまで理解しなかった乙と

その証拠として 、夢のなかでも実際の振舞のなかでも、あなた が自分自身と彼女とを繰り返して同一視している ζとを私はし

を両親に話します。乙れはその娘さんが両親に書き綴ったとと



をやめて出てい乙うと思ったのです﹂||で、乙の女性は結局

れませんでしたから、もし何の変化もみられなかったら、仕事 どうなったのですか?||﹁私が知っているのは、ただ彼女 が家を出ていったというととだけです﹂|| ζの冒険の結果と

と同じ ζとなのです。つまりあなたは、あの家庭教師が二週間 前に解約通告をしたように、私に治療契約の解消を予告するの

1l ﹁いいえ﹂

して子供は生まれなかったのですか?

です。あなたに帰宅の許しがみのたえられている夢のなかの手紙 は、それが禁止された家庭教師の手紙とは対照的ですね。

った。私はドラにつぎのようにいう乙とができた。今や私には、

*その夫人について ζれと同一の訴えを彼女が父の口から聞き えたととは、おそらく無意,味な乙とではなかった。彼女はたぶんそ

と乙ではまったく法則どおりに分析の最中に日常的な材料の 断片が現われ 、それが以前に提起した問題を解決するのに役立 彼の求婚に対してあなたがあの一撃をもって答えた、その動機

354

しかしその後は何の便りもとなかったのであなたは自分の復

て、あなたの滞在地へ彼をよび寄せようとする下心を抱く余地

讐心を思うままにつのらせたのです。彼をとがめるととによ っ

が当時なお残されていたという乙とを私は想像できます。

の訴えの#震を理解していた。私自身も彼女の父からとの訴えを直 接聞いた乙とがあるように 。 ﹁ なぜ私はそのことをすぐ両親に話さなかったのでしょう? ﹂

:::最初は彼のほうからもそれを提案していたのですが ﹂と ﹁ 彼女はさしはさんだ。ーーもしそうだったら、あなたが彼を求

める気持は満足させられたかもしれませんね。|| ζとで彼女

いったいその間どれぐらいの時聞が流れたのですか ? 六月の末日にその出来事が起こったのです。七月十四日に私 ﹁

は同意をしめした。それは私にはまったく思いがけないととで あった。 − 1そうすれば、彼はあなたが求めていた満足をあた

はそれを母に話しました﹂ な期間です。あなたの質問に私は今答えるととができます。あ

﹁それはどんな満足でしょうか? ﹂

える乙とができたかもしれませんね。

ではまた十四日間なのですね。それは使用人にとって特徴的 なたはきっとその哀れな娘さんの気持をよく理解していたので

﹁ そうです。最初は夫人が子供たちのために離婚を望もうとは

いたよりも、ずっと真剣に K氏との出来事を考えていたのでは ないかということに気づいてきました。 K夫妻のあいだでは、 しばしば離婚が問題になりませんでしたか?

﹁もちろん私は、あなた自身がとれまでに見せかけようとして

す。彼女はすぐには家を去ってい ζうとはしませんでした。 K していたからです。 ζれは同時にあなたの動機だったのに遠い

氏が愛情をふたたび彼女に向けてくれることをなお希望し期待 ありません。あなたもK氏がもう一度新たに求婚してくれるか

しませんでしたが 、今では夫人がそれを望んでも彼にはもうそ

どうかを知るために時期を待っていたのです。その乙とからあ なたはつぎのような結論を引きだした乙とでしょう。その求婚

は二年前には若過ぎたのですが 、あなたの

7 7が十七歳で婚約

えるべきではなかったのでしょうか?いうまでもなくあなた

にかわる人がえられないので今や離婚する窓士山がないのだと考

彼はあなたと結婚するために夫人と別れようとするが 、夫人

の気がありません﹂

が彼にとって真剣なものであり、あなたとの場合には家庭教師 と違って遊びの気持ではなかったという結論を。 私の出立後数日して彼は一枚の葉書を送ってきましむ﹂ ﹁ *とれは最初の夢状況のなかで自我の背後にかくされている例 の技術者への依存性をしめしている ・

355 あるヒステリ ー患者の分析の断片

けてくれるものと信じていたのです。乙れがあなたのまったく

の斐となるのに十分なだけ女として成熟するまで彼が待ちつづ

理想像となるものです。そとであなたも彼を待とうと思い、彼

たは私に 話し た乙とがあります。母の愛の物語は普通その娘の

し、その後二年間も夫となるひとを待ったということを、あな

っています。それはK氏の求婚が 真剣なものであり、あなた が

ますね。さて、私はあなたが何を思いだしたくないのかも分か

どあなたを激怒させるととはない、とあなたはれら告白してい

う。湖での出来事を想像していたのだと他人に恩われるととほ

なったことは、あなたにはひどい幻滅だったに違いないでしょ

婚を求められるかわりに 、求婚をとり消され誹訪される結果と

像したととです。

彼と結婚するまで彼はあなたを見捨てないだろうとあなたが想



真剣な人生計画だったと想像されます。しかし乙のような意図 をK氏に対しては全然もたなかったなどと主張する権利はあな *ネ

ドラは私のいうととに耳を 傾け、 いつものようには反論しな

初の夢状況の内谷の *目的を速成するまで待つという ζとは HM なかに 見出される 。乙の花嫁を待つと いう空想のなかに、私は ζの 夢の予告された第三の構成部分を認めるのである。 **とくにと乙では 、昨年彼らが町で一絡に生活したさい、ク リスマス の贈物として彼が彼女に手紙箱を贈ったときに述べた言葉 が問題である。

たにはありません。何が直銭的にこのような怠図を暗示してい る彼の振舞もまたそれに矛盾するものではありません。あなた

るのか彼についてあなたは十分に語ってくれました。 Lにおけ は彼に十分話させなかったし、彼が何を話そうとし ていたのか ったく不可能だったわけではなかったのです。すなわち、おそ

も知らなかったのです。ちなみに乙の計阿は実現する乙とがま

人とお父さんとの関係は、夫人が離婚に同意する確実性をあな

た。その後何度か私を訪れた彼女の父親は娘がまたくることを

新年の挨拶を述べて別れを告げ||ふたたびくることはなかっ

らくただその理由のために長い乙とあなたが支持してきたK夫 たに提示し ていたし、お父さんが相手の場合あなたは自分の望 むことをなしとげられるからなのです。たしかに、 Lでの誘惑

かった。彼女は感動したように見え 、愛くるしく心の乙もった

がもし別の結果に終わっていたら、それは当革者すべてにとっ

からである。しかし父親はその点についてまったく誠実である

排他言した。彼女が治療の継続を望んでいるように見受けられた

というわけではなかった。彼とK夫人とのあいだに友情とは巡

て唯一の可能な解決となったかもしれませんね。そとであなた 炎として出現した乙の結果を空想のなかで訂正したのだと私は

った何物かが存在しているのだというととを、私がドラにいい

は期待に反した乙の 結果をたいへん残念に思い 、かつては虫垂 思います。あなたのとがめだてによってK氏の側から新たに結

356

一方ではドラの精神生活のもっとも強い興奮がまだ K氏のほ

ねに自らに戒め 、 とのような限界の一つとして患者の窓志や洞

うに向かっていたとき、あの顔への一撃がけっして最終的な拒

察に意を用いたのであった。

にはないことを認めると、彼の関心は消失してしまった。私は

ふくめてくれるようにという希望をもちうるかぎりにおいて、

ドラがもう二度とこないととを知っていた。疑いもなくそれは

だということを彼が推察しえたとしても、はたして彼がより多

絶を意味した のでなく、ついに 目覚まされた嫉妬心によるもの

父親は娘の治療を支持したのであった。しかしそれが私の意図

復讐行為であっ た。彼女はま ったく予想の つかないやり方で 、

し彼が

くのものを獲得しえたかどうか、そ れも私には分からない。も

治療が幸福な結末を迎えようという私の期待が銭高潮に達した とき、治療を中絶して、乙の希望を無きものにしてしまったか

て、暖かな 関心をしめし たとしても、はたして乙 の少女を治療

を銘記すべきである。もし私が自分の役割を発見し、彼女をと どめ ておく乙とが私にとっていかに価値のあるととかを誇示し

な人間は、との 悪魔との戦いで傷つけられずにはすまない乙 と

いるも っとも悪い 悪魔と戦うべく、それをよ びさます私のよ う

れたのである。人間の胸のなかに完全に制御されずにひそんで

まりそれが抑圧の解消や抑圧の強化に向かったかについてはと

抗争がある場合、彼女の決意がいかなる側面に向かったか、 つ

によっていっそう十分に満足させられるにすぎなかったのでは ないか、というのが私の窓見である。いくつかの動機の相互に

難なく乗り越える ことができたかもしれな い。しかしその場合、 おそらく彼女は同様にたやすく興窃させられ、復讐心のみが彼

婚しつづけたとし たら、との 少女の愛情はすべての内的障害を

ζの最初の拒絶を聞き流し、納得させるに足る情熱で求

らである。彼女の自傷傾向もまた乙の行為によって満足させら

にひきとどめえただろうか?私には分からない。その関心は、

れまで考慮された乙とがない。現実的な愛情要求の充足不全が

いざ現実に彼らのもとにやってくると、彼らはそれから逃走し

私の医者としての立場によってできるかぎり緩和され ている と

てしまうのである。彼らはその現実化をおそれる必要がないよ

に支配されている。空忽のなかにもっとも強く熱望するものが

まなので、私は治療のさいいつもある役割を演じる乙とを避け、

神経症の本質特徴の一つであって、患者は現実と空想との対立

控え目な心理学的技術で満足してきた。あらゆる理論的な興味

た敷居は、現実的に惹き起こされた情熱的な激しい興奮が到来

うな空想にもっとも このんで身を任せるのである。抑圧の築い

しても、彼女の望んだ愛情の代用品になっているものなのであ

と患者を救おうとするあらゆる医師の努力においてもなお私は

る。治療に抵抗する要因の一部はどの症例においても不明のま

医師の精神的な影響力に限界を設ける ζとが不可欠であるとつ

357 あるヒステリ ー患者の分析の断片

するともちろん取りさられ、神経症は現実によって克服される。 われわれにはしかし誰の場合にまたどのような手段によって乙

できない。



の神経症の治熔が可能になるかに ついて 一般的に見積る乙とは

ホその総合を企てうるほど根本的には理解する乙とのできない ζの夢の構造 について 、二、三の所見をつけ加えておく。ファッサ ードのように前面に 出されている ζの夢の断片として 、父に対する 市 以 内凶 作ム怨が明らかにされた。つまり彼女は独断で家を出 ていった。 、 そし て父親は病気になり死んでじまう。そ ζで彼女が 採 aに帰ると 他のひとたちは皆もう議地にいっている。彼女はまったく悲哀肢を 党えずに自分の部屋へいき、平静に百科辞典を続く。別れの手紙を 両親に発見させる乙とによって彼女が現実におかした別の復讐行為 を暗示するこつの事実がと乙に見られる。それは手紙︵官官のなかで は母からの手紙︶とドラの 平木であった伯母の葬式の叙述である 。 は 、 K氏に対する復讐思考がかくされており、 || ζの空想の背後に 私に対する振舞のなかに 、彼女は復讐思考の出口を見出した のであ る。||女 中 |1招待ll森||一一時間半などの イメージは 、Lで の出来事をその材料としている。家庭教師についての記憶と彼女が 両籾とのあいだに交した手紙につ いての 記憶とは 、別離の 手紙の要 素として夢の内谷に見出される帰宅許可の手紙を形成するのに関与 してい る。道案内させるのを拒絶した乙とと、ひとりで いくのを決 意した乙ととは、つぎのように補足する ζとができよう。あなたが 私を女中のように扱ったので、私はあなたを見捨てて 、ひとり私の 道を歩み、あなたとは払川 附 い たしま せん 、というととになる。ーー との復讐思考によって服されてはいるが、相州市忠諌に持続されたK氏

への愛情にもとづく甘い 空想か らえられた 材料が 他の場所にもれで ている。私はあなたの 妻となるまで 、あなた を待ちつ づけているで しょう||破瓜||出産。最後に問題となるのは、第悶の、もっと も深く隠された思考領域、 つまりK夫人に対する彼女の愛情に関す るものである。それは破瓜空想が男性の視点から述べられたとと ︵今は異郷におり、 彼女を崇拝する男性との同一視︶と 、 ︵ 乙 Eに X X氏が住んで いる ︶ という二重の意味をもった一一一日菜と彼女の 口頭 によらない性的知識の源泉 ︵百科辞典︶ とが、二つの場所でもっと も明白に暗示されているという乙とである。かくて陰惨でサディス ティッグな衝動は乙の拶のなかで満足させられている。

あとがき

果に到達するためにはなお分析の継続が必要だったからである 。

は明ら か に さ れ ていな かっ たからであり、またある普通的な結

には ζ の 作業が 中断 され たさいに分析の結果 が ま だ 十 分 確実 に

じ た 根拠 を しめそうとするととは当然のことと思っ てい る。 一連の精神分析の結果が省略され てい るが 、 その理由は一つ

のを見出 す ことだろう。 し た がっ て、との 偶 然 で な い省略 の生

者はこのタイトルから期待されるものよりはるかに不十分なも

私 は 乙 の 論 文 を あ る 分 析 の 断 章 と 題 し て 発 表 し た。しかし 読

日f

358

る解答をしめしておいた。けっして自明でない技法、それによ

多い観察によってえられたものだからである。ととに無意識問

乙の仮説に対する材料はただもっとも広範囲でもっとも苦労の

意識化されているものと同様に、正当に疑いのない心理学の対

適切だと思われた他の場所で私は個々の問題について予想しう

思考の純粋な内容が引きだされうるものであるが 、 その技法は 乙乙ではまったく無視されたのである。その結果、読者が私の

象であるかのように操作するがゆえにである。しかし

題に対するとの断固たる私の立場は衝撃をあたえるかもしれな い。それは無意識の表象、思考の系列 ・興奮などを、それらが

とった処置の正しさを乙の描写の過程においては託明しえない

らゆる諌止にもかかわらず、私と同じ立場に身を置かざるをえ

現象領域を上述の方法で研究しようとするひとは、哲学者のあ

ってはただ思考の着想という生の材料から価値のある無意識的

という欠点と結びついている。しかし分析の技法と ヒステ リー

ζの閉じ

症例の内的構造を同時に取り扱う乙とは私にはまったく遂行不

たであろう。乙の技法にはまったく特別な描写の仕方が要求さ

決めつけている悶僚たちは、彼らの非難が ζの技法のもつ特徴

ぎ、そのために病的な問題を解決するととができないと頭から

ヒステリーについての私の理論を、あまりにも心理学的にす

ないものと確信する。

れる。それは多数の、できるかぎり多様な症例によって証明さ

であろう。治療上の技法は純粋に心理学的である他はないが、

を不当にも理論に譲渡するものである

者にとっても確実に読むに耐えない不快な読物になってしまっ

可能に思えた。それは私にはまったく不可能な仕事であり、諸

れるもので、そのつどえられた結果は無視するというようなや

の乙そそれ自体一つの仕事であろう。私が確言できるのはつぎ

間に合わせの論証からは何事もえられないのであり、詳細なも

能という仮の概念によって代用させているにしても。私が他の

ものの、目下のと乙ろなお捕えられないものとして、器官の機

綾を病理解剖学的変化には求めず、化学的変化を期待しすぎた

理論は神経症の器質的な基盤を提示するととをけっしてなおざ りにしているわけではない。たとえ神経症理論がその器質的基

ζとを乙の論文から知る

り方である。精神現象を記載するさいにおのずと現われる心理

の乙とだけである。すなわち、ある決まった心理学的大系に縛

学的な前提条件をも私は乙乙では論証しようとはしなかった。

られずに神経症者の観察によって明らかにされた現象そのもの

精神神経症一般の場合と同様にヒステリーの原因とみなしてい

定しようとするものはおそらくひとりもいないであろう。性生

る性的機能が、器質的な原因としての性格をもちうるととを否

の研究に向かったこと、および観察された事実の関連を説明す るのに適切と恩われるまで私の意見を修正したという ζとであ る。恩弁を避けた乙とを私は誇りに思っているわけではないが 、

359 ある ヒステリ ー患者の分析の断片

の萌芽、性感相官、両性性への素質などについては今日では明言

しかし﹁身体側からの対応﹂、幼児期に見られる性的倒錯へ

れが病院で知りうるあらゆる病像のなかで純粋な精神神経症が もっとも近いのである。

る慢性毒を使用した場合に起こる中毒や禁断症状には、われわ

き起こす性的物質を仮定することが不可欠ではなかろうか。あ

活理論の原理には、私の推論するように、ある特定の興奮を惹

しかるべきであろう。すなわち、興奮、それに所属する表象に は意識化される能力が欠けているのであるが、これらの興奮が

るにすぎない。そ乙で、つぎのように推察するととも許されて

ネが強調した乙とは、いつわりなく貧弱な図式化を意味してい

きなかった。症状のなかに置きかえられている固定観念をジャ

まな精神的輿奮の並置、対立するものの相互的な結合、抑圧と

ステリーにおける精神現象の錯綜性についてであって、さまざ

理由で、今日の科学にとってなお未知のものである。それはヒ

われわれが﹁正常﹂とよび、その表象が意識化される場合とは

置換などについてはこれまで誰も正当な予想を立てるととはで

しうるものであるが、乙の論文では同様にその問題には深く立 たせてみた。個々の例からえられる乙とは高々との程度にすぎ ないのであって、 ζのような動機を付加的に述べる乙とは避け

とが理解するならば、乙の前者の表象を正常なものに変化させ

異なった表現をとるというととである。とのような考え方をひ

ち入らず、ただ分析が症状の器質的な基盤に出会う場所を際立

るべきだという上述のごとき根拠を見出したのである。乙乙に

したいと思った。ととに報告した二つの夢の分析で、精神分析

それ以外の目的には無用の技術がいかに利用されうるかをしめ

活のなかに隠され抑圧されているものを明らかにするために、

であった。今述べたように、病的現象とは、患者の性的活動に

して街動力となっているという事実をしめすことも私には重要

すべての個々の症状やまたある症状のすべての個々の表現に対

に特徴的な現象の機制のどこかに出てくるというものではなく、

性的なものは、一度限り現われる仕掛けのようにヒステリー

はいかなる障害も残されてはいない。

ることによって神経症症状を除去する治療法を理解するために

異なって、互いに重なりあって作用し、異なった経過をたどり、

多数の分析によって支持された、今後の研究を行なう上での十 分なきっかけがあたえられている。 との不完全な論文で私は二つのととを達成しようと思った。

の技法と類似した夢判断の技法に注’怠がはらわれたのである。

できないであろう。しかし性的なもの以外には精神神経症、否、

他ならない。個々の例からある一般的な法則を実証するととは

その一つは、私の夢判断についての著書の補足として、精神生

の関係は特定の方法が応用された場合にだけ発見されるという

第こには、ある一連の関係に対する関心を喚起したかった。そ

360

する乙とはできないであろう。私はなおとの原理に反対し、制

で、私はふたたび改めて ζの乙とを繰り返し指摘することがで きるのである。乙の鍵を無視する者はけっして ζの問題を解明

神経症一般につい ての問題を解く鍵を見出すことはできないの

かに医師という人聞に帰国しているにすぎない。

されると間もなく消失してしまう。治癒や回復が遅れるのは確

ない。つまり治療中症状は消失しはしないが 、治療関係が解消

があまり変化しない乙とを経験すると、ひと は驚き、ともする

このような事情を理解してもらうためには、さらに詳細に語

と誤りを侵しがちである。実際にはそれはさほど悪いことでは

約を加えうるような研究を期待しているのであるが 、と れに反

停止してしまうものである。しかし神経症の創造性はけっして

らねばならない。精神分析治療のあいだに、新しい症状の形成

現にすぎず、乙れに対しては、﹁そ れはどうにもならないとと でbか﹂というシャルコ lの言葉をあげれば十分である。 病歴および治療歴の断章を発表したこの症例もまた精神分析

移﹂と呼ばれる特別な種類の創造となって活動している。

消失せず、たいていは 無意識の思考形成、すなわち一般に﹁転

し私がこれまで耳にしたものは、個人的な嫌悪感や不信用の表

の価値を正当に評価するためには適当ではない。せいぜい三カ に内在する別の要因が||本来なら患者や患者の家族によって

う人間と過去に関係した人間とがその転移特有のやり方でとり

もたらされるべき興萄と空想の新版と模写であって、医師とい

転移とは何か?それは分析の圧力によって喚起され意識に

はーーとう表現するととは許されるととと思うが||規則的に

月にしかならない治療期間の短さのためだけでなく、乙の症例

い治癒に達するものであるが114治療が終結する乙とを妨げて

同意のえられる回復をもって 、 それは多かれ少なかれ完全に近

かえられている。換言すれば、過去の精神的な体験のすべては

りかえられているというととを除けば、原型とは内容的にまっ

いる。乙のような喜ばしい結梨が目的とされるのは、病的現象

な材料を正常なものへ移しかえるととによって、患者の精神的

たく区別できないような転移もある。閉じ比喰を用いるならば、

との現実的な関係としてふたたび活動しはじめるのである。と

な課題を解決するのに役立つ程度に応じて患者の状態がよくな

それは単純なる新版、ま ったく変更のない新版といえるもので ある。他の場合にはもっと手が混んでいて 、内界的にはほどよ

けっして過去に属するものになるのではなく、医師という人間

っていくのが分かる。ドラの場合にも、また乙の二年間そうで

く和ら.けられて||乙 れは私が昇華と呼ぶものである1 1休験

がただ性的なものに関係のある興衝のあいだの内的葛藤によっ

あるように、症状が生活の外的要因に利用される場合にはその

て維持されている場合だけである。乙のような症例では、病的

経過が異なっている。治療の進捗にもかかわらず、患者の状態

361 あるヒステリ ー患者の分析の断片

されており、意識的なものにさえなりうるのである。それがあ る巧みに利用された現実的な特殊性||医師という人間、医師

にせよ乙の煩わしい方法の重大な欠点とみなされがちである。

れによって医師の仕事がいっそう増えるというととは、 いずれ

転移は新たな種類の病的な精神的産物を作りだす、もので 、そ

の個人的事情に繋がるlーに関係しているからである。とれは

また転移が存在するために 、分析治療によって患者が傷つけら

れるという乙ともひとは推論したがるであろう。との推論はど

新たに手を加えられた改版であって、旧版そのままの新版では

ちらも誤っている。転移のために医師の仕事が増えるととはな

い。患者の当面の興替を克服すべき場合に 、医師が自分自身と

の関係においてであれ、誰か他の人間との関係におい てであれ、

[島 、 JV 1

− wO し − 精神分析治療に関係していえば 、転移が不可欠に要請される ものであるという洞察にいたる。また転移はいかなる手段によ っても避ける 乙とのできぬものであり、また病気によって作り

ζとのな いような新

医者にとってはどちらでもよい乙とである。しかし分析治療は、

しい仕事を、けっ して患者に強制するわけでもない。精神分析

転移によって患者がとれまでになしとげた

だされるすべての過去の産物と同様に乙の最後の産物である転 移と戦わねばならない ζとを、実際の経験を通して少なくとも 納得するであろう。しかし転移を扱う作業は全治療のなかでも

治療が排除されている施設においても神経症の治癒が達成され るなら、 ヒステ リー が方法によってでなく医者によって治癒す

っとも困難な部分である。それに比べればジの解釈、無意識の している変換技術などはたやすく学べるものである。そのさい

思考と記憶を患者の思いつきから引きだすととや 、 ζれと類似

て患者を解放した医師に対してある種の盲目的な依存性と粋が

るといいうるなら、そしてその症状から催眠術的な暗示 によ っ

下の理由によっている。転移は治療の材料をえるととを阻むす

ならない。 ζの転移をけっして無視するととができないのは以

同様、 ただ転移をあらわにするにすぎない。乙の違いは患者が 自分の病気の治癒のために自発的に優しい友好的な転移を喚起

ではなく、精神生活のなかで隠蔽されている他のものの場合と

に対し て作りだす転移のなかにとれらの事実に対する科学的説 明が見出されるべきである。精神分析療法は転移を作りだすの

生ずるのが普通であるならば、患者が規則的に医師という 人聞

につねに患者自身がテキストを提供して くれるから である。ひ とり転移に関しては、治療者は自力で 、きわめ てわずかなより

べての障害を解消するために利用され、転移が解決して初めて

するととろにあるだけである。もし ζのような転移が惹き起こ

ど乙ろを頼りに、過ちをおかす 乙となくそれを洞・祭しなくては

に喚起されるからである。

分析のあ いだに構築された関連の正当性の確信感が患者のなか

362

されないならば 、患者は好感のもてない医者からできるだけ早

意のあるそれも喚起されるのであって、それを意識させるとと によって分析治療に利用されるのであるが 、 そのさい転移はつ

析においては基礎となる動機の変化に応じてあらゆる興盗、敵

あるかどうかを不安そうに確かめようとするのだった。最初の

くどい表現を好んだために、私が彼女に対してまったく誠実で

意識的に私を父親と比較し、父親がつねにかくしだてとまわり

させていたのであったが。最初のうちは、実際のわれわれの生 活年齢からも自明のことであるように 、彼女の空想のなかでは

なかで私には未知の別の部分を担供すべく転移が彼女に準備を

ねに破壊されてしまう。転移l|分析治療にとって最大の障害

く影響を受けずに身を引き離すのである。乙れに反し 、精神分

となるのは避けがたいことである||は、そのたびごとに患者

夢が現われたとき、 そのなかで 、 かつてはK氏の家を立ちさっ たように彼女が乙の治療から立ちさりたいと、自ら警告を発し

を処理するととができなかった。治療中彼女が病的な材料の一

たった大きな欠点と密接な関連がある。私は適切な時期に転移

にある。との乙とは分析が時期尚早に中断するという結果にい

なものがかくされていたのである。との転移の解消によって分

私の個人的事情に向けられていたのであろう。その細部の背後 には、K氏に関する 、 類似してはいるが比較にならぬほど重要

注意力はわれわれの人間関係の細部に 、 つまり私という人間、

場合にも明らかになったのですか ? ﹂ もしそうならば、彼女の

な感じをもちましたか?それともかつてはK氏の場合にそう であったように、何があなたの心を把えて離さないのか、私の

何か気がつきませんでしたか?それとも私について何か奇妙

よく似ていますが||あなたに推論させたものについて自分で

直接的あるいは昇華という形であるにせよ ︶11K氏の場合と

から私への転移をおとしたのです。悪意のある意図を︵それが

女にはつぎのように指摘すべきだった。﹁ A寸乙そあなたはK氏

たとき、私は私自身に警告を発しなければならなかったし 、彼

私が父親の代理だったととは明らかである。彼女はまたつねに

ス。 V



に説明するととに成功した場合、もっとも強力な治療手段、とな ネ︹一九二三年の追加︺と こに述べた転移に関する問題の続篇は さらに﹁転移性亦緑色についてという技術的な論文のなかで取り扱 われている。 私が転移につい て語らねばならなかったのは 、 ドラの分析の 特殊性をただこの要因によってのみ解明する ζとができたから である。乙の分析が長所の一つであり、最初の入門的論文に適

部を喜んで提供しようとしたために、最初の転移の兆候に注芯

したものとしてドラの分析を出版する所以はその特別な透明性

をはらうだけの慎重さが私に欠けていたのである。同じ材料の

363 あるヒステ リー忠者の分析の断片

祈療法は新たなおそらく現実的な材料への通路が記憶にもたら

によって、彼女がついに歩む ζとのなかった湖畔をめぐる道の

う時間は彼女がシスティ ナのマド ンナ像の前で過ごしたの と同 じ時間であり、また 二時間半のかわりに二時間と−訂正する ζと

りに必袈な時間でもある。夢のなかでの彼女の努力と期待、そ

されたのであろう。しかし私は乙の最初の替告を聞きのがし 、

れはドイツにいる若い男性と関係があり、K氏が彼女と結婚す

まだ十分な時間があると考えたのである。というのは、転移の った からである。このように私は転移に驚かされ、私が彼女に

別の段階が現われなかったし分析の材料がまだ枯渇していなか

めに彼女がK氏に復讐しようとしたのと同じように私に復讐し、

る乙とができるまで待ちつづけるというととに由来しているの だが、すでに二 、 三日以前から転移 のな かに表現され ていたの

K氏を思い起 こさせる乙 とになったある未知の事的︵X︶ のた

つだけの忍耐力がもてないと述べたととである。しかし一方で

である。すなわち、乙の治療は彼女には長過ぎて長いあいだ待

は、彼女は、治療を始めて二、三週間後には、自分の病気を完

K氏 にあざむかれ捨てられたと恩ったのと同じように私を捨て 治療のなかで再現するかわりに実際に演じたのである。乙の未

全に治癒させるには一年間は必要であるという私の通告を何の

た のである。彼女は彼の記憶や空想のもっとも本質的な部分を 知の事情Xが何であるか、私はもちろん知る由もな いが、 私の るいは病気仮復後も私の家庭と交際のある、ある女性の患者へ

乙れはまたドレスデンの阿廊を訪れた乙とにも起因しているが 、

のなかで道案内を拒み、むしろひとりで歩むことを望んだ乙と、

異論もさしはさまずに聴取するだけの洞察をしめ していた。 夢

の嫉妬であったかもしれない。もし転移が早期に分析治療のな

想像すると ころではおそ らく金銭的なもの かもしれ ないし、 あ

かに組み入れられていれば、この治療経過は見通しがきかなく

本 と の分析の終了から時間がたつにつれて 、私の技術的な失敗 はつぎのような怠慢さにあったように思えてくる。 K夫人に対する 同性愛的恋愛衝動が彼女の精神生活の無意識的な流れのなかでもっ

す 。



るから、 私はいっそ結婚したくありません。乙れが私の復殺で

ようなものであったろう。すべての男性は嫌悪すべきものであ

のであったのだ。その杭絶の意味すると乙ろはおそらくつぎの

その拒絶は 、他ならぬ私がその決められた当日に体験すべきも

な り、そ の速度はゆっくりしたも のになるかもしれないが 、分 証されたものになるであろう。

析治療の存続は突然の逆らえ ない抵抗 に対してはより確実K保 ドラの第二の夢においては、転移は多数の明白な,附一 不という 形で現われている。彼女がその夢を話したときにはまだ分から ず、二日 後に な って分かった乙とは、わ れわれ にはもう二時間 の面接治療しか残されていないことで あっ た。乙 の二時間と い

364

とも強力なものであった ζとを適切な時期に探りだし患者に告げな かったことである。 K夫人以外のいかなる人物も性的な事柄につい てのドラの知識の主要な源泉たりえなかった乙とを私は推察すべき であった。またとの同じ人物︵K夫人︶によって、このような性的 対象に対する関心のゆえにドラはとがめられなければならなかった のである。しかし彼女が淫らなととをすべて知っていて、それをど とから知りえたのかについてはけっして知ろうとしなかった乙とは きわめて注目に値する乙とである。私はこの謎に言及しなければな らなかったし、との特別な抑圧に対してその動機となったものを深 さねばならなかった。第二の夢が私にその乙とを暗示していたので はなかろうか。 ζの夢に表現されている無分別な復讐欲は、対立す る心の流れを隠そうとするものに他ならなかった。彼女が愛してい た女友達︵K夫人︶の裏切り行為を許し、 K夫人がドラに自分から 心を打ち明けたととをすべてのひとに隠していたという究符さ。そ の告白を知ったことがドラを中傷するのに利用されるととになった のであるが。私が神経症者における同性愛的潮流の意味を知る以前 にはしばしば症例の治療にいきづまったり、完全な混乱に陥ってい たのである。

のとき彼女は彼らと和解したのであり、彼らに復讐をとげ、彼

三年間に何事もなかったように彼女はK夫妻に歓待された。乙

年の五月、 K夫妻の病身な子供が死亡した。彼女はK夫妻を弔

復讐手段を患者は他にもちうるであろうか?しかしドラの場

症状を保持するためにすでに生活のなかに利用されている残

いことは驚くにあたらないであろう。医者がいかに無力で無能

れるならば、患者の状態が医者の治療上の努力の影響を受けな

て彼女自身から切り離す間もなく、治療の期間中医者に転移さ

湖での出来事を彼K承認させようと努め、彼女の無実を証明す

たが、夫人もそれを否定はしなかった。ドラはK氏が否定した

﹁あなたが父と関係があったととを私は知っています﹂と述べ

女の問題は満足すべき結末にいたったのである。彼女は夫人に

問 す べ く ζの不幸な出来事をきっかけとして利用した。過去の

は大変よくなり、発作の数は遠のき、気分は回復してきた。昨

彼女の言によれば、混乱した状態であった。その後彼女の病気

るととができた。彼女が治療を放棄した後なお四、五週間は、

見るなり、私は彼女の要求が真剣なものではないととを読みと

う目的で彼女は私の所に現われたのである。彼女の表情を一目

||彼女に起きた出来事を話しおえ、そしてもう一度助力をこ

|彼女の場合、時聞がけっして無意味でないことを知っている

を受けとった。このまったく無関係でない日付、四月一自に

めて私は女性患者︵ドラ︶の状態と治療の結果に関する知らせ

治療が終結し、この原稿が起草されて十五カ月をへた後、初

価したいと思うのである。

合のような治療の断片のもつ治療的な価値もまた少なからず評

酷な衝動、復讐の動機が、医者が乙れらをその源泉までたどっ

であるかを患者が患者自身に照らして明示する乙とほど有効な

365 あるヒステリ ー患者の分析の断片

る知らせを父親にもたらした。その後彼女はとの家族との交際 を断ってしまった。 その後十月中旬まで、健康の調子はまったくよかったが、そ のころふたたび声の出なくなる発作が起こり六週間つづいた。 ったのかとたずねたところ、乙の発作は激しい驚停に引きつづ

乙の報告を聞いて驚いた私は、何かきっかけとなる乙とはなか いて起こったことが明らかになった。彼女は誰かが自動車に機 かれたのを目撃する破自になった。乙の事故の当事者が他なら ぬK氏そのひとであることを彼女はついに告白した。彼女はあ

る日街路で彼に出会った。彼は交通の激しい場所で彼女を出迎 *

えたが、彼女の前で混乱したように立ちつくし、忘我の最中に 率に醐怖かれてしまったのである。しかし彼がたいした怪我もせ ずに済んだことを彼女は確かめた。父とK夫人との関係が話題 になると、彼女のなかでは微かではあるが心がざわめいた。平 素はもはや何の関係もないことであったのに。彼女は勉学に生 き、結婚のことなど考えてはいなかった。 *乙の事実は、私が﹁日常生活の精神病双学﹄のなかで取り扱 った間接的な自殺企凶の問題に興味深い寄与をなしている。 彼女は日夜悩まされつづけていた右側の顔面神経痛のため私

ζとができたからで

の治療を求めた。いつ始まりましたか?﹁きっかり二週間前 でれ﹂||私は微笑んだ。ちょうど二週間前、彼女が新聞で私

に関する記事を読んでいる乙とを指摘する

ある︵一九O 二年︶。彼女もそれを肯定した。

*第二の官官の分析における復讐のテ 17との関係およびとの期 日の意味を参照のこと。

顔面神経痛の訴えは、いわば自己懲罰の一つであり、彼女が

であり、そとから生じた私への復讐の感情の転移に他ならない。

かつて K氏の横面に平手打ちをくわせた乙とに対する後悔の念

彼女がどんな種類の助けを私に求めようとしたのか私には分か

らないが、彼女をもっと根本的に病気から解放するという満足

彼女が私のもとを訪れてからふたたび数年が経過した。との

感を彼女が私から奪った乙とを彼女に許すと約束した。

少女はその後結婚したが、もしすべての徴候が私を欺いていな

いならば、その相手は第二の夢の分析で最初に述べられた着想

のなかの若い男であった。第一の夢が愛する男性から父への方

向変化、つまり現実生活から病気への逃避をしめしているごと

くとの第二の夢は、彼女が父から身を離し、現実生活のなかに 自らを取り戻したことを告げているといえよう。

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